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2025/07/12 05:36 |
木村佳乃、ハリウッド進出?
ホラー映画「DREAM CRUISE」(12日公開、鶴田法男監督)に主演し、全編英語のセリフに初挑戦した女優の木村佳乃(31)が、スポーツ報知のインタビューに応じた。木村は「どんどん海外の作品にチャレンジしていきたいな、という自信がちょっとだけつきました」と米ハリウッド進出にも意欲を見せた。また、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた菊地凛子(26)に刺激を受けたことなどを語った。

ネイティブ(母国語として話す人)と言われても疑わないほど流暢(りゅうちょう)な英語。米ニューヨークで暮らしていたとはいえ、中学時代の2年半。普段から英語のトレーニングをしているのだろうか。

「全然してません(笑い)。出演が決まってからダイアローグ(会話)コーチのレッスンを受けて。相手役がネイティブだったのも初めてで、英語は彼に引っ張られた部分が大きい」

木村の役どころは、石橋凌(50)演じる資産家の妻。その不倫相手役がカナダ出身のダニエル・ギリス(31)だった。撮影を離れたところでも参考になった。「彼はマネジャーも付けずにたった一人で来て、休日は秋葉原を歩いていた。私もいつでも自分一人でできるようにしないと」

いずれは海外へという思いは強い。その自信もついてきた。「言語は違っても、お芝居で感じるところが必ずある。表現者として、どんどん海外の作品にチャレンジしていきたいな、という自信がちょっとだけついた。ハリウッド進出? そうですね」。菊地凛子の活躍にも「同じ日本人女優としてうれしかった。彼女の開いた道からあとへ続け、と思う」と刺激を受けた。

木村佳乃
血液型はA型。学歴は成城大学文芸学部英文学科卒業。学位は学士(文学)(成城大学)。
日本航空社員であった父親の転勤で乳児期はロンドン・中学時代はニューヨークですごした帰国子女。小学校から成城学園に通い、大学は成城大学文芸学部を卒業している。
ニューヨーク時代に映画やブロードウェイミュージカルに親しんだことが女優志望のきっかけとなった。
「幼少のころ、宝塚ファンの祖母から宝塚受験をすすめられていた」という長身(169cm)を生かし高校2年生のときアルバイト感覚で父親が勤務する日本航空のCMに出演。高校、大学時代はJJ、CanCamなどの読者モデルとして活躍していた。1996年、NHK総合テレビ「ドラマ新銀河 元気をあげる」で女優デビュー。その後女優と歌手の活動を並行して行う。
高校では、馬術部に所属し、全日本高校馬術選手権女子ジュニアで4位入賞。
28歳頃から髪型をおでこを全部出したものに変えた。
「もう一人の愛する家族」はシェットランド・シープドッグのソロちゃん。
30歳を越えた頃から大胆な露出(へそピアスや上半身セミヌード)を披露しておりイメージチェンジを図っていると思われる。
自他共に認める体育会系で、共演者やファンから「もう少し色気が欲しい」と言われている。
出演作品の関係などでの下ネタに類する演技・せりふ・本編以外のインタビュー等に対しても 意外なほどにあっけらかんとしているとのことで、外見とのギャップが 一部の人気を集める要因の一つともなっている。
祖父はJNTO(国際観光振興機構)の理事を務めていた。
母・姉は日本航空で客室乗務員として勤務していた。
かなりの負けず嫌いである。
ドリーム・クルーズで初共演する石橋凌は「木村佳乃さんは、流暢な英語で喋っていて羨ましかった」と言われた。
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2007/05/04 14:43 | 芸能人
相川七瀬、第2子妊娠
歌手の相川七瀬(32)が第2子を妊娠したことが2日、分かった。自身の公式ホームページで発表した。

現在妊娠6か月で「順調です」とつづり、レコーディングも続行するという。また「2007年7月7日、トリプル7で七瀬の日なのでライブイベントをやる」と意欲を見せた。相川は01年2月に一般男性と結婚し、同9月に長男を出産した。

相川七瀬
幼い頃から歌手になる夢を抱き、15歳のときエイベックスのオーディションを受ける。オーディション中、ずっと審査員たちをにらみつけていた。結果は不合格となったが、のちに相川のプロデューサーとなる織田哲郎に声をかけられる。しばらくは連絡はとろうとしなかったが17歳のときに高校を中退しアルバイトをしていた頃、織田哲郎に電話し、歌手デビューすることとなった。

