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2024/05/04 01:22 |
逮捕・監禁罪
刑法220条に規定されている罪。 不法に人を逮捕し、又は監禁する行為が犯罪となる。法定刑は3月以上5年以下の懲役。 逮捕・監禁の結果として傷害または死亡の結果が生じた場合には、逮捕・監禁致死傷罪(同法221条)に該当する。

自由に対する罪の一種であり、人の身体・行動の自由を保護法益とするが、例えば熟睡していて逮捕・監禁されていると現実に認識していない人の自由まで保護されるかという点で学説の争いがある。

公務員が職権を濫用して人を逮捕・監禁した場合には特別公務員職権濫用罪(刑法194条)となる。また特別法として、逮捕・監禁した人を人質として第三者に行為を要求した場合に重く処罰する人質による強要行為等の処罰に関する法律がある。

行為
本罪に該当する行為は、逮捕または監禁である。逮捕と監禁は次のように区別されるが、いずれにせよ同一構成要件内の犯罪なので、その区別はそれほど重要ではない。 なお、「不法に」という文言は、業務行為として警官が行う適法な逮捕などは当然除外されるという意味の注意を促す趣旨である。


逮捕
逮捕とは、人の身体を直接拘束することによって、行動の自由を奪うことを言う。紐で身体を縛るなどがこれにあたる。


監禁
監禁とは、人を一定の限られた場所から脱出することを不可能に、あるいは著しく困難にすることによって、行動の自由を制限することを言う。 部屋に鍵をかけて閉じ込めるといった物理的な監禁のほか、入浴中の人間の衣服を持ち去ることによって、羞恥心のために浴室から出られなくする場合や、逃げれば殺すぞと脅迫を加えたり、人が高い木に登っているときに梯子を持ち去ったりすることによって恐怖心から脱出できないようにする場合など、心理的な監禁を含む。

ただし、監禁というためにはそこから脱出するために身体・生命に危険が及ぶような場合でなければならないとして、入浴中に衣服を持ち去ることは監禁には当たらないとする見解がある。


継続犯
本罪は逮捕・監禁の状態を維持している間は犯罪が継続する継続犯である。従って、逮捕・監禁中の被害者の反撃は正当防衛となり得る。

継続犯であるので、多少の時間にわたって逮捕・監禁が継続していることが必要となる。瞬間的に羽交い絞めにして行動の自由を奪っただけであれば暴行罪になるに過ぎない。


客体
本罪は人の身体・行動の自由を侵害する罪であるから、客体も単に人であるだけでは不十分で、身体・行動の自由を有する自然人に限られるとするのが通説的見解である。 自らの意思で自由に行動することの出来ない乳児や高度の精神病者などは客体から除外される。


「現実的な自由」と「可能的な自由」
被害者が熟睡や泥酔のために一時的に自由な意思活動を行えない状態にある場合にも客体として保護されるかという点が問題となる。 熟睡している被害者のいる部屋を一時的に外から施錠し、目が覚める前に開錠した場合に監禁罪が成立するのかという事例で議論される。

学説は、現実に移動の意思があるときに移動できる自由という「現実的な自由」が侵害されることが必要とする立場(現実的自由説)と、もしも移動しようと思ったのであれば移動できる自由という「可能的な自由」あるいは「潜在的な自由」の侵害であれば良いとする立場(可能的自由説)が対立している。

現実的自由説は、自由の意識を欠く者の自由を侵害することはできないということを根拠として、現実に被害者の身体・行動の自由が侵害されることが必要であると考える。この説によれば上の事例は、単に鍵をかけただけでは監禁罪は成立せず、被害者が目を覚まし、自分が閉じ込められているという現実的な認識を得た時点から監禁罪が成立することになる。従って、施錠から開錠までの間に被害者が一度も目を覚まさず、自由が侵害されていることを現実には認識しなかった以上、監禁罪は成立しない。

一方、可能的自由説は、客観的に見て人の意思活動の自由を制限する危険があれば足りるとして、被害者が現実に自由を侵害されていると認識することまでは必要がないと述べる。そう考えると上の事例は、仮に「監禁」中に被害者が目を覚まして部屋から出ようとしたら、それが不可能だったのであるから、可能的な自由が侵害されている言える。よって、現実には被害者が監禁の事実を認識しなかったとしても、施錠した時点から監禁罪が成立する。

多数説は可能的自由説であるが、本罪は危険犯ではないなどとして、現実的自由説からの厳しい批判がある。


錯誤の問題
被害者が錯誤により、逮捕・監禁されているという事実を認識していない場合に、逮捕・監禁罪が成立するかどうかが争われている。 ここでも、保護法益を「現実的な自由」と見るか「可能的な自由」と見るかにより異なった帰結が導かれ、学説が対立している。

典型例としては、犯人が強姦の意図を隠して被害者を車に乗せたが、被害者は強姦目的だなどとは知らなかったため、降車を要求することもなく、自らが監禁状態にあることを全く認識していなかった、というケースである。

可能的自由説は前述のように、被害者の認識を不要と考える。そのため、被害者が監禁されていると認識していないこのようなケースでも、客観的・社会的に見て監禁と評価できる行為であれば監禁罪の成立を認める。

一方現実的自由説に立てば、被害者が現実的な自由の侵害を認識することが必要なので、このようなケースでは監禁罪は成立しない。もっとも、被害者が監禁されていることに気づき、降車を要求したのにも関わらず監禁状態を継続すれば、その時点からは監禁罪となる。

これが問題となった事件で判例は、被害者に監禁の認識は必要ないとして、監禁罪の成立を認めている(広島高判昭和51年9月21日刑月8巻9=10号380頁)。


逮捕・監禁致死傷罪
故意の逮捕・監禁行為から過失により死傷の結果が生じた場合に重く処罰する結果的加重犯である。 監禁されている被害者が脱出のために高所から飛び降りて死亡したような場合がこれに該当する。

傷害の罪と比較して、重い刑により処断される。すなわち、致傷については逮捕・監禁罪と傷害罪の法定刑を比べ、致死については逮捕・監禁罪と傷害致死罪の法定刑を比べ、下限・上限ともに重いほうを選ぶということである。具体的には、致傷の場合は「3月以上15年以下の懲役」、致死の場合「3年以上の有期懲役」となる。
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2007/09/20 13:28 | 未分類

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