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2024/04/20 03:32 |
日本で最も距離の短い国道は?
兵庫県神戸市中央区にある、神戸港と国道2号とを結ぶ一般国道である。

陸上距離:187.1m(=0.1871km)
起点:兵庫県神戸市神戸港(神戸税関本庁前。第3突堤交叉点の約40m北)
終点:兵庫県神戸市中央区(税関前交叉点=国道2号交点)
指定区間:なし(将来は全線が指定区間になる予定)

神戸港へ至る国道は、1885年(明治18年)の内務省告示第6号「國道表」で国道3号「東京より神戸港に達する路線」として表れる。これは京都まで国道2号(東京~大阪港。現1号)と重複する路線で、終点の神戸から国道4号(東京~長崎)が伸びていた。法令上は「東京より神戸港に達する路線」となっているが、実質的には京都から神戸に至る路線であり、長崎へ至る路線の一部であった。(国道2号も参照のこと)

1920年(大正9年)施行の旧道路法に基づく路線認定では、国道38号「東京市より神戸港に達する路線」となった。路線名はほぼ同じであるが、この路線は神戸まで国道2号「東京市より鹿児島県庁所在地に達する路線(甲)」と重複し、神戸で分岐して神戸港へ至る路線であり、今日の国道174号の性格に近いものである。ただし、ルートは中突堤(メリケンパーク)前を通過して神戸税関に至るもので、今日のルートとは異なる。また、路線名に示されているように神戸港が終点であった。

1953年5月18日、新道路法に基づく路線指定で、神戸港を起点とし国道2号との交点(神戸市生田区(現 中央区))を終点とする二級国道174号神戸港線となった。

現在の国道2号は、東から来るとJR三ノ宮駅の手前の三宮東交叉点で直角に折れてポートライナーの高架下を南下していくが、当時は三ノ宮駅前を直進していた。そこで、神戸港から三ノ宮駅前の三宮交叉点までを真っ直に結ぶ約940mの道路が国道174号に指定された。1962年に、国道2号が現在のコースに切り替えられたため、国道2号との交点が神戸港側に移動することになり、海側の187.1mだけが国道174号となった。残りの750mあまりは、現在「フラワーロード」という愛称の兵庫県道30号新神戸停車場線になっている。

1965年4月1日に、道路法改正によって一級・二級の別がなくなり一般国道174号となった。

1980年に神戸市生田区と葺合区が合併して中央区になったため1982年4月1日に終点を「神戸市中央区」に変更した。
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2007/09/30 19:36 | 未分類
日本ハムファイターズ
北海道を保護地域とし、札幌市豊平区にある札幌ドームを専用球場(本拠地)としている。この他函館市千代台公園野球場(オーシャンスタジアム)、旭川市花咲スポーツ公園硬式野球場(スタルヒン球場)、帯広の森野球場、釧路市民球場など北海道内の野球場と、2003年まで専用球場としていた東京都文京区にある東京ドームでも主催公式戦を開催している。なお、二軍(イースタン・リーグ所属)の本拠地は千葉県鎌ケ谷市にあるファイターズスタジアムである。

