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2025/05/07 13:55 |
南海キャンディーズ、しずちゃんラジオドラマに挑戦
南海キャンディーズのしずちゃんこと山崎静代(28)、タレントの村上ショージ(52)らがラジオドラマに初挑戦するMBSラジオ「通天閣」(24日・午後零時半、関東地区は文化放送で同日午前11時25分)の収録が13日、都内で行われた。

テレビドラマの経験はあるしずちゃんだが、今回声だけでの表現に「大きいのが特徴なのに、画面に映らず声だけというのが難しい」。作品は大阪のシンボル・通天閣を舞台にした人情ドラマで、村上は「大阪のにおいがある、大阪ならではの生活感があって面白い」と語っていた。

山崎 静代
愛称は「しずちゃん」。相方は、山ちゃん(山里亮太)。京都府福知山市出身。聖和大学短期大学部卒業。身長180cm(公称182cm)、体重92kg、バスト105cm。血液型 A型。

高校は事務所の先輩ナインティナインの出身校(岡村隆史、矢部浩之ともに同じ)大阪府立茨木西高等学校で、女子サッカー部に所属していた(3年生時に全国3位)。
かつて「西中サーキット」(にしちゅう-)という女性コンビのボケを担当、2002年 ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞を獲得し、関東の深夜番組にも出演していたが、相方の引退により解散。その後、「山崎二宮」という男女コンビを結成中に、山ちゃんから突然ケーキバイキングに誘われ、コンビ結成の話を持ちかけられて解散を即決した。解散の理由は「(山崎二宮の)相方が男前なので、2人きりでネタ合わせする時などに集中できなかった(異性を意識し、エロ心も芽生えてたらしい)が、こいつ(山ちゃん)ならその心配は無いなと思った」。ちなみに現在は黒髪で通しているが、「西中サーキット」時代は金髪だった。
趣味はギター、イラスト。

