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2018/11/14 21:58 |
浮気した彼氏に毒薬カプセル口移し
浮気もキスも命がけ―。交際相手の浮気に激怒し、キスの際にネズミを駆除する「殺鼠(さっそ)剤」入りのカプセルを“口移し”で飲ませて死亡させた中国人女性が、死刑判決を受けたことが28日までに分かった。地元紙のシャンハイ・デーリー紙が伝えた。2人は浮気をした場合、死ななければならないという約束を交わしていたという。

「Kissing killer gets death」(キスする殺人者が死刑に)―。27日付のシャンハイ・デーリー紙に衝撃的な見出しが躍った。

同紙によると、女性は1月8日、長年にわたり交際していた男性が他の女性と楽しそうに話し込んでいる姿を目撃。2人はどちらかが浮気をした場合、「死んで償う」という何とも物騒な約束を交わしていたが、女性は詳しい事情を聞くことなく、この男性が浮気をしたと勝手に断定。女性は約束を実行しようと、ある計画を思いついた。

翌日。女性はネズミを駆除する殺鼠剤を用意したカプセルに混入した。

女性はキスの際、巧みに口移しでカプセルを飲ませ、男性を殺した。計画的かつ巧妙、そして残忍と判断した裁判所は女性に極刑を言い渡した。 軍事評論家の神浦元彰氏は、今回の殺人をこう分析する。「相手がめいてい状態であれば、簡単な話です。飲み物と一緒にカプセルを口の中に入れ『口移ししてあげるわ』と誘惑するだけですから。カプセルに毒を入れ、飲ませる方法は昔からありますね。小説や映画からヒントを得たのではないでしょうか」。

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2007/09/29 12:54 | ニュース
偽札事件
日本の紙幣
2004年12月から2005年1月にかけて初詣客で賑わう全国の神社・寺院などで偽1万円札(何れも旧札)が発見された。
2005年1月6日までに奈良県警察本部はそれを使用した同県内在住の45歳の男性容疑者を偽造通貨行使の疑いで逮捕するとともに、容疑者自宅にあった1万円札と同サイズの用紙や裁断機、パソコンとそれ対応の複合機などを押収した。この容疑者のパソコンに記番号「ZY853618T」のデータがあった。この記番号の偽札は、近畿二府四県からと愛知県、三重県などからも見つかっている。
警察庁のまとめで、偽1万円札の記番号は、10種類以上あり、そのうち8種類が都道府県をまたいで使われていることが分かっている。
今回2004年暮れから2005年にかけての偽1万円札の主な記番号は「ZY853618T」のほか「VJ838046M」「ZY853618T」「QY436254F」「VF083976N」「SW042400G」「KZ669327B」「UF083976N」などが知られている。
偽札事件は対象となった札の種類によりコードナンバーが付けられる。かつての拾円札は伊-、百円札は呂-、、千円札はチ-、五千円札は利-、一万円札では和-となる。
2005年3月9日、大阪府堺市のファーストフード店のドライブスルーで偽造新5000円札を商品代金として使用した疑いで、和泉市在住の43歳の男性と34歳の女性の会社員が逮捕された。新5000円札の偽造による摘発はこの事例が初めてのこと。2容疑者の自宅からは両面コピー4枚と片面コピー11枚の15枚の偽新5000円札、並びにカラーコピー機を押収した。

ドル紙幣
1990 年代半ば、頻繁に使われたスーパーKなど、偽100ドル紙幣が発見されている。
スーパーXという偽100ドル紙幣は、紙の質、インクは真券と同一のもので国によっては真券としてまかり通るほど精巧に作られており、この製造には北朝鮮政府の関与が指摘されている。精巧に作られた偽100ドル紙幣を大量に作成することで米ドルの価値を大暴落させる狙いがあるものと思われる。スーパーZという精巧な偽ドル札も登場しており、これも北朝鮮ルートではないかといわれている。
スーパーX、スーパーZより精巧なスーパーノートも2005年末現在多数流通しているとみられる。
なお、康宗憲・韓国問題研究所代表は以上の「北朝鮮政府の関与」指摘に“アメリカからは主張のみで証拠が一切提示されていない”と異論を唱えている。

2007/09/25 21:51 | ニュース
長井秀和「フィリピンで美人局」1000万円以上支払った
タレントの長井秀和(37)が、フィリピンで17歳の少女にわいせつ行為をしたとして警察から取り調べを受け、高額な示談金を支払うというトラブルになっていることが24日、明らかになった。25日発売の「フラッシュ」と「女性自身」(ともに光文社)が報じている。