1995年11月、レコード会社エイベックスから織田哲郎プロデュースの『夢見る少女じゃいられない』で歌手デビューをする。所属レーベルはcutting edgeのmotorodである。当時、ビーイングに籍を置きアーティスト活動していた織田哲郎のプロデュースであることや、初期の一部の曲ではビーイングのスタジオを利用していたり、ビーイングのスタッフを起用していた事から、ビーイング系のアーティストであると誤解されがちであるが、相川七瀬はビーイング系のアーティストではない。織田哲郎のバックバンドであった9thイメージでベースを担当していた事が縁で、元・BOØWYの松井常松がベースを弾いている。1996年にファーストアルバム「Red」リリース。現在までに270万枚を超すミリオンヒットを記録している。年末には紅白歌合戦に初めて出場した。2000年にはプロデューサーを布袋寅泰に変え、それまでとは異なる曲調のロックを歌うようになった。2001年にシングル2枚同時発売。結婚・出産。

その後、独学でセラピーに関する勉強を行い、2003年11月にはイギリスのオーラソーマのセラピストの最高位免許「ティーチャーレベル3」を取得。2004年4月にはセラピーや占星術に関連する学校を設立するなど多方面に進出している。

2005年にデビュー10周年を迎え、TVドラマ「87%」にレギュラー出演した。ドラマ出演は初めてであるが、ゴールデン帯の音楽番組には一切出演しない傾向になった。また、「七瀬の日」と題して7月7日にSHIBUYA-AXでライブを行い、サポートメンバーには元X JAPANのPATAや元LUNA SEAの真矢、元メガデスのマーティ・フリードマン、元hide with Spread BeaverのD.I.E.などが参加し大成功を収めた。

中学校の修学旅行では松田聖子の「赤いスイトピー」を熱唱。
実家がナインティナインの岡村隆史の実家(大阪市東淀川区)と至近距離にあり、同じ中学である。(笑っていいとも!より)
HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP内でのトークで、過去に実家近くの家具屋の倉庫からタンスを盗んだなどの万引き歴を告白。浜田雅功から「(万引きじゃなくて)窃盗やないかい」と指摘されるが、あびる優のような問題には発展せず。
酢豚が大好き。タレントの優香とは親友。西川貴教とはデビュー当時からとても仲が良い。ちなみに西川貴教の元妻・PUFFYの吉村由美ともデビュー当時からとても仲が良い。
HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPに出演する際は司会が尼崎出身のダウンタウンということもあり、バリバリの大阪弁になる。
5才の息子を持ちながらも楽曲の製作・プロデュース・歌手活動も手を抜いたことはない。
オーラソーマのティーチャーレベル3を取得、イギリスからも認定されている。
セラピスト育成のため、自身で学校【ORENDA】を設立、教師として教壇に立っている。たまに自身が育てたセラピストを派遣しオーラソーマカウンセラーを大阪を拠点とし全国で実施している。
育児、自身の歌手活動、楽曲製作、プロデュース、カラーセラピスト、絵本作家等と幅広く活動する傍ら、ファッションショーにもよく行く。ライヴ・リリース活動も手を抜かない。

2007/05/03 14:04 | 芸能人
松浦亜弥、本格舞台に挑戦
人気アイドルの松浦亜弥(20)が、俳優・筧利夫(44)とのダブル主演で本格舞台に初挑戦することが決まった。8月5日から東京・新宿コマ劇場でスタートする「すけだち」で、人気アイドル・神崎ひかる役を演じる。これまで「リボンの騎士 ザ・ミュージカル」などミュージカル経験はあるあややだが、本格演劇は初めて。「気合入ってます。初の筧さんとの共演です。楽しくて、すてきで、良い思い出を作ります」と早くもやる気満々。苦節30年の末、主役をつかんだ時代劇俳優役を演じる筧との冒険活劇で、共演は北村有起哉(33)、お笑いコンビ「2丁拳銃」ら。

松浦亜弥
兵庫県姫路市出身。血液型B型。公称身長157cm「あやや」の愛称で親しまれる。 趣味はネイルアート、ゲーム。特技はテニス。神奈川県茅ヶ崎市立松浪中学校卒。日出高等学校通信制中退。

