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2024/05/17 15:40 |
アンコール遺跡
アンコール遺跡群は現在のカンボジア王国の淵源となったクメール王朝の首都の跡である。

この地には、9世紀頃から数々の王建設が開始された。この遺跡に特に大きく関わったとされるのはスーリヤヴァルマン2世(1113-45年)とジャヤーヴァルマン7世(1181-1201年)と言われる。スーリヤヴァルマン2世は特にアンコール・ワットの建設を行い、その死後30年ほど後に王に就いたとされるジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムの大部分を築いたとされる。

しかし、ジャヤーヴァルマン7世が崩御した後のアンコールはアユタヤ朝の進入を度々受けその存在を侵され始め、その後ポニャー・ヤット王にはついにアンコールを放棄するに至った。

この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、技術の集積、または景観の優れた例。
これに対し国際記念物遺跡会議は以下のような推薦理由を付けている(要旨)。

アンコール遺跡は9世紀から14世紀にかけてのクメール美術のすべてを伝えていて、議論の余地のないほどの傑作である(1)。
アンコールで培われたクメール美術は東南アジアに大きな影響を及ぼし、その過程に置いて基本的な役割を演じた(2)。
9世紀から14世紀にかけてのクメール王朝は東南アジアの方向を大きく定め、当地域で政治的にまた文化的に先駆的な役割を演じた。その文明の遺物は煉瓦や石で出来た豊かな宗教建築に残っている(3)。
クメールの建築はインドの副大陸的な様式から、独自の文化を創造したり周辺の文化を取り入れたりして抜け出すことによって東南アジアの様式との境界線を作った(4)。

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2007/08/24 13:32 | 未分類

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