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2024/04/26 15:29 |
サンライズ出雲
西日本旅客鉄道・東海旅客鉄道が東京駅~出雲市駅間を東海道本線・山陽本線・伯備線・山陰本線を経由して運行している寝台特急列車。

1998年7月10日、当時2往復存在した寝台特急「出雲」の内の1往復をブルートレインから285系電車に置き換え、走行経路を一部区間非電化の山陰本線廻りから、全線電化がされている伯備線廻りに変更する形で登場した。

2006年3月現在、「サンライズ出雲」は首都圏と伯備線を介して岡山県・鳥取県西部・島根県東部を結ぶ役割を担っている。また、下り列車では、岡山→出雲市への一番列車になることから、「ノビノビ座席」の設定があることもあって岡山や倉敷から乗車する客も若干いるようだ。

2006年3月17日(発車)までは、JR東日本の車両で運行する山陰本線経由の「出雲」とJR西日本・JR東海の車両で運行する伯備線経由の「サンライズ出雲」の2系統であった。

しかし、電車列車である「サンライズ出雲」と客車列車「出雲」との経由地・列車の速度設定の違いや、車両の就役時期の違いにより「サンライズ出雲」の方が「出雲」より利用率が高いことから、客車列車「出雲」については2006年3月17日の東京・出雲市発の列車をもって廃止された。但し鳥取県は、鳥取駅から東京駅へ直通する列車の消滅を理由に、廃止には最後まで反対した。

「出雲」の廃止により、東京駅を発着する単独運転の寝台特急列車は消滅した。同時に、定期列車から食堂車オシ24形の運用、またEF65形電気機関車の寝台特急牽引も併せて消滅する格好となっている。

最終の下り列車は24系25形客車が後述のとおりJR東日本が所有しているため所属先の尾久車両センターへ返却回送する必要があり、2006年3月18日定刻より23分遅れの午前11時20分に出雲市駅に到着した後、すぐに出雲鉄道部出雲車両支部へ回送され、しばらく停泊した後、18日の深夜から19日の未明にかけて山陰線を走行、途中京都総合運転所にて日中停泊したのち、19日の深夜から20日未明にかけて田町車両センターへ返却回送され同日午後尾久車両センターに到着した。

返却回送は鉄道ファンが列車の運行を乱す恐れがあるため夜間に行われたが、途中京都総合運転所までの間では回送にもかかわらず牽引機のDD51形機関車に出雲のヘッドマークが付けられささやかなファンサービスが行われた。

