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2024/05/03 00:42 |
柴犬の特性
柴犬は温暖湿潤気候に強い。一般に主人に対しては非常に忠実、他所者に対しては馴れ馴れしくせず、賢く勇敢で警戒心も強いため番犬にも適する。

本来は山地や山あいで小動物の狩猟を手伝ってきた犬だが、現在は主に家庭犬として愛されている。
近年は、愛玩犬としても人気がある。また、柴犬本来の性質を保ちながらも、愛玩犬用として、通常の柴犬よりも小型の系統のものを改良した、いわゆる豆柴も数を増やしてきている。豆柴は、普通の柴犬と比較すると、若干、他人に対してもフレンドリーな性質であることが多い。なお、豆柴とは小柄な柴犬の呼び名の一つであり、現在、犬種として認知されているわけではない。

歴史
柴犬の本来の作出目的はキジのような山鳥やウサギのような小動物の狩猟およびそれに伴う諸作業である。

昔から本州各地で飼われ、信州の川上犬、保科犬、戸隠犬、美濃の美濃柴、山陰の石州犬や因幡犬など、分布地域によっていくつかのグループに細分される。現在の柴犬は、昭和初期の保存運動の中で、信州と山陰の柴犬を交配して作られたものである。天然記念物に指定された7犬種の中で、地方名を冠していないのは柴犬のみである。

柴犬は縄文時代から人間と生活をともにしてきたといわれる。縄文時代の貝塚等の遺跡からは、これまでに犬の骨が200点以上出土している。狩猟のために犬を日本に移入した縄文人には、食犬の習慣がなかったらしく、縄文犬と呼ばれるこれらの犬たちには、埋葬されたと思われるものが多い。その中には、人とともに埋められたものもある。

縄文犬の多くは柴系であり、額段がごく浅く、大きな歯牙をもち、特に早期のもののほとんどは小型である。柴犬の熱心な愛好家には、ほっそりした筋肉質の体格や軽快で俊敏な動き、野性的な鋭い警戒性、人間との強い信頼関係とともに、このような縄文犬の特質を柴犬に求める人が多い。

名前の由来
「柴犬」という名前は中央高地で使われていたもので、文献上では、昭和初期の日本犬保存会の会誌「日本犬」で用いられている。一般的には、「柴」は「柴刈り」というときの「柴」であり、小ぶりな雑木を指す。由来には諸説があり、柴藪を巧みに潜り抜けて猟を助けることから、赤褐色の毛色が枯れ柴に似ている(柴赤)ことから、小さなものを表す古語の「柴」から、の3説が代表的で、ほかに、信州の柴村を起源とする説もある。

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2007/09/30 20:00 | 未分類
メジャーリーグ、守らねばならないマナー
メジャーリーグ・ベースボールには、ルールブックに記されていなくても守らねばならないマナーが存在し、これを破ると報復を受ける。

内容
不文律であるので当然のことながら成文は存在しない。諸説があり時代による変遷も考える必要があるが共通するものとして以下の不文律が存在する。

大差(概ね5点以上)でリードしている攻撃側は
バントをしてはいけない
カウント3ボール-0ストライクから打ちにいってはいけない
盗塁してはいけない(ただし、「盗塁を企てた走者が、守備側チームが無関心のためになんら守備行為を示さない間に進塁した場合には、野手選択による進塁を記録する」というルールもあるため、成文で抑止する規則が存在するという点では一概に不文律とは言えない)
ノーヒットノーランや完全試合阻止のみを目的としたバントはいけない
打者はホームランを打っても大げさにガッツポーズをとったり、わざとゆっくりとダイヤモンドを回ってはいけない
投手は三振に打ち取ったときでも派手なガッツポーズをしてはいけない
試合に勝っても、相手チームや観客の前で過剰に騒いではいけない
乱闘の際の「バット」、「蹴り」は禁止

ペナルティー
最も一般的なペナルティーは次打席での故意死球である。この場合でも部位は「腰から下」との不文律がある。指名打者制により打席のない投手ではマウンドに空振りのバットが飛んでくることがある。試合終了の際の行為に対しては次の試合で必ず実行される。このことは選手のみならず監督、チームオーナー、審判そして観客も承知している。大差での盗塁では、捕手は送球しないし公式記録員も盗塁を記録しない。