2004年
本拠地を北海道札幌市の札幌ドームに移転。チーム名も北海道日本ハムファイターズとし、地域に密着したチーム作りを目指す。
本拠地移転及び、北海道の有力企業からの出資を受ける際、既存の球団会社(日本ハム球団株式会社)は新会社(株式会社北海道日本ハムファイターズ、2003年8月設立)へ球団運営権を譲渡し、旧会社は特別清算手続きをとっている。
シーズン途中にオバンドーが復帰。巨人とのトレードで隼人を放出し、河本育之を獲得。
千葉ロッテマリーンズとプレーオフ(上位3チーム進出のトーナメント)出場をシーズン終盤まで争い、9月24日のオリックス・ブルーウェーブ戦で、プレーオフ進出を決めた(4位ロッテとは0.5ゲーム差)。
プレーオフ史上最多の20得点を記録をするなど活躍するが、北海道移転元年のリーグ優勝は叶わなかった。
セギノールが44本塁打で本塁打王。建山が最優秀中継ぎ投手。横山が28セーブで最多セーブ。
オフにはブラッド・トーマス、エリック・アルモンテ、ブランドン・ナイトらと契約し、ヤクルトからFA宣言した稲葉篤紀を獲得。ドラフトでは橋本義隆、菊池和正、工藤隆人の他、済美高校の主砲・鵜久森淳志、高卒No.1ピッチャー・ダルビッシュ有、メジャーからの「逆輸入」という珍しい形でマイケル中村(登録名「MICHEAL」)が入団。シーズン途中にミラバルが故障のため退団し、ミラバルの穴を埋めるためにコリー・リーを獲得。
2005年
元監督の高田繁が球団初のゼネラルマネージャーに就任。
4月27日、大社義規元オーナーが死去。同オーナーの背番号100はオーナーとしては日本プロ野球史上初めて永久欠番に。田中幸雄が通算1000打点、金子誠が通算1000本安打を達成。
9月20日の西武戦(札幌ドーム)に敗れ、2年連続のプレーオフ進出の可能性が消滅(最終順位は5位)。
オフには現役ベテランメジャーリーガーのホセ・マシーアスを獲得するも、ローテーションの一角だった入来が渡米し、石井一久の獲得にも名乗りを挙げたが失敗。また、攻守に渡って振るわなかったナイト、アルモンテを解雇。大学・社会人ドラフトでは八木智哉、武田勝、川島慶三ら即戦力ルーキーを獲得し、高校ドラフトでは10年に1人の逸材と謳われる陽仲壽をソフトバンクとの競り合いの末に獲得。また、2006年シーズン開幕直前に巨人とのトレードで古城、実松を放出し、岡島秀樹を獲得。岩本、石本、西浦らが現役引退。
2006年
4月18日、開幕早々、SHINJOが2006年限りでの引退を発表。中日との金銭トレードで奈良原を放出。糸井が外野手に転向。
交流戦最終戦の6月20日の東京ヤクルト戦から、7月7日の西武戦まで、45年ぶりとなる11連勝(当時の球団最多タイ)を記録。以降も大型連勝が続いた。
西武・福岡ソフトバンクと三つ巴の首位争いの後、9月27日の最終戦でレギュラーシーズン1位通過を確定させた(交流戦の結果を除いた成績でも1位)。防御率3.05、チーム本塁打数135の投打2冠を達成。
10月12日、プレーオフ第2ステージ(対・ソフトバンク)を2連勝で制し、25年ぶりにリーグ優勝。
10月26日、中日ドラゴンズとの日本シリーズに4勝1敗の戦績で44年ぶりの日本一を手にした(ファイターズとして、GM制施行チームとして、札幌移転後として初)。
11月、かつて本拠地とした東京ドームで行われたアジアシリーズでも優勝を飾り、アジア王者となる。
小笠原が本塁打・打点の2冠王(打点は西武・カブレラと同数)。稲葉が自己最多の26本塁打。武田久が45ホールドポイントのリーグ新記録で最優秀中継ぎ投手。MICHEALが39セーブのパ・リーグ新記録で最多セーブ。田中賢介が犠打王。森本が得点王。ダルビッシュ、八木が12勝。
12月12日、毎日スポーツ人賞のグランプリを受賞。
12月20日、日本プロスポーツ協会から日本プロスポーツ殊勲賞を受賞。
オフには小笠原が巨人、岡島がアメリカメジャーリーグのボストン・レッドソックスにそれぞれFA移籍、SHINJOが引退したほか、トーマス、リー、マシーアス、ディアスらの外国人が揃って退団。ドラフトでは広陵高校のエース吉川光夫、大学日本代表4番を打ったスラッガー・金子洋平らが入団(ドラフト4位の長野久義は指名したが、本人が拒否)。新外国人としてアンディ・グリーン、ブライアン・スウィーニーと契約、他にも東北楽天を自由契約になったライアン・グリンを、シーズン開幕直前、阪神とのトレードで正田を放出し、金澤健人を獲得。
2007年
3月24日の開幕戦(千葉マリンのロッテ戦)が降雨コールドで引き分けに終わる(パ・リーグでは1966年の東映(前身球団)対阪急戦以来41年ぶり2回目の出来事)。翌日も延長12回で引き分け。開幕2連戦の引き分けはパ・リーグでは1974年のロッテ対阪急戦以来33年ぶり2回目の出来事。
5月17日、田中幸雄が球団の生え抜きとしては初の通算2000本安打を達成。同時に背番号の6を永久欠番とすることが検討される。
6月5日、球団新記録である14連勝を達成。さらに、交流戦の連勝記録である12連勝を達成。また14連勝中、木下、金森、吉川がプロ初勝利。
6月15日、大リーグドジャース傘下、3Aラスベガス所属のスラッガーミッチ・ジョーンズを新外国人として獲得。
6月23日、阪神戦を制し、阪神甲子園球場で日本生命プロ野球セ・パ交流戦初優勝を決めた。交流戦MVPはライアン・グリンが獲得。交流戦は18勝5敗と大きく勝ち越した。交流戦パ2位(全体4位)のロッテは13勝10敗、交流戦前首位だったソフトバンクは交流戦パ6位(全体9位)11勝13敗と、交流戦で他球団に大きく差をつけることになった。
6月25日、オリックスとのトレードで木元、清水を放出し、萩原淳と歌藤達夫を獲得。
8月9日、ダルビッシュが試合後のヒーローインタビューで婚約を発表。
8月14日、金子誠が通算200犠打を達成。
9月8日、ヒルマン監督が今季限りでの退任を表明。
9月19日、楽天戦に6-0で勝利し、この年から導入された「クライマックスシリーズ」の出場権を両リーグ一番乗りで獲得。
9月28日、西武戦に11-7で勝利。西武に対して20年ぶりの勝ち越しを決めた。
9月29日、ロッテ戦に9-1で勝利し、球団初のリーグ2連覇を達成した。

