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2024/04/20 05:17 |
NSX開発経緯
発売から6年半前の1984年、本田技術研究所がホンダ車のトレンドであるFF(フロントエンジン・フロントドライブ)以外の駆動方式の基礎研究を進めていくうち、MR(ミッドシップエンジン・リアドライブ)駆動方式を開発したことから始まる。それを当時のアメリカ市場からのニーズや参戦しているF1と量産市販車をつなぐ存在に応える形でのスポーツカー開発へ転化された。開発責任者は、先述のMR駆動方式を開発研究していた上原繁が担当。操縦安定性を専門に研究していた上原氏の意志でハンドリングに拘ったスポーツカーを目指すことになり、軽量なオールアルミボディーの採用など、NSXのアイデンティティーとなる革新的な技術が開発・採用されるに至った。

開発に当たっては欧州のスポーツカーなどが比較対象になったが特にフェラーリのV8モデル、F328を越える走行性能を目指し開発された。当時個体性能差が大きかったフェラーリF328を何台もデータ取りの為に購入した。

開発段階からアイルトン・セナや中嶋悟など、当時ホンダがF1にエンジン供給していたチームのF1ドライバーが走行テストに参加。開発中の車両をテストした彼らからボディー剛性の低さを指摘された為、過酷なコースレイアウトで有名なドイツのニュルブルクリンク・サーキット等で長距離高速走行テストを繰り返し実施した。その結果、当時世界初のオールアルミ製軽量高剛性ボディーが完成した。

搭載するエンジンは開発中に様々な案がだされ、当初は軽量スポーツカーのパッケージング案として4気筒2000ccが提案された。しかし、社内事情やアメリカ市場を見据えたリサーチなどで頓挫し、開発最終段階ではV型6気筒3000ccのSOHC4バルブとなる。だが、市販化までの間にインテグラ用に開発中だった新機構搭載のエンジン、DOHC VTECが完成。これまでレーシングカー等でしか出せなかった自然吸気エンジンでリッター100馬力という高出力を市販車で達成した点などがユーザーや自動車評論家などに高い評価を受けた。これを受け、急遽エンジンをDOHC VTEC化するよう指示が出されたが、開発者の上原繁氏曰く「SOHC版エンジンもかなり良かった」との事。DOHC化によりシリンダーヘッドが大きくなる事からホールベースの延長を余儀なくされたが、エンジンを傾斜させ搭載することにより約60mm延長のところを最小限の30mm延長で済ませる事ができた。

NSXはホンダ初の大排気量スポーツカーであり、ミッドシップカーにもかかわらず、1990年の販売当初からその完成度は仮想敵にしたフェラーリと肩を並べるほどの評価を受けた。その為、当時フェラーリ自ら生産や開発の体制を見直したほどだった。唯我独尊であるフェラーリに唯一影響を与えた車として現在も評価されている。

1990年の販売開始時、バブル景気の真っ只中であった日本では注文が殺到した。当初は注文から納車まで半年待ち、一年待ちとも言われるほどの人気だったものの、その直後にバブルが崩壊。キャンセルが相次ぎ、以降は「見かけるだけでプレミアな車」のイメージが定着してしまった。クルマ好きにはバブルの特徴的な出来事として語り継がれている。

その後、不況とスポーツカー人気低下から販売数は減少を続け、2005年の生産中止発表直前にはNSXの月間生産数はわずか10台ほど(国内向けはその半分程度)まで落ち込んでいた。それでも完全受注生産であり、手作業で製造されることから納車には2ヶ月~3ヶ月半を要していた。同年7月の生産中止発表以降は駆け込み需要で注文が殺到し、わずか一週間ほどで生産予定枠の注文数を満たしたことから、早々に販売受付を打ち切った。

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2007/09/04 13:20 | 未分類

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