事例
2006年のワールド・ベースボール・クラシック (WBC) 2次リーグ、日本-韓国戦は韓国が勝利したが、試合後に観客および日本チームの目前で韓国チームが自国国旗をマウンドに立てるなどし、翌日の米新聞各紙で敗者に考慮しない過剰な騒ぎであったとして厳しく非難された。日本では、韓国は「水に落ちた犬は棒で叩け」の格言を持つ国ゆえ、その国民性は非難すべきでないとされ、マスコミは報道を控えた。
2001年当時ニューヨーク・メッツ在籍中の新庄剛志は大差(11-3)でリード中にカウント3B0Sから本塁打を打ったが、翌日に足に死球を受けた。この件以外にも本塁打直後にバットを高々と放り投げる行為がガッツポーズであると受け取られ、故意四球を誘発することになった。
敗者への配慮以外にも、故意死球といったペナルティーは無くとも「感心されない」行為というのも存在する。

2004年西武ライオンズからニューヨーク・メッツに移籍した松井稼頭央は開幕戦先頭打者として初球を本塁打した。しかしエース級を先発させる開幕戦においての初球は、その投手の「舞台」であるとして打者は見送るのが慣例となっていたので、米マスコミでは日本ほどの賞賛はされなかった。
シアトル・マリナーズのイチローは渡米当初、打席に立った際にバットの先を投手に向ける習慣(日本ではそうしていた)があったが、相手投手に過剰な刺激を与えることに考慮して「上向き」に改めた。

2007/09/30 19:45 | 未分類
アンアン(anan)
発行部数は公称37万部。誌名は創刊当時モスクワ動物園で飼育されていたパンダの名で、一般公募で選ばれた。

1970年 3月に男性向けファッション誌平凡パンチの女性版として創刊、60万部売上。翌年創刊された『non-no』とともに、女性向け情報誌として人気に。両誌による街や観光地特集や反響を呼び、雑誌片手に各地に押し寄せる読者たちは「アンノン族」と呼ばれ多くのファッションの流行を産んだ。創刊時の発行回数は月2回だったが、1979年5月に月3回へ変更。さらに1981年8月には週刊化し当初は金曜日発売だったが2001年8月22日発売の1279号から水曜日に変更、現在に至る。

80年代に、今でいうデザイナーブランドの服を身にまとい、太い眉毛のしっかりメイクをほどこしたモデルが、カメラマンと一体となって誌面で「アート」を表現するスタイルが話題に。元『Olive』編集長で、長年『anan』の編集長を務めていた淀川美代子が現在編集長を務める『GINZA』は、さすが同DNAを受け継いでいるだけあって、当時の『anan』をほうふつとさせるものがある。「デザイナーズブランド」「カラス族」「刈り上げヘア」「ハウスマヌカン」などというファッション系の流行語を数多く生み、また「スタイリスト」という仕事に初めてスポットを当てた。 90年代に、男性や女性のヘアヌード写真を掲載して話題を呼ぶ。

現在は、ファッション・メイク、恋愛・セックス、ダイエット、映画、占い、マナーなど、20代・30代の女性に関連する多くのテーマを扱う。また、グラビア誌としての性格もあり、旬の俳優・アイドル・タレント・スポーツ選手などを男女問わずに特集。多くは表紙を飾る。また、時代にあったイラストを掲載し続けている。

毎年「抱かれたい男性芸能人」「抱かれたくない男性芸能人」のベストテンを発表しており、男性からの認知度も高い。

主なモデル
立川ユリ
秋川リサ
山口小夜子
くればやし美子
林マヤ
甲田益也子
中川比佐子
藤井春日
雅子
市川実和子
江角マキコ


2007/09/30 19:40 | 未分類
日本で最も距離の短い国道は?
兵庫県神戸市中央区にある、神戸港と国道2号とを結ぶ一般国道である。

陸上距離:187.1m(=0.1871km)
起点:兵庫県神戸市神戸港(神戸税関本庁前。第3突堤交叉点の約40m北)
終点:兵庫県神戸市中央区(税関前交叉点=国道2号交点)
指定区間:なし(将来は全線が指定区間になる予定)