低くぼそっとつぶやくシュールで自意識過剰なボケ、上下関係を無視したぶっきらぼうなしゃべり、予測不可能なアクションが特徴的。周囲から怒りを買うような芸風である。
山ちゃんを嫌っていることをネタにすることが多い。漫才の立ち位置で「山ちゃんがいる方の肌荒れの進行が酷い」との発言や、『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京系)に出演した際ビートたけしに「小沢に口説いてもらったら?」と言われ、共演していたスピードワゴン小沢一敬が甘い言葉を言ってくれたが「嬉しいんですけど、声が山ちゃんに似てる……」と感想を述べる等、事ある毎に彼の悪口を放つ。しかし、『Qさま!!』の収録で山ちゃんに激怒した青木さやかの楽屋を訪ね、「山ちゃん、そんなに悪い人やないですよ」とフォローする等、(嫌悪感や煩わしさを感じてはいるものの)見捨てるほど本気で嫌っているわけではないようだ。
かなりの面食いで妻夫木聡(CMで共演)やオダギリジョー、漫画家の荒木飛呂彦のファンと公言している。また、番組でかっこいい男性(いわゆる「イケメン」)と共演した時には、必ずと言っていいほどアプローチを試みる。反対に女性アイドル、女子アナに対しては攻撃姿勢を取る。
高所への恐怖感がほとんど無い。『Qさま!!』のレギュラーに新加入する為に銭湯の煙突(の頂上に渡した板)の上でのラジオ体操(命綱無し。だが、もしもの時に掴まる手摺りはあり)に挑戦した際、山ちゃんが足がすくみっ放しの情けない姿だったのに対し、見ている方が恐ろしくなるような大胆な動きで完璧に体操を行った。しかも手摺りを「邪魔。」と言い放った。この為、無事レギュラーを獲得した同番組にはコンビで出演しているものの、彼女のみ正式レギュラーということになっており、相方の山ちゃんは未だに準レギュラー扱いである。このほか、10m 高飛び込みでも助走を付けて飛ぶなど、並外れた度胸を持っている。
運動神経に優れている。学生時代に部活動で陸上競技(砲丸投げ等)やサッカーを経験しており、特に砲丸投げは現在でもかなりの実力を誇り、全国50傑に入るのではないかとも言われている。また足は速く、持久力もあり、『Qさま!!』の企画「全員で鬼ごっこ」では、男性がほとんどのメンバーにおいてなかなかの粘り強さを見せている。さらに映画『フラガール』の終盤ではほぼ完璧といえるフラダンスをこなしている。
一方、バランス感覚には鈍く、『Qさま!!』のコーナー「グラグラ島」では度々、失敗を引き起こす。
最近ではボクシングを始め、その体格とセンスの為にトレーナーからは「世界を狙える」と太鼓判を押される。彼女ほどの体格でボクシングをやっている女性が国内で他にいないことから、「デビューすれば即、日本チャンピオンになれるのではないか」と関根勤は分析している。
一般的な女性に比べて非常に背が高く骨太のがっちりした体格で、普段の話し声は低い。しかし、ジェットコースターに乗った時等には高い音域の悲鳴もちゃんと出る。
その背の高さゆえに、近所の子供たちからは「壁」と呼ばれている。
父、弟も体格ががっちりしており、家族そろって巨体である。
高校時代のサッカーで膝を故障したため、激しい長時間の運動には耐えられない。『堂本剛の正直しんどい』のバスケットボールの企画では「ガラスのヒザ」と言われた。
保育園時代、『ウイングマン』に熱中する。後の嗜好形成に影響を及ぼす。
大阪の自宅の部屋には女性としては珍しく、『AKIRA』や『ドラゴンボール』のグッズが所狭しと並べられている。番組の企画で訪問した今田耕司は非常にうらやましがっていた(ちなみに今田も『AKIRA』フリークとして有名)。絵も得意で、番組ではしずちゃんによる秀逸な大友克洋タッチのイラストも披露していた。
甘いものが相当好きで「いきなり!黄金伝説」(テレビ朝日系)の企画では次々と出てくるケーキをどんどん食べて山ちゃんを驚かせた。その様は彼に「スイートサイボーグ」と言わしめた程である。途中でトマトが苦手と言う事が判明したが、自力で何とか食べた。この伝説が終わった後、最初に食べたのは、本人曰く食パンらしい。
しかし、2006年に『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「食わず嫌い王決定戦」に出演した際、対戦相手の田丸麻紀が持参したお土産「甘熟とまと 和みゼリー」を、苦手な素振りも見せず食べている。
ラバーソールを愛用している。
クイズが苦手で山ちゃんの足をしばしば引っ張っている。
2006年に松雪泰子主演映画『フラガール』で本格的女優デビューを果たす。記者会見や公開イベントなどでは豪華出演者の中でもひときわクローズアップされて報道された。2007年2月16日、第30回日本アカデミー賞で同映画において新人俳優賞を受賞、女優としても地位を確立した。
鈴木京香、フットボールアワーの岩尾望、安田大サーカスのクロちゃんなどと親交がある。
1人暮らしを始めてから住んでいる自宅の家賃は10万円である。
舞台・ドラマ・映画での女優業・ピンでのCMなどお笑い以外の活動が活発化してきて、相方山ちゃんから「いつかお笑いをやめてしまうのではないかと心配になってしまう。」らしい。
親交のある青木さやかから、「しずちゃんはすごいから、山ちゃんと解散してピンで頑張っても大丈夫だと思う。」と言われたことがある。
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2007/09/13 12:31 | 芸能人
ダニエル・ラドクリフ
子役として活動していた頃、ちょうど世界的ベストセラー小説『ハリー・ポッターと賢者の石』の映画化にあたり、主役ハリー役のオーディション選考が行われていたが、なかなかハリーのイメージに合う少年が見つからなかった。そんな中ダニエルが両親と芝居を見に行っていた時に偶然映画スタッフが同席していて、そのスタッフがダニエルを見てオーディション参加を打診、見事ハリー役を射止めた(当時11歳)。

映画『ハリー・ポッターと賢者の石』は世界的メガヒットになり一躍有名スターに。その後のシリーズでも引き続きハリー役を務めている。日本でも大ブームとなり、2002年12月に彼が初来日した際には空港に多くのファンが押し寄せた。その際にハリー・ポッターのふん装をしたファンを「ポッタリアン」と呼んだ。本来ハリー役はシリーズ2作目以降は本人の成長に伴って代役を立てる予定だったが、あまりにハリー役がはまっていたことや、ストーリーに伴ってキャラクターもきちんと年を取っているシリーズであること、原作者の強い意志などからそのまま続投されている。撮影中はあまり学校に行けないため、専属の家庭教師をつけている。7月31日誕生日説は偽り。宣伝効果を狙ったものと考えられている。ハリー・ポッターの最初の撮影で、初めて会ったエマ・ワトソンに一目ぼれをしてしまった。だが、撮影が続く中、エマ・ワトソンは妹のような存在になっていったので、2人が付き合うことはなかった。

パンクロックファン。貧しい人たちのチャリティー活動にも力を入れている。父は元著作権エージェントで現在は彼の世話役をしている。母はキャスティングディレクター。両親とも過去に俳優のキャリアがある。

映画
テイラー・オブ・パナマ The Tailor of Panama (2001年、マーク・ペンデル役)
ハリー・ポッターと賢者の石 Harry Potter and the Philosopher's Stone (2001年、ハリー・ポッター役)
ハリー・ポッターと秘密の部屋 Harry Potter and the Chamber of Secrets (2002年、ハリー・ポッター役)
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 Harry Potter and the Prisoner of Azkaban (2004年、ハリー・ポッター役)
ハリー・ポッターと炎のゴブレット Harry Potter and the Goblet of the Fire (2005年、ハリー・ポッター役)
ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 Harry Potter and the Order of the Phoenix (2007年、ハリー・ポッター役)