両誌によると、トラブルが起こったのは今年5月末。フィリピン旅行に訪れた際、知人男性と共にマニラ市内で現地の女性に声を掛け、ホテルへ。「女性自身」では、女性とのツーショット写真も公開されている。しかし女性は実は17歳の未成年で、後日、滞在していたホテルに警察が現れ、長井と知人の2人を連行。拘束され、事情聴取を受けたという。

さらに日本人通訳が登場し、解決のために示談金を要求。「フラッシュ」によると、保釈金の名目で長井は1000万円以上を支払ったという。フィリピンでは日本人男性と現地女性とのトラブルをもとにした恐喝事件が多く発生しているそうで、今回のケースも“未成年との淫行(いんこう)疑惑”とともに、長井が美人局(つつもたせ)の被害にあったと考えられるようだ。

長井秀和
東京都武蔵村山市出身。父は元武蔵村山市議(公明党)。創価学会員。
創価大学文学部卒業後、親とは教師になる約束をしていたが、「東洋のチャップリンになる」と宣言して芸人の道を歩む。当初はパントマイム(同じ動きなのに違うもの)を持ち芸にしており、路上パフォーマンスなども行っていた。後に風刺漫談へシフト、現在に至る。しかし登龍門F(生放送)において放送日は他局の生放送を何件か抱えていた為、「しゃべるのが面倒だから」という理由で全身オレンジ色のつなぎで自身の持ち時間全てパントマイムを行った。
M2カンパニー(現・ホリプロコム)等、何度か事務所の移籍を繰り返す。やがてフリーの身である所をタイタンに拾われ、現在の基盤を作り上げた。1999年からユリオカ超特Qと二人で定期的に都内でライブ「同行二人」を開催( - 2004年)。
伊藤かずえの大ファンであることも有名。好みのタイプは元モーニング娘。の加護亜依らしい。
運動神経はなかなかのもので、バック転も出来る。エアロビクスを愛好している。以前スポーツマンNo.1決定戦に出たこともあり、そのときの記録は総合13位であった。
1999年に結婚。無名時代は自活することなく妻に食べさせてもらっていたと自認。2005年3月22日には長男が誕生した。
結婚披露宴会場にうまなりクンの収録で井崎脩五郎がやってきた。井崎は、VTRはじめに「永井美奈子さんの結婚式会場にやってきました」と言って視聴者を驚かせたが、CM明けに「結婚してナガイ(長井)美奈子さんになる人の結婚式です。」と言うオチになった。
爆笑オンエアバトルでは第6回チャンピオン大会に出場。セミファイナルでは1006KB(オンバト史上初)と1位で通過し、かつ史上3位の記録を持つ。セミファイナル後のインタビューで「必ず優勝します!間違いない!」とかっこよくしめくくった。しかし期待されたファイナルでは途中で台詞を間違え、その影響かネタの語りが早くなるなど露骨に動揺してしまい、最下位を喫してしまった。以来、漫談のネタをやる時、間違えたりかんだりして自分で笑うことも多い。
近頃は桜塚やっくんと顔つきや声質が似ているせいか、間違われるケースもある。
2007年9月初旬から、単身アメリカのニューヨークへ語学留学をする。世界に通用するコメディアンを目指すのだという。

2007/09/25 09:22 | ニュース
少林寺激怒!少林寺は忍者に負けていない
中国武道「少林拳」発祥の地として知られる河南省の少林寺が「忍者の末裔(まつえい)とされる日本人武道家に道場破りされた」とする書き込みが、中国の主要ウェブサイトに掲載され、大騒動に発展。1500年もの歴史と威信を傷つけられた少林寺側は「悪質なデマ」と否定の声明を出して沈静化をはかったが、“少林寺VS忍者”論争は日中問題のあらたな火種になるかもしれない。

少林寺を激怒させた書き込みは8月25日、愛国主義的論調が目立つ中国のサイト「鉄血社区」に掲載。それによると…。

少林寺に乗り込んだのは“伊賀忍者の末裔”山本義清なる人物。30年間にわたり武道を修練し、日本で道場破りを繰り返してきた。あるとき、リー・リンチェイ(現ジェット・リー)主演の中国映画「少林寺」を見て新たな標的を発見。あらゆる武道の頂点に位置するのが少林寺であるとして道場破りを決意した。

5年間の準備期間を経て、深夜に道場破りを敢行。少林寺代表として出てきた武術僧を、山本はわずか数分で撃破。「今の少林武術は実戦用ではなく公演用だ」と捨てぜりふを吐き、5年後の再来襲を予告して去った―という。