1928年12月25日 - 福知山線・山陰本線経由で、下り・大阪駅発浜田駅行、上り米子駅発大阪駅行の昼行準急行列車(料金不要、現在で言う快速列車)を上下各1本新設。山陰本線・福知山線にはそれまで優等列車が存在せず、これが両線で初めての速達列車となる。愛称はなかった。
1935年3月15日 - 上記の準急行を急行列車に格上げして再編成、上下列車とも出雲今市駅(現・出雲市駅)から大社線に直通し、大阪駅-大社駅間運転とする。最速の上り列車は同区間の所要8時間20分。和食堂車を連結した。
1943年2月 - 太平洋戦争の激化に伴い廃止。
1947年6月 - 大阪駅-大社駅間昼行準急列車として復活運行を開始。この時点でもまだ列車に愛称はなかった。
1951年11月25日 - 大阪駅-大社間駅準急が急行に格上げされ、初めて「いずも」と列車愛称を与えられる。編成の一部が大阪から東京駅-宇野駅間急行「せと」に併結されて東京駅まで直通したため、東京駅-大社駅間列車となる。
1954年 - 大阪駅から浜田駅発着の編成を連結開始。なお、出雲市-浜田間は快速列車として運行される。
1956年11月 - 列車名を「いずも」から漢字の「出雲」に改称。また、急行「せと」との併結を取りやめ、東京駅-大社駅間を単独運転開始。
1961年3月1日 - 浜田編成も浜田駅までの全区間を急行列車とする。
1961年10月1日 - 白紙ダイヤ大改正により大阪経由を取りやめ、京都-福知山間を山陰本線(園部駅)経由に変更。従来の大阪-山陰連絡列車の役割を捨て、東京-山陰間直通列車としての性格を強める。
1972年3月15日 - 急行「出雲」を特急に格上げし、20系客車による寝台特急「出雲」運行を開始。運転区間は東京駅-浜田駅間。
牽引機は東京駅 - 京都駅間がEF65形、京都駅 - 浜田駅間がDD54形だったが、DD54形が使用中止となった為、DD51形に変更。
1975年3月10日 - 「出雲」24系客車化。また、急行「銀河下り1号・上り1号」を格上げし系統立替えにより、寝台特急「いなば」運行を開始。運行区間は東京駅-米子駅間。
「いなば」は東京駅-名古屋駅間は特急「紀伊」を併結。「あさかぜ」1往復削減で捻出された14系を使用。食堂車が編成に組み込まれていたが、当初より非営業であった。
1976年 10月- 「出雲」24系25形化。「はやぶさ」・「富士」と同時で、東京発着の定期寝台特急初の2段B寝台投入。個室A寝台(後のシングルデラックス)も同時に連結。
当時の「出雲」は国鉄有数の寝台券入手が困難な人気列車で知られ、定員減でそれが更に強調される結果となった。
一方「いなば」は、14系寝台車の難燃化改造工事への対応策とはいえ、B寝台車が座席車1~2両に代替された時期もあった。
1978年1月- 博多「あさかぜ」の24系(25形)化に伴い、食堂車の運用を捻出するため、食堂車は浜田までの本編成から出雲市回転の付属編成へと変更となった。この措置は共通運用の「富士」・「はやぶさ」についても同様に行われた。
食堂車については増備を行わない方針であったため、運行時間が丸一日となる「富士」「はやぶさ」の食堂車を途中折り返しとすることで東京に戻る日を一日早めることができた。「出雲」は運行時間から言えば変更によるメリットはなかったが、「富士」「はやぶさ」との共通運用である側杖を被った格好であった。
1978年10月1日 - 「いなば」の運転区間を出雲市駅発着とし、「出雲2・3号」となる。従来の東京駅-浜田駅間運行の「出雲」は、「出雲1・4号」となる。
1984年2月1日 - 「紀伊」廃止により、「出雲2・3号」が単独運転開始。また時期を並行し、使用する14系B寝台車を2段化改造、約半年後に完了。
1987年4月1日 - JR分社化に伴い、24系客車による「出雲1・4号」を東日本旅客鉄道(JR東日本)が、14系客車による「出雲2・3号」を西日本旅客鉄道(JR西日本)が管轄する共同運行列車となる。
1989年 - 「出雲2・3号」に3段B寝台車が1両のみ復活。高速バスに価格対抗した「出雲B3きっぷ」が山陰で発売されるのに合わせたもの。
1991年 - 「出雲2・3号」にA寝台個室・B寝台個室を連結。「出雲1・4号」の食堂車が営業を休止。
1993年9月 - 山陰本線園部駅-福知山駅間電化・高速化工事に伴い、「出雲1・4号」のうち下り1本(1号)を伯備線経由に変更。上り(4号)は山陰本線経由で運行。
1995年12月 - 「出雲1・4号」のうち下り1本(1号)を元の山陰本線経由に変更。
1998年7月10日 - 285系電車(サンライズエクスプレス)導入に伴い、以下のように変更。
JR西日本管轄の1往復(2・3号)をサンライズエクスプレスによる電車化を行い伯備線経由に変更。「サンライズ出雲」として運行開始。また、東京駅-岡山駅間は、「サンライズ瀬戸」を連結する。
JR東日本管轄の1往復(1・4号)は、出雲市駅-浜田駅間を廃止。東京駅-出雲市駅間を山陰本線経由で運行となる。
この改正で、下り客車「出雲」は旧3号の時間帯となり、名古屋駅から「出雲」で山陰方面への利用ができなくなったため、名古屋の民放で「サンライズの名古屋飛ばし」とニュース報道した局があった。
2005年3月1日 - 「出雲」の東京駅-松江駅間で行われていたブルトレ便を廃止。
2006年3月18日 - 車両の老朽化、利用客の減少などの理由により「出雲」廃止。
これに伴い、「サンライズ瀬戸」、「サンライズ出雲」が上郡駅に新規に停車し、鳥取県東部からの利便性を図るため(救済の意味合いが強い)、「スーパーいなば91・92号(サンライズリレー号)」が上郡駅で接続したが、兵庫県但馬地方および京都府両丹地区に向けて、サンライズリレー号的列車は設定されなかった。
2006年3月25日 - 姫路駅の改良工事によって、姫路~出雲市間で3時間程度の遅れが発生。

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2007/09/27 13:29 | 未分類

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