2007/09/30 19:29 | 未分類
ナイジェリアの手紙という国際的詐欺の手口
この手の詐欺の原型は、16世紀の「スパニッシュ・プリズナー(スペインの囚人)」や日本の「M資金詐欺」にあるが、1980年代半ばからナイジェリアから先進国を狙った手紙・ファックスを使った信用詐欺がおこり、他のアフリカ諸国や欧米に住むナイジェリア人らも巻き込んで世界に広がった。

もともと詐欺師たちは、1980年代には企業オーナーや教会指導者ら個人に手紙を送り話を持ちかけていたが、電子メールの発達にともない、低いコストで不特定多数の一般人に対して詐欺を仕掛けることが可能になった。

2001年ごろから世界中でこの「ナイジェリアからの電子メール」による被害が多発し、日本の個人のメールボックスにも英文で書かれた丁寧な申し出が多数届くようになり読むものを困惑させている。

手口
手紙、FAXあるいは電子メールの差出人は、無差別に送るメール等の中で「大量の資金を持つ人が、その金を安全に持ち出す方法で困っている。あなたの口座を貸してもらえないだろうか?」と丁重に呼びかける。

差出人は非常に貧しく腐敗した国に住んでおり、その人も自らの窮状を訴えかける。
差出人は、アフリカ地域の政府や中央銀行、石油会社、軍の財務・経理に携わる高官(または元高官)、失脚したアフリカの政治指導者、自称米軍司令官、あるいはそれらの親戚・関係者だと名乗ったりする。
差出人は、日本円にして数億円から数十億円に及ぶ資金を持っている。政治上の特権や、政府の腐敗を利用し不正に横領し蓄財したものであり、それゆえだれもその存在を知らないそうである。ただしこの資金を世界で自由に使えるようにするため、一旦警察にマークされていない安全な口座に移す「資金洗浄」を行い、そこから再度資金を別の口座に移したいらしい。
そのため、メールを読む人の口座を貸してほしい、また送金のため、わりと大きな額の「手数料」を出してほしいというのが本題である。
メールを読んで協力を決意した人には一旦お金の負担をかけてしまうが、資金が自由になれば、その何パーセントかの御礼(それでも巨額である)をするという。
例としては、コンゴ民主共和国(旧ザイール)のかつての独裁者モブツ・セセ・セコの息子を名乗り、隠してある数百万ドルもの不正蓄財の移動を手伝ってほしいと訴えるものがある。

また、アンゴラ共和国反乱軍リーダーの娘と名乗るものでは、死亡した父親の遺産数百万ドルが政府に没収されないよう協力してほしいと呼びかける。

ナイジェリア石油公社の関係者を自称するものでは、数百万ドルの裏金をナイジェリアの国外に持ち出す処理を行うために口座を利用させてくれれば、成功報酬としてその30~40%を支払うというものである。