よく年齢詐称疑惑が浮上するが、本人は全く気にしておらず、逆にコンサートやイベントのMCのネタにして笑い飛ばしている。また、中学校の卒業式の写真が雑誌「BUBKA」に掲載されたことや、高校へ通学中の姿が何度か目撃されていたことなどから、この疑惑は"ガセ"であり、1986年生まれだということが証明されている。
プロ野球西武ライオンズの藤原虹気投手は中学時代の同級生である。
3人姉妹の長女である。
キャッチコピーは「ホットでクールなハリウッド(当初は新世代)セニョリータ、松浦亜弥です」(2005年に松浦亜弥のオールナイトニッポンで決定)。しかし、全く定着しなかった。
物真似芸の格好の題材として「あやや」が良く使われる様になった。石橋貴明、中居正広、はしのえみ、前田健など。
物真似をされる時、「たやや」(石橋貴明)、「マヤヤ」(中居正広)等と、愛称も真似られる事が多い。本人は特に気にしていない様子で産経新聞ぴいぷるの記事によると前田健があややと初対面の際、土下座して謝ったが「とんでもない、いつも楽しく拝見しています」と答えてCMで競演した。
視力が悪くコンタクトレンズを使用している。
靴下は主にオーバーニーソックスを着用する時が多い。色は白か黒。
大人向けの音楽番組とされる「僕らの音楽-OUR MUSIC-」、「夢・音楽館」、「NHK歌謡コンサート」にハロプロから唯一出演した様に、業界やハロプロファンから歌唱力が評価されている。
物真似芸や紹介BGMに使用される事から、代表曲は「♡桃色片想い♡」と「Yeah! めっちゃホリディ」が挙げられる。
自分の事が大好きと公言。カラオケでは自分の曲をよく歌う。また、お風呂の鏡などに映った自分の姿にうっとりしてしまい、2〜3時間眺めてしまうほど、自分の顔が大好きであるという。
色白。チャームポイントは大きな目と瞳、唇のホクロ。ただし後者に関しては「青海苔がついているみたいで嫌だった」と語っている。
あるライブ会場で、「自分を動物にたとえると、猿」と言っている。
スカルプチャー(人工爪)が欠かせないと雑誌で語っている。藤本美貴と共に、シンプルなデザイン等のフレンチスカルプや透明ベース等の物が多く見受けられるが、松浦の場合、何処かの指に豪華一点主義を付け加えるのが好みの様だ。最近は薬指のみに大きいストーンとネイルピアスをするのがマイブームの様である。
機械オンチであることを2006年9月27日放送の笑っていいとも・テレフォンショッキングにて語った。
地元民でありながら、姫路城にのぼったことがまだない。

2007/05/03 13:56 | 芸能人
和泉元彌の悪霊退散踊り
狂言師の和泉元彌(32)が、ネット上でブームとなっているゲーム発のプロモーションビデオ(PV)「レッツゴー! 陰陽師」の人気キャラクター・矢部野彦麿を“襲名”し、19日には都内でイベントを行うことになった。

「―陰陽師」は、昨秋発売されたプレイステーション2用の格闘技ゲーム「新・豪血寺一族―煩悩解放―」のBGMのPVとして制作。CGで作った主人公の陰陽師・矢部野と琴姫、坊主ダンサーズが「悪霊退散」と歌いながら、パラパラ風のダンスを踊るシュールな内容が受け、動画サービス「ニコニコ動画」に今年1月に登場すると、人気爆発。現在まで300万回以上見られ、4月18日に緊急発売されたBGM曲や動画を収録したアルバムは約1万枚を売り上げた。

ゲームキャラと似ているとの理由で起用された元彌は初めて開催される同ゲームの公式イベントに登場。国税局による自宅差し押さえ騒動(和泉家側は異議申し立て中)のさなか、新キャラクターとなって「悪霊退散踊り」を披露する。

和泉元彌
東京都板橋区出身。青山学院高等部、青山学院大学文学部日本文学科卒業。A型。身長168.5cm。妻は女優の羽野晶紀。

父は狂言方和泉流十九世宗家で重要無形文化財。幼名を三宅保之といい、もともとは初世野村萬斎の息子である九世三宅藤九郎(六世野村万蔵の実弟で、人間国宝)の長男である(次男は三宅右近)。6歳で、この流派の宗家を継ぐ約束で和泉流十六世宗家山脇元清の娘の養子となり、山脇保之と改名。忘れ去られていた和泉流宗家の地位を継ぎ(十九世)、のちに流派名と名前を一致させるため芸名を和泉元秀とした。

2人の姉もプロの狂言師。長姉の和泉淳子は「狂言界史上初の女性狂言師」としてCMなどにも出演し、一躍話題の人となる。次姉の和泉祥子は十世三宅藤九郎の名跡を継いだが、これは父の元秀と確執があったとされる叔父の三宅右近に譲られると目されていたもので、当時さまざまな物議を醸した。結局、元秀側が「亡き父が死に際に言い残した」として押し通したが、何かと問題の多い元秀の性格と共に、親族との確執の火種の一つとなった。