少林拳が完敗したとの衝撃的話題は中国全土で反響を呼んだ。ウェブサイトには「映画出演とか金もうけばかりに熱心だから、日本人なんかに負けるんだ」などと少林寺を厳しく批判する書き込みまで登場。河南省の地元紙「河南商報」(電子版)によると、閲覧者は書き込み掲載後の3日間で4万4000件を超えた。

少林寺拳法の本来の目的は、宗教法人金剛禅総本山少林寺に伝承する霊肉一如の修行法であり、その修練をとおして、健康増進・精神修養・護身練胆の三徳を兼備し、金剛の肉体と不屈の勇気、円満な人格、思いやりと優しさを持った人々を多く育てあげて、それにより人々が平和で幸福な理想社会を実現する為の力を獲得する宗門の行であるという。つまり、人作りによる国作りの大道が本来の目的であるとされる。そうした意味で、宗教団体というより、また、武道団体というよりも、社会教育団体という言葉の方が似合う位であるとされている。

ちなみにここでの「宗門の行」とは、「人が心の迷いを去って真理を会得し、自らがよりどころと出来る自己を確立し、それによって社会の平和と幸福に奉仕、貢献する為に行じる」という意味だという。(財団法人少林寺拳法連盟著・図解コーチ・スポーツシリーズ「少林寺拳法」(成美堂出版)より抜粋。原文ママ)

明治44年(1911年)生まれの宗道臣は、昭和初期に「日本民族発展の捨石になろう」という理由で、中国大陸に渡り、陸軍の特務工作員の仕事をしながら、仕事に必要な教育を受ける為に道教の十方叢林(宗教専門学校)に連れて行かれて、陳良という中国人の老師に身柄を預けられて、そのまま弟子になった。陳良老師は、1900年前後に興った義和団事件の生き残りの中国拳法の達人で、その老師に少しずつ拳法の技を学んでいったという。その渦中に、ある任務の為に中国東北地区(当時の満州)を大旅行する事になり、その際に義和団事件の生き残りの拳法家達に拳法の技術を少しずつ学んでいったという。その中の一人が、陳良老師の師匠であり、北少林義和門拳二十代師父の文太宗老師で、文老師の下で修行を積んだ宗道臣は、その技の全てを習得、昭和11年(1936年)祖師達磨大師のゆかりの地・嵩山少林寺で義和門拳の法脈継承の儀式を行った。

そして、終戦の年の昭和20年(1945年)8月9日に当時の満州で、ソ連軍の攻撃に遭遇、それからの約一年間をソ連軍軍政下の満州にて生活する事になる。その生活の中で法律や政治のあり方は、その立場に立つ人の人格や考え方によって大きな差が出る事を発見し、「人、人、人、全ては人の質にある」という事を悟ったという。もし、生きて日本に帰る事が出来れば、私学校を開いて、青少年を集め、道を説いて、勇気と自信と行動力と正義感と慈悲心に満ち溢れた、強くて、優しくて、正しい若者を多く育てたいと念願するようになったという。

しかし、実際に帰国してみると、祖国は道義も秩序も無い弱肉強食の修羅場のような状況で、特に次代を担う青少年の荒廃は目を覆うばかりだったという。「これではいけない、これからの半生を骨のある青少年の育成に捧げよう」と決心し、四国の香川県・多度津町にて主として釈尊の正統仏教の教えを説きながら、人作りの重要性を訴えたが、中々人々はついてきてくれなかった。肝心の若者達も同じで、中々長続きはしなかったという。そんな状態で思い悩んでいた時に、歴史上の人物で、中国・河南省・嵩山少林寺に座禅行と易筋行を伝えたとされる菩提達磨の夢を見て、そこからはっと閃くものがあった。「そうか、はるばるインドから中国に正統仏教を伝える為に渡った達磨が、この行を弟子達に学ばせたその故事に倣って、今こそその達磨の行動を日本に再現させよう」と思い立ち、その為に人集めの手段として、餌として、少林寺拳法を開創する事を思い立ったという。これを長期間に渡って教えながら、道を説けば、必ず次代を担う青少年に不屈の精神力と、金剛の肉体とを合わせ持ち、その上で自信と勇気と行動力を与える事が出来ると確信したという。

こうして、釈尊の自己確立・自他共楽の教えを「力愛不二・拳禅一如」の法門として編成し、中国で学んだ各種の拳法を再編整理して、理論の裏付けを行い、さらには戦中・戦後を通しての貴重な白兵戦の体験と創案を加えて、宗門の行としての形を整えた。こうして少林寺拳法が開創されて、その拳法の修行の合間、合間に口が酸っぱくなるほど、釈尊の教えを中心に祖国愛や民族愛等の人生観・世界観を当時の青少年達に説き続けたという。そして、昭和55年(1980年)に宗道臣が心不全で69歳で死去するまで、この金剛禅運動と名付けられた運動は続けられて、現在は娘の宗由貴氏に引き継がれている。