神戸港へ至る国道は、1885年(明治18年)の内務省告示第6号「國道表」で国道3号「東京より神戸港に達する路線」として表れる。これは京都まで国道2号(東京~大阪港。現1号)と重複する路線で、終点の神戸から国道4号(東京~長崎)が伸びていた。法令上は「東京より神戸港に達する路線」となっているが、実質的には京都から神戸に至る路線であり、長崎へ至る路線の一部であった。(国道2号も参照のこと)

1920年(大正9年)施行の旧道路法に基づく路線認定では、国道38号「東京市より神戸港に達する路線」となった。路線名はほぼ同じであるが、この路線は神戸まで国道2号「東京市より鹿児島県庁所在地に達する路線(甲)」と重複し、神戸で分岐して神戸港へ至る路線であり、今日の国道174号の性格に近いものである。ただし、ルートは中突堤(メリケンパーク)前を通過して神戸税関に至るもので、今日のルートとは異なる。また、路線名に示されているように神戸港が終点であった。

1953年5月18日、新道路法に基づく路線指定で、神戸港を起点とし国道2号との交点(神戸市生田区(現 中央区))を終点とする二級国道174号神戸港線となった。

現在の国道2号は、東から来るとJR三ノ宮駅の手前の三宮東交叉点で直角に折れてポートライナーの高架下を南下していくが、当時は三ノ宮駅前を直進していた。そこで、神戸港から三ノ宮駅前の三宮交叉点までを真っ直に結ぶ約940mの道路が国道174号に指定された。1962年に、国道2号が現在のコースに切り替えられたため、国道2号との交点が神戸港側に移動することになり、海側の187.1mだけが国道174号となった。残りの750mあまりは、現在「フラワーロード」という愛称の兵庫県道30号新神戸停車場線になっている。

1965年4月1日に、道路法改正によって一級・二級の別がなくなり一般国道174号となった。

1980年に神戸市生田区と葺合区が合併して中央区になったため1982年4月1日に終点を「神戸市中央区」に変更した。

2007/09/30 19:36 | 未分類
フォアグラの調理法、製法
フランス国内では、南西部のペリゴール地方(Périgord、現ドルドーニュ県)とランド県が主産地で、ガチョウと鴨の両方のフォアグラが生産されている。また、アルザス地方のストラスブールやラングドック地方のトゥールーズも、産地としてよく知られている。不足分は、オーストリアなどからの輸入品でまかなわれている。

ハンガリーのドナウ川西岸(ドゥナーントゥール地方)でも昔からフォアグラの生産が行われており、輸出も盛んである。

調理法
パテに加工し甘めの柔らかいパンに塗って食べるか、ソテーして食べるのが一般的だが、トリュフ入りのパイ包み焼きのような、パイ料理の素材としてもよく使われる。フォアグラを乗せて焼いたステーキは、ロッシーニ風トゥルヌドステーキと呼ばれる。フランスでは、伝統的にソーテルヌなど甘口のワインと合わせる。

フランス人の多くにとってはクリスマスや新年前夜の晩餐(レヴェヨン)などでしか口にすることのない珍味であるが、近年になって生産量が増加したため珍しさは薄れてきている。中には一年中フォアグラを賞味する地域もある。

製法
今日フランスでフォアグラ用に供されるガチョウは Oie de Toulouse(オワ・ド・トゥールーズ、トゥールーズのガチョウの意)などの大型品種で、初夏に生まれた雛を野外の囲い地で牧草を餌に十分運動させて育て、基礎体力を付けさせる。夏を越して秋になると狭い場所に閉じ込めて運動できないようにし、消化がよいように柔らかくなるまで蒸したトウモロコシを、じょうごで強制的に胃に詰め込む強制給餌を1日に3回繰り返す。これを1ヶ月続けると、脂肪肝になった肝臓は2kgに達するほどに肥大し、頭部と胴体を水平にする姿勢しかとれなくなるに至る。フォアグラはこの段階のガチョウをしめて取り出し、余分な脂肪、血管、神経などを丁寧に除いてから、冷水に浸して身を締める。


2007/09/30 19:32 | 日記

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