こうして、差出人に同情した者、または「アフリカならそんなこともあるだろう」と汚い金の運搬に少し手を貸して巨額の金をもうけようと考えた者は、自分の口座を教え、さらに指定された口座に送金手数料を振り込むが、予定の期日になっても自分の口座に大金は振り込まれず、それどころか口座が不正アクセスされて1銭残らずからっぽになってしまい、はじめて騙されたと気づくわけである。被害者は、マネーロンダリングに飛びついたという後ろめたさから、被害届を出すことが少ない。

その舞台となる国はほとんどがナイジェリアだが、ほかにもジンバブエ、ガーナ、コートジボワール、南アフリカその他西アフリカ諸国が使われる。また詐欺の発信元は、アムステルダム、ロンドン、マドリード、トロントなどアフリカからの移民が多く住む国も多い。

2007/09/29 15:53 | 未分類
日本スポーツ界における筋力トレーニング
日本スポーツ界では『柔よく剛を制す』の言葉に表れているように、テクニックを重視しパワーを軽視する傾向が見られた。 そのため最近まで、「日本人の筋肉アレルギー」と揶揄されるように、筋力トレーニングを導入する事に抵抗を感じるスポーツの指導者が多かった。

筋力トレーニングによって起きる弊害とされてきたものには

身体が硬くなる
スピードが落ちる
見せかけだけの身体になる
疾病に対する抵抗力が下がる
筋力トレーニングで得たパワーは、実際の競技では役に立たない
などがあり、こうした情報による指導者の筋力トレーニングへの無理解が、結果として各種競技の国際大会における日本人選手の低迷を招いてしまった。

だが、近年は指導者の世代交代が進んだ事により、筋力トレーニングが本格的に導入されるようになっている。

外国人スポーツ選手のなかには、練習内容の半分以上を筋力トレーニングが占める者も珍しくなく、日本人スポーツ選手も科学的な筋力トレーニングを導入する傾向にある。

またスポーツの為だけでなく、海外、特にアメリカなどでは日本と違い、筋肉隆々な逞しい男性が女性に好まれる傾向があるので、年頃の男性の多くは意中の女性の興味をひく為、自分を磨く為にトレーニングに打ち込む

2007/09/29 15:40 | 未分類
食品衛生法
日本において飲食によって生ずる危害の発生を防止するための法律である。食品と添加物と器具容器の規格・表示・検査などの原則を定める。

連合国軍最高司令官総司令部指令により占領期の昭和22年(1947年)12月24日に成立、昭和23年(1948年)1月1日施行。

構成
第1章 - 総則
第2章 - 食品及び添加物
第3章 - 器具及び容器包装
第4章 - 表示及び広告
第5章 - 食品添加物公定書
第6章 - 監視指導指針及び計画
第7章 - 検査
第8章 - 登録検査機関
第9章 - 営業
第10章 - 雑則
第11章 - 罰則

法律の目的とその変遷
現行の食品衛生法はその目的を以下のように定めている。

(目的)
第一条
この法律は、食品の安全性確保のために公衆衛生の見地から必要な規制その他の措置を講ずることにより、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、もつて国民の健康の保護を図ることを目的とする。
食品衛生法は2003年(平成15年)5月30日に制定以来初めてといえる大改正が行われた。 これは雪印集団食中毒事件やBSE問題の発生とそれに対する行政の対応に対する国民の不満が背景にあった。それ以前の第一条は、

(目的)
第一条
この法律は、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的とする。
となっていた。 太平洋戦争(大東亜戦争)終戦直後、日本では食糧不足と流通の混乱のために不良食品が大量に出廻り健康被害が多発した。当時の不良食品の存在は人命に直接かかわることであり、食品衛生法はこの状況を改善するために制定された。しかし、その後の復興と成長に伴い、日本の衛生レベルも飛躍的に高くなり、行政に要求されるものも自ずと変わってきた。2003年の法改正は「健康の保護」というより高い目標設定とそれを実現するための「必要な規制その他の措置」という行政の役割を明確化していることが特徴である。なお、この改正とほぼ同時期に食品安全基本法が新たに制定されている。

新しい食品衛生法のあらまし

2007/09/29 13:39 | 未分類

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