母親である和泉節子(和泉流宗家・宗家会理事長)は、戦国の軍師竹中半兵衛の末裔であるとされる鉄工業を営む家庭の出身。ちなみに十九世宗家と節子との挙式の媒酌人は尾張徳川家19代当主で、華族の徳川義親侯爵・貴族院議員である。 後述の「宗家継承騒動」を面白がったマスメディアによって、“セッチー”と呼称された。率直な発言で知られ、元彌の人気にあやかって、一時期はテレビのバラエティー番組などに相次いで出演していた。

なお、彼らの本名は山脇姓であり、和泉姓はあくまでも芸名として使用している。

2002年、公演のダブルブッキングやドタキャンが相次ぎ、ダブルブッキングにいたっては、東京と岐阜をヘリコプターで大移動する様子が大々的に報じられた。こうしたことを受けて能楽協会から退会命令が出されるが、元彌はこれを「意見を述べる場などを設けていない、不当な退会処分」として裁判所に訴えたが、1審2審とも請求棄却。そして2006年6月9日、最高裁判所も原告の請求を棄却し、能楽協会退会が正式に決定した。


2007/05/02 09:17 | 芸能人
松本人志、快挙カンヌ出品
松ちゃんが初監督作品で世界三大映画祭出品という快挙を成し遂げた。何かとライバル視される、お笑い芸人出身の北野武監督(60)は4作目「ソナチネ」(93年)である視点部門に出品され、同映画祭デビュー。監督週間は6作目の「キッズ・リターン」(96年)だった。

同映画は主人公が松本自身で“ヒーローもの”で、共演者の竹内力(43)、UA(35)、神木隆之介(13)、板尾創路(43)ですら全ぼうは分からないベールに包まれた作品だ。

監督週間のディレクターのオリビエ・ペレさんは「コメディーの最高傑作だと思います。ファンタジーとドキュメンタリーを非常に独創的で興味深い手法で融合させたまったく新しいコンセプトの映画の誕生です。マツモトヒトシという新しい才能の発見は、私にとって驚きでした」と絶賛。

現地で“激突”も 松本は「カンヌと言われても正直、まだピンとは来てないのですが、とにかく僕の映画を認めたカンヌは僕も認めます。あくまでも日本人向けに作ったので、外国の人がどう見るかは興味はありますね」と独特の表現で喜びを語る。

松本は公式上映日にあわせて現地入り予定。日本で同日公開となる「監督・ばんざい!」の北野監督も、第60回の記念上映の作品を手がけた“世界の35人”の1人として招待されており、“世界のキタノ”と南仏でも“激突”する可能性も出てきた。

カンヌ映画祭
世界中のマスメディアから注目されるため、毎回全世界から数多くの俳優が出席する。映画製作者(プロデューサー)にとっては、新作映画を世界各国から集まる映画配給会社へ売り込むプロモーションの場となっている。

最高賞はパルム・ドール(Palme d'Or)と呼ばれ、ノミネートされた20本前後の映画作品の中から選ばれる。二本以上の作品が選ばれる年もある。

当初は、最高賞を「グランプリ」(Grand Prix du Festival International du Film 、世界の映画のグランプリ)としていたが、1955年にトロフィーの形にちなんだ「パルム・ドール」(黄金のシュロ)を正式名称とし、「グランプリ」とも呼ばれる形とした。1965年に最高賞の正式名称を「グランプリ」に戻すが、1975年に再度「パルム・ドール」としている。長らくはカンヌにおいても「グランプリ」とは最高賞の正式名称もしくは「パルム・ドール」の別名であったが、1990年に審査員特別賞(前年までの名称は'Grand Prix Spécial du Jury'、直訳で審査員特別賞となる)にあたる賞に「グランプリ」の名が与えられる事となり、混乱を招いている。

審査員は、著名な映画人や文化人によって構成されている。

ヴェネチア国際映画祭、ベルリン国際映画祭とあわせ、世界三大映画祭と呼ばれる事がある。

1930年代後半、ファシスト政府の介入を受け次第に政治色を強めたヴェネチア国際映画祭に対抗するため、フランス政府の援助を受けて開催される事になったのがカンヌ国際映画祭である。1939年から開催の予定だったが、第二次世界大戦勃発のため中止。終戦後の1946年に正式に開始される事になった。


2007/05/02 09:06 | 芸能人

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