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2025/04/19 15:06 |
相川七瀬、第2子妊娠
歌手の相川七瀬(32)が第2子を妊娠したことが2日、分かった。自身の公式ホームページで発表した。

現在妊娠6か月で「順調です」とつづり、レコーディングも続行するという。また「2007年7月7日、トリプル7で七瀬の日なのでライブイベントをやる」と意欲を見せた。相川は01年2月に一般男性と結婚し、同9月に長男を出産した。

相川七瀬
幼い頃から歌手になる夢を抱き、15歳のときエイベックスのオーディションを受ける。オーディション中、ずっと審査員たちをにらみつけていた。結果は不合格となったが、のちに相川のプロデューサーとなる織田哲郎に声をかけられる。しばらくは連絡はとろうとしなかったが17歳のときに高校を中退しアルバイトをしていた頃、織田哲郎に電話し、歌手デビューすることとなった。

1995年11月、レコード会社エイベックスから織田哲郎プロデュースの『夢見る少女じゃいられない』で歌手デビューをする。所属レーベルはcutting edgeのmotorodである。当時、ビーイングに籍を置きアーティスト活動していた織田哲郎のプロデュースであることや、初期の一部の曲ではビーイングのスタジオを利用していたり、ビーイングのスタッフを起用していた事から、ビーイング系のアーティストであると誤解されがちであるが、相川七瀬はビーイング系のアーティストではない。織田哲郎のバックバンドであった9thイメージでベースを担当していた事が縁で、元・BOØWYの松井常松がベースを弾いている。1996年にファーストアルバム「Red」リリース。現在までに270万枚を超すミリオンヒットを記録している。年末には紅白歌合戦に初めて出場した。2000年にはプロデューサーを布袋寅泰に変え、それまでとは異なる曲調のロックを歌うようになった。2001年にシングル2枚同時発売。結婚・出産。

その後、独学でセラピーに関する勉強を行い、2003年11月にはイギリスのオーラソーマのセラピストの最高位免許「ティーチャーレベル3」を取得。2004年4月にはセラピーや占星術に関連する学校を設立するなど多方面に進出している。

2005年にデビュー10周年を迎え、TVドラマ「87%」にレギュラー出演した。ドラマ出演は初めてであるが、ゴールデン帯の音楽番組には一切出演しない傾向になった。また、「七瀬の日」と題して7月7日にSHIBUYA-AXでライブを行い、サポートメンバーには元X JAPANのPATAや元LUNA SEAの真矢、元メガデスのマーティ・フリードマン、元hide with Spread BeaverのD.I.E.などが参加し大成功を収めた。

中学校の修学旅行では松田聖子の「赤いスイトピー」を熱唱。
実家がナインティナインの岡村隆史の実家(大阪市東淀川区)と至近距離にあり、同じ中学である。(笑っていいとも!より)
HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP内でのトークで、過去に実家近くの家具屋の倉庫からタンスを盗んだなどの万引き歴を告白。浜田雅功から「(万引きじゃなくて)窃盗やないかい」と指摘されるが、あびる優のような問題には発展せず。
酢豚が大好き。タレントの優香とは親友。西川貴教とはデビュー当時からとても仲が良い。ちなみに西川貴教の元妻・PUFFYの吉村由美ともデビュー当時からとても仲が良い。
HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPに出演する際は司会が尼崎出身のダウンタウンということもあり、バリバリの大阪弁になる。
5才の息子を持ちながらも楽曲の製作・プロデュース・歌手活動も手を抜いたことはない。
オーラソーマのティーチャーレベル3を取得、イギリスからも認定されている。
セラピスト育成のため、自身で学校【ORENDA】を設立、教師として教壇に立っている。たまに自身が育てたセラピストを派遣しオーラソーマカウンセラーを大阪を拠点とし全国で実施している。
育児、自身の歌手活動、楽曲製作、プロデュース、カラーセラピスト、絵本作家等と幅広く活動する傍ら、ファッションショーにもよく行く。ライヴ・リリース活動も手を抜かない。
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2007/05/03 14:04 | 芸能人

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