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2024/05/05 15:10 |
夕張市
かつては石狩炭田の中心都市として栄えた。夕張メロンの産地として有名。2006年深刻な財政難のあおりを受け、2007年3月6日をもって財政再建団体に認定された。

空知支庁南東部の山あいに位置する。人口は市域の西側、紅葉山地区から夕張地区まで、谷間を縫うように走る石勝線夕張支線に沿って集中している。市役所は過去に夕張炭鉱があった谷合いの集落の最北部に設置されている。

夕張山地と空知山地に跨る石狩炭田の南部に位置し、かつて市域に多くの炭鉱があった。市域東側には山林が広がり、その山林や集落部から流れる川は南部で合流し、夕張川として南部を渓谷を作りながら流れている。

山 夕張岳(1668m)、冷水山(702m)
河川 夕張川
湖沼 シューパロ湖(人工)

財政難に陥った経緯
かつて夕張は炭鉱の街として栄えたが、「石炭から石油へ」のエネルギー政策転換により、次々と炭鉱が閉山されていった。1990年には最後の三菱南大夕張炭鉱が閉山し夕張から炭鉱がなくなった。これにより、炭鉱会社が設置した鉱員向けのインフラを市が買収する。1982年、北炭が所有していた夕張炭鉱病院を市立病院移管に対して夕張市は40億円を負担している。さらに北炭は、夕張新炭鉱での事故を理由に、鉱産税61億円を未払いのまま撤退(倒産で払えなくなったとも)。また、北炭・三菱は炭鉱住宅5000戸(市営住宅に転換)や上下水道設備などを夕張市に買収してもらい、額は151億円に達した。結果「炭鉱閉山処理対策費」は総額583億円に達した。

市は、中田鉄治元市長時代に石炭産業の撤退と市勢の悪化に対し、「炭鉱から観光へ」とテーマパーク、スキー場の開設、映画祭などのイベントの開催、企業誘致により地域経済の再生、若年層を中心とする人口流出の抑止、雇用創生などを図ったが振るわず、逆に過大な投資や放漫な経営が累積赤字として重くのしかかり、市の財政を圧迫していった。

産炭地域振興臨時措置法(以下、産炭法)が2001年に失効したことなどで、財政状況がさらに悪化、その後ほぼ破綻(はたん)状態にあったことが表面化し、2006年6月20日に後藤健二前市長が定例市議会の冒頭で、財政再建団体の申請を総務省にする考えを表明した。この時点では、2006年度決算を以て申請し2007年度から財政再建団体になる予定であった。

一時借入金などの活用により表面上は財政黒字となる手法をとったため、負債がふくれあがっていった。一時借入金残高は12金融機関から292億円、企業会計を含む地方債残高が187億円、公営企業と第三セクターへの債務・損失補償が120億円とされ、夕張市の標準財政規模(44億円)を大きく上回っていたため、一般的に10年とされる再建期間は、未知数であった。

また、市長の表明後、「空知産炭地域総合発展基金」から14億円の借り入れをしていることが明らかになる(「ヤミ起債」問題・以下参照)など、違法起債等の粉飾まがいの決算がここ何年も行われていた疑いがあり、北海道が調査に乗り出し、既に2006年度決算で再建団体適用状態であったことが判明した。これを受け、市長は2006年7月25日に2006年度中の財政再建団体を申請する方針を表明した。道は同年8月1日に夕張市の財政状況の調査に関する「経過報告」を公表した。

道は、再建期間短縮等の観点から、赤字額の360億円を年0.5%の低利で融資(市場金利との差額は道が負担)、国も地方交付税交付金などによる支援を打ち出した。これらの動きにより、再建期間は18年間の見込みとなった。財政再建団体指定は、1992年の福岡県赤池町(現福智町)以来、北海道では1972年の福島町以来、市では1977年の三重県上野市(現伊賀市)以来となる。

なお、当時の後藤市長は、北海道新聞(2007年4月17日)の取材に対して、2006年6月10日に同紙に巨額負債を報じられる以前の2月に総務省に特別交付税の陳情に行った際に財政再建団体を覚悟したと語っている。予定では2007年度に再建計画を策定する予定であったが、同紙報道により前倒しとなった。再建計画が遅れれば、負債額はさらに膨らんでいた可能性があったことも示唆している。

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2007/09/10 13:26 | 未分類

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