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2024/05/14 08:30 |
日本一参拝客の多い神社、明治神宮
明治45年(1912年)に明治天皇が崩御し、続いて大正3年(1914年)に皇后であった昭憲皇太后が亡くなると、その遺徳を偲ぶ国民から夫妻を祭る神社を求める機運が高まった。これを受けて政府は神社奉祀調査会を設置して審議し、大正天皇の裁可を受けて大正4年5月1日、官幣大社明治神宮を創建することが内務省告示で発表された。明治天皇が「うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ」と詠んだ代々木の南豊島世伝御料地を境内地として造営が行われた。大正9年(1920年)11月1日に鎮座祭が行われた。東京都渋谷区の代々木に鎮座するまでには、さまざまな自治体が名乗りをあげ、現在の埼玉県の飯能市の朝日山に明治神宮を鎮座し、明治天皇が登られた同市の「天覧山」一帯を神宮の外苑にしようとの計画があった事もいわれていた。

昭和18年(1943年)に外苑にて出陣学徒壮行会が開催され雨のなか、約7万の入隊学徒が行進した。昭和20年(1945年)の空襲の際に社殿のほとんどが消失したが、昭和33年(1958年)に再建され、近年の初詣では、大晦日から正月三ヶ日の間で三百万人前後にものぼる日本一の参拝者を集めている。そのため、警察庁警備局主導の集中警備本部が設置され多くの警察官が警備にあたる。

第二次世界大戦後は宗教法人神社本庁の被包括宗教法人となり別表神社に指定されていたが、平成16年(2004年)に神社本庁との包括関係を解消し、単立神社となった。通常であれば単立神社に移行した神社に所属する神職の神社本庁から与えられた資格(階位など)は抹消されるが、明治神宮の宮司がしばらくしたら神社本庁に合流すると神社本庁に確約したため、特別に神職の資格はそのままとされていた。しかし、その特別措置は平成18年(2006年)8月末日をもって終了した。

内苑と外苑に分かれており、内苑には日本各地や朝鮮半島・台湾からの献木365種約12万本が計画的に植えられた。昭和45年(1970年)の調査時には247種17万本となっていて、都心部の貴重な緑地として親しまれているだけでなく、人工林が自然化したものとしても注目されている。設計は林学の本多静六、本郷高徳、上原敬二、農学/造園の原熈、折下吉延。

明治神宮外苑は明治19年(1887年)に近衛師団、第一師団に所属する部隊の教練場として作られた、青山練兵場の跡地に明治天皇崩御の後に造営されたもの。東京都新宿区、港区にわたり、国民の献金によって絵画館・憲法記念館(戦後は明治記念館)・陸上競技場・野球場などを備えた公園施設として整備された。
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2007/09/17 15:34 | 未分類

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