2007/09/12 21:46 | 芸能人
小島よしお、美女とデート
「そんなの関係ねえ!」のネタでブレーク中のタレント・小島よしお(26)が、発売中の写真誌「フラッシュ」に「広末涼子似の美女」とのデートを報じられ、11日都内で行われたライブで釈明。お笑い仲間に突っ込まれ「お友だち。男女の関係? ない。(写真誌に)載ると分かってから音信不通。オレ被害者です」と話した。

小島よしお
身長182cm、血液型O型。星座はさそり座。左利き。元WAGEのメンバー。

沖縄県(久米島)生まれ千葉県育ち。しかし沖縄に住んでいたのは生後3ヶ月だけ。

某私立中学校、千葉市立稲毛高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。高校在学中は野球部に所属。部長を務めていた。

2007年5月の第5回お笑いホープ大賞決勝進出。審査員特別賞を受賞。
2007年5月25日放送の日本テレビ『ぐるぐるナインティナイン』に出演したことがブレイクのきっかけとなった。

2003年頃はアフロであった。
本名の小島義雄名義で出演していたこともあった。あだ名は「よしピー」。
よしお曰く、クラブでDJをやっている先輩からマイクを渡され「これで笑いを取れ!」と無茶振りされたとき、頑張って笑いとろうとしがた全くウケず、そのとき降って来たのが「でもそんなの関係ねぇ!」
WAGE時代に事務所の先輩後輩の間柄であったことから ポルノグラフィティと仲が良く、新藤晴一の野球チーム・桜丘クロゴスに所属。新藤によると、フジテレビ『HEY!HEY!HEY!』のゆかりゲストとして出て欲しかったが、小島の知名度が低かったため断念。2007年9月1日のTOKYO FM「カウントダウン ジャパン」の公開放送で岡野昭仁が「彼は球は速いがストライクが入らないノーコン投手」とコメントした。
はいているブーメランパンツは3種類あり、初期の海パンがゆるくなった為現在の緑色の海パンになったと発言。3代目の海パンはGyaOの超サンミュージックで視聴者プレゼントされた。
ネタに祖父はブラジル人と登場するが、本当は日本人だと自身で暴露する。
2007年3月4日に茨城県・取手市民会館において行われたライブで桜塚やっくんに気に入られ、その日のブログで紹介されている。
2007年5月27日放送のABCテレビ系『笑いの金メダル』で新郎役・上田晋也の友人という設定で出演も、初めに「はじめまして」といってしまう天然でもある。その回で仲人役・西川きよしに「短期間かもしれないけど、これは流行るかも」と言われ、同じく仲人役・北斗晶からは「あんなバカ見たことない」と言われた。結果、その回にネタ出しで出演した芸人の中からMVPに選ばれた。
笑いの金メダルでネタをやる時は必ず幕がおりる時に「地球温暖化…」と言っていた。
2007年6月14日放送の日本テレビ『ラジかるッ』に出演し、早稲田大学時代、番組MCの宮崎宣子アナと同じオールラウンドサークル所属だったと発言。
2007年6月14日放送のTBSラジオ『カンニング竹山の生はダメラジオ』にゲストで出演し、元高校球児だったと発言。小学校から高校まで野球をやっていたという。そして「自分は野球選手になるか芸人になるか悩んでいた」と発言。実際に指名される事は無かったが、ドラフト会議で自分の名前がいつ呼ばれるかを待っていた。
2007年6月21日放送のTOKYO FM『Wonderful World』に出演時間よりも早く登場し、ゲストとして来ていたビリー・ブランクスの前で持ちネタを披露。ビリーに「オッパッピー」と言わせることに成功。
2007年7月6日放送の日本テレビ『ぐるぐるナインティナイン』に出演し、滝沢沙織と知り合いである事を明かした。
2007年7月22日に行われたTAICHI MASTERの結婚式、披露宴、ライブに、DJ TATSUTA、MCU、CMJK、LITTLE、宇多丸、wyolica、ハナレグミらと共に出席し、芸を披露した。
2007年7月31日放送の『爆笑レッドカーペット』でYouTube週間再生ランキングが世界5位になったことがあるということが明かされた。
2007年8月8日放送のTBS『明石家さんちゃんねる』で、「そんなの関係ねぇ!」のネタは学生時代DJであった先輩がいきなりマイクをフッてきたが、面白い事を言えなかった。そんなときに「そんなの関係ねぇ!」という言葉が降ってきたと発言。
『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』の明るいニュースでポルノグラフィティの新藤晴一と同じ野球チームのチームメイトであり後輩だという事を明かした。
2007年8月16日放送のGyaOの『超サンミュージック』で持ち込み企画を行っていたが、小島の「キンタマ」連呼に腹をたてたスタッフが注意を行う。この後、小島とスタッフの口論が始まり、放送事故(風のコント?)のような状況になる。結局、番組の最後で例の音楽が流れだし、ネタが始まる。番組最後の告知中に「これはフィクションでした」と説明が入り番組は終了する。
2007年8月18日放送の日本テレビ系列『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の1コーナー「熱湯コマーシャル」に登場した際、アドリブで浴槽内で持ちネタの「そんなの関係ねぇ!」「オッパッピー」を披露した。小島が浴槽内で平然とネタを続けたことで、実際には熱湯ではない事が露呈してしまうというハプニングが生じた。
2007年8月28日放送のJ-WAVE『TOMORROW』にて24時間テレビについて話を振られた。あの後は頭が真っ白になったらしく、覚えているのはたむらけんじの獅子舞で隠させてもらったこととカンニング竹山に言われた言葉ぐらいだという。多少引きずっているとのこと。小島だけでなくダチョウ倶楽部の上島竜兵も「小島に全部持っていかれた・・・」とへこんでいたという。
若槻千夏のブログによれば、その後楽屋でカンニング竹山から「関係ある時もあるんだよ」というアドバイスをもらったようである。放送内で「熱いという前提が壊れちゃったよ」とあえて火に油を注ぐようなことを言って笑い飛ばしていた爆笑問題の太田光は後に「竹山とかがさんざん冷やかしたら本気で落ち込んじゃって」と茶化した上で、「最高だった。腹抱えて笑った」「あれをきっかけに大ブレイクするぜ、多分」と絶賛している。放送事故と見做す者もいるが、若槻や太田は笑い話として扱っていた。2007年8月27日放送のフジテレビ『笑っていいとも!』で小島はダチョウ倶楽部と再共演し、「こう見えても僕、熱さに強いんです!でもそんなの関係ねぇ!」と堂々とネタにしていた。肥後克広から「関係あるだろ!」とツッコミを受けている。
ダチョウ倶楽部との絡み方が同事務所のマイケルと似ているという事で、この騒動以来カンニング竹山など先輩芸人や事務所のスタッフにマイケルがやるネタのオチに使う「マイケル」というギャグを文字って、「こじまイケル」というギャグを裏でやらされている。
カンニング竹山の恋愛中毒(GyaO)で、沖縄県出身が千葉ではないかと竹山に指摘される。沖縄には生後3ヶ月のみしか居ず、千葉県で育った。沖縄には友人もいないし、沖縄の知識もないので将来沖縄に関する仕事がきた際困るので今のうち訂正したほうがいいと薦められる。
2007年9月9日放送のむちゃぶり!で小島が注し湯をかけて「やっぱり熱くねぇ!!」のアドリブをやったら、ピンマイクを壊した。(ピンマイク1台 約30万円)
2007年9月11日放送の格付けしあう男たちにて、ムーディ勝山の「ムーディ」を、間違えて「ムーディー」と書き、ムーディ勝山に指摘された。

