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2024/05/05 10:13 |
イエローストーン国立公園
イエローストーンは世界最古の国立公園であり、ワイオミング州北西部を中心として3,470平方マイル(8,980平方キロ)にわたる。この国立公園は様々な間欠泉や温泉、地熱によるその他の見所で有名であり、グリズリーや狼、及びバイソン(バッファロー)やワピチの群れが生息している。ここは地上に残された数少ない手付かずの巨大温帯地帯生態系の一つであるイエローストーン圏生態系の中心になっている。

イエローストーン地区と人との関りは1万2千年前にまで遡り、地域内の大峡谷周辺の鉄分を含む黄色い石の存在から、インディアン達に “Mitzi-a-dazi”(「黄色い石のある川」の意)として知られていた。(黄色い色は一般に信じられている様に硫黄分の色ではなく、熱水作用によって変色した鉄分の色である。)


イエローストーン地域で産出される黒曜石は、一帯で狩猟していたインディアン達によって矢尻やナイフに利用されていた。それらの矢尻は遠くミシシッピ川周辺でも発見されており、イエローストーン周辺で生活していた部族と、はるか東方の部族との交易を示唆する物とされている。


1806年にルイス・アンド・クラーク探検隊を離れて猟師達に加わった元隊員のジョン・コルターが、非インディアンとして初めてこの地域を訪れたとされている。彼は又、クロウ族とブラックフット族の戦いに巻き込まれて負った重症の床で、この地を「火と硫黄」の地であると壊術している。しかしこの記述は熱に冒されていたためのうわごとだと捉えられ、人々はその土地の事を「コルターの地獄」と呼んだ。


1857年にイエローストーン地区を探検したジム・ブリッジャーは沸騰する泉や空高く飛び出す水、ガラスや黄色い石で出来た山の事を人々に話したが、ブリッジャーは法螺吹きとして通っていた為にほとんど信じてもらえなかった。しかし彼の話に興味を持った探険家兼地質学者のハイデンは、1859年にブリッジャーとアメリカ陸軍測量官のレイノルズを伴って2年の予定でミズーリ川上流の測量の旅に出かけた。一行はイエローストーン地区の入り口まで達したが、豪雪のために先に進めなかった。更に南北戦争のために探検は中止を余儀なくされ、ハイデンが探検を再開するのは11年後になる。


モンタナ測量長官ヘンリー・ウォシュボーン率いる探検隊は、後にイエローストーン国立公園初代管理官となったナサニエル・ラングフォードや陸軍派遣隊司令官グスタフ・ドーンと共に1870年に1ヶ月間イエローストーン地区を探検。地域の山などを名付け、標本を持ち帰った。


1871年、ハイデンは政府支援により大規模な2度目の探検隊を率いてイエローンストーン地区に赴いた。ハイデンはイエローストーンの総括報告書をまとめ、その中にはウィリアム・ヘンリー・ジャクソンによる写真や、トーマス・モランによる絵が含まれていた。このレポートによって議会はイエローストーン地区をオークションにかけて売却する案を変更し、1872年3月1日にユリシーズ・S・グラント大統領はイエローストーン国立公園を設立する法案に署名した。

1872年に世界で最初の国立公園として指定される。1978年、世界遺産に登録。

隣接する保留地を持つショーショーニ族、バンノック族などは、伝統文化としてイエローストーン内でのバッファロー狩りを年に数度行っている。

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2007/09/16 21:32 | 未分類

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