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2024/05/07 06:10 |
アラン・ドロン、SMAP×SMAP出演
仏俳優・アラン・ドロン(71)がフジテレビ系バラエティー「SMAP×SMAP」拡大スペシャル(10月8日・後9時)にゲスト出演する。

人気コーナー「ビストロSMAP」に参加するためだけに6年ぶりに来日したアランは木村拓哉(34)、稲垣吾郎(33)に対し、若さを保つ秘けつとして女性と付き合うことを挙げ、「実践してください」とリクエスト。2人は「はい、分かりました」と即答していた。

アラン・ドロン
パリ郊外ソー(Sceaux)の生まれ。幼い頃両親が離婚し、母方に預けられるも再婚した義父と合わずインドシナへ出兵した。その後各地を放浪し、転職を繰り返しながら有名人と知り合い、ハリウッドの映画プロデューサーにスカウトされるも断り、1956年のフランス映画『女が事件にからむ時』でデビュー。

1959年、「恋ひとすじに」で共演した西ドイツの若手スター、ロミー・シュナイダーと同棲し婚約するも数年後に破棄。1960年、ルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい』に主演。ニーノ・ロータの曲と共に大ヒットし世界的スターとなる。同年、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』がヒット(これらの作品は全て野沢那智が吹き替えを担当している)。その後も多くのフランス映画・イタリア映画・アメリカ映画に出演し、自身が出演する作品のプロデュースも手がけるなどして活躍。

1963年、ナタリー・バルテルミー(後に女優となるナタリー・ドロン)と結婚しアメリカに移住するが、アメリカの映画界では成功できなかった。1966年、フランスへ戻る。ナタリーとは、やがて離婚。その後、ミレーユ・ダルクと長い愛人関係にあった。1987年にドイツ人モデル、ナタリー・ヴァン・ブレーメンと出会い、籍は入れず、アヌーシュカとアラン・ファビアンの2子をもうけるが、2002年に別れた。

ドイツ人のモデル・歌手のニコとの関係も有名である。ニコは長男クリスティアンを生むが、彼は今だに認知をしていない。(クリスティアンはドロンの実母に育てられたうえ、容姿もドロンそっくりである。)

日本での人気は絶大であり、世のおばさん達からは「ドロンちゃん」と呼ばれることもあった。 1976年の太田裕美の曲『赤いハイヒール』(作詞・松本隆)では、少女がボーイフレンドをアラン・ドロンと比べるという描写がある。日本ではCMにも出演しており、ダーバン (D'URBAN)やマツダ・カペラのCMが特に有名。(カペラにはCM出演のみならずアランドロン・バージョンすら存在した)

本国フランスではジャン=ポール・ベルモンド(ドロンとは友人)の方が評価は高い。

1970年代より、自身の名をブランド名にした香水のプロデュースに注力、ことに男性用香水SAMOURAI・SHOGUN・47SAMOURAIは日本古来の風土・文化にインスピレーションされたネーミング・ボトルとパッケージのデザイン・調香から日本でも絶大な人気・好評を博している。

1998年公開の『ハーフ・ア・チャンス』を最後にハリウッド映画からの引退を公言したが、本国フランスにおいてはテレビドラマや映画、舞台など幅広く俳優活動を継続しており、2007年にはベストセラー小説『マディソン郡の橋』の舞台化作品への出演が決まっている。

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2007/09/24 13:38 | 芸能

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