実際に宗道臣自身が、後年に、単に武道団体を創始したかったのではなく、「敗戦した後の日本の若者の堕落ぶりは目を覆わんばかりであった。荒廃した日本民族の自立を再度うながすべく、一人でも気骨ある若者を育てる教育の場を創造したかった」と回顧している。

法衣と呼ばれる仏門の服装をまとい、おもに二人一組で行われる演武は、飛燕と呼ばれる突きと蹴りの攻防、そして鋭い気合の応酬、床にたたきつけるがごとくの投げ技と関節技、そして圧法と呼ばれる技法で行われる。静と動を同時に行う禅の拳法と称された。創始当時には他流派武道から多く転籍があり当時としては魅力ある技術体系であったと想像される。一方、少林寺拳法は戦後発祥であるが、日本九大武道(日本武道館認定)の一つとなった。また金剛禅と呼ばれる思想は、創始60年を経過した今も、剛柔一体の技法と同様に多くの人々の共感を呼び、さらに会員数は増え続けているとされている。

同時に別派を認めない世界で唯一の宗教団体及び武道団体として結束力が強い。宗が戦前に中国の臨済宗の総本山である嵩山少林寺を訪れた際に、彼が修業中であった義和門の法門継承式を少林寺にて行い、またその際に白衣殿北壁の羅漢練拳図に描かれた相対演練を見て深く感銘を受けた意味から後日「少林寺拳法」と流派名をつけた経緯がある。したがって技法的には少林拳、少林寺の歴史とは直接は関係が無い。宗道臣が中国滞在時に指導を受けた各種中国拳法を取り入れ、また幼少時より祖父宗重遠から教わった不遷流ほか日本の古武道を混合させて試行錯誤のうえ作り上げた(出典:「秘伝少林寺拳法(光文社)」)日本独自の武術であり、宗派である。終戦直後の香川県多度津町で宗道臣は「これはシナの武術じゃ。喧嘩の仕方を教えてやる」と言って少林寺拳法を広めていった。

嵩山少林寺には昭和50年代に宗道臣の記念碑が建てられており、日本から多数表敬訪問している。同寺の公式ホームページに「日本武士宗道臣」の記述がある、リーリンチェイ主演映画「少林寺」に少林寺拳法の山崎博通氏(現・禅林学園校長)が出演している、リーリンチェイ氏が日本の香川県少林寺拳法本部を訪問している、など交流面は多く、嵩山少林寺と日本少林寺拳法連盟はお互いを認め合っている。ちなみに嵩山少林寺の武術は単に少林拳と呼ばれていることが多く「拳法」と言う呼称は中国においてはあまり使われない。



2007/09/23 14:58 | ニュース
月周回衛星かぐや打ち上げ成功
月周回衛星「かぐや」を載せたH2Aロケット13号機が14日午前10時半すぎ、鹿児島県の種子島宇宙センター(鹿児島県南種子町)から打ち上げられた。衛星は午前11時すぎに分離され、宇宙機構などは予定の軌道に入ったかの確認作業を進めた。

かぐやのプロジェクトは世界的にも1960―70年代の米アポロ計画以来となる本格的な月探査計画。この後に続く中国やインド、米国などの月探査計画の最初の一歩となる。高度100キロの円軌道で月の上空を回りながら、14種類の観測機器を駆使して、最も身近な星である月の誕生と進化の謎に迫る。

また、H2Aロケットはこれまで宇宙機構が打ち上げていたが、今回初めて業務を民間に移管し、三菱重工業が担当した。民間の経営手法でコスト削減を進め、ロケットの国際競争力を高めることを目指す。

かぐやは、数回の噴射で速度や進路を変えながら、地球を2周した後に月に向かい、月の重力にとらえられて楕円(だえん)軌道に入り、徐々に円軌道に移る。その間、連携して観測する子衛星2基も放出する。

ことし12月ごろから観測を開始し、月面の元素や鉱物の種類と分布、月面の地形、地下数キロまでの構造を明らかにするほか、磁気分布や放射線、電子、イオンなど盛りだくさんの観測を予定。

子衛星と連携し、地球から見えない月の裏側も含めた重力場も探る。機器を地球に向けて行うオーロラの観測や、ハイビジョンカメラで月の地平線から昇る「地球の出」の撮影も予定している。


2007/09/14 12:50 | ニュース

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