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2024/05/08 21:13 |
安倍晋三の人物像
成蹊小中高を経て、平沢勝栄を家庭教師に迎え、成蹊大学法学部政治学科卒業。在学中はアーチェリー部に所属。のち南カリフォルニア大学留学(未卒業)。神戸製鋼勤務の後外務大臣であった父の秘書官等を経て1993年衆議院議員に当選。
2002年2月、大学の講演で「小型であれば原子爆弾の保有も問題ない」、講演終了後の懇談会で「北朝鮮など核攻撃で焦土にしてやる」と発言。但し、小型原爆の「小型」の意味するところ、性能の程度は明示されておらず、更に講演の後の国会の答弁では資料を見ながらTNT火薬(火薬の代表として、核爆弾の威力を表す単位「TNT総量」に使用されている)をNTT火薬と誤読した。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致問題の真相究明に積極的な姿勢で、中山恭子内閣参与とともに拉致被害者と政府の信頼関係を築き対北朝鮮外交で強硬路線を主張した。この後、2003年9月小泉純一郎によって自民党幹事長に抜擢される。
幹事長時代には所謂「餅代」「氷代」の廃止、公募制の導入など党改革に着手。2004年の参議院選挙では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席だったが、しばらく現職に留まった後で辞任したが、9月から後任の幹事長・武部勤の強い要請を受け党幹事長代理に就任。
自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補(俗に言う麻垣康三)の一人であり、2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣では内閣官房長官を務める。奇しくも、同じく官房長官を務め、ポスト竹下登の最有力と言われた父と同じ道を歩むことになった(父・晋太郎は病に倒れてその座を射止めることはできなかった)。
「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」会員、元事務局長。現在中川昭一と共に顧問をつとめる。これに関連し、NHKで女性国際戦犯法廷について取り上げた番組について、放映前に中川とともにNHKに対し、圧力を加え、内容を修正するよう迫ったと報道される(2005年1月12日付け朝日新聞)。安倍は否定し、「NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」と主張した。朝日新聞もその事実を改めて確認することはできなかったと報道したが、謝罪はしていない。魚住昭は朝日の流出資料を基に『現代』9月号で圧力はあったと結論づけ、安倍を批判した。しかし、朝日が情報流出を謝罪しただけに終わっている。
歴史認識を巡って反日騒動が起こった中華人民共和国(中国)と大韓民国(韓国)の態度を厳しく批判し、日本と中・韓との対立の一因ともなっている靖国神社へも参拝している。その姿勢は保守派を中心とした支持を得ている。又、自民党の山谷えり子らと共にジェンダーフリーの批判等も行ったり、憲法改正に関しては集団的自衛権の容認を打ち出す等、保守色の強い動きもある。その為、安倍を「タカ派」と評す者も居る。
大変に寒がりで小池百合子環境大臣の音頭でスタートしたクール・ビズの一環である「国会内はワイシャツ・ノーネクタイ」が導入された当初背広で通していた。
2002年、政治経済部門でベストドレッサー賞受賞。一族では大叔父の佐藤栄作が1973年、兄嫁の父である牛尾治朗が1981年に受賞している。

家族 親族
祖父・寛(政治家)、岸信介(政治家、首相)。
大叔父・佐藤栄作(政治家、首相)
父・晋太郎(政治家)
兄・寛信(妻はウシオ電機会長・牛尾治朗の娘)
弟・信夫(岸家へ養子)
妻・昭恵(第5代森永製菓社長・松崎昭雄の娘、第3代森永製菓社長・森永太平の孫)

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2007/08/27 21:41 | 未分類

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