2007/09/12 12:56 | 芸能人
石川さゆり
熊本県熊本市(旧・飽託郡飽田町)出身の演歌歌手。本名・石川絹代。堀越高校卒業。

1973年、「かくれんぼ」でデビュー。アイドル的な位置付けだったが、花の中三トリオなどの影に隠れて人気を得るには至らなかった。1977年に『津軽海峡・冬景色』『能登半島』が大ヒットし、日本を代表する演歌歌手の一人となった。2004年までにNHK『紅白歌合戦』に27回出場している。

1981年、元マネージャーの馬場憲治氏と結婚。1984年2月に長女を出産するが、1989年2月に離婚。

元々ホリプロに所属していたが、後に独立し、個人事務所「さゆり音楽舎」を設立。現在のレコード会社はテイチク。

NHK紅白歌合戦出場歴
石川は、1977年・第28回紅白にて「津軽海峡・冬景色」の大ヒットを背景にデビュー4年目にして初出場。1983年に産休に入ったため、同年の紅白は出場辞退。翌1984年より再び復帰し、2005年・第56回まで22回連続出場。通算出場回数は28回で、紅組歌手の中では島倉千代子・都はるみ・和田アキ子に次いで4位。白組の五木ひろしと同じく、1985年以降は実力派がひしめく最終コーナーの常連でトリも4回取っている。

代表作
津軽海峡冬景色(日本レコード大賞歌唱賞受賞、1977年)
能登半島(1977年)
火の国へ(1978年)
波止場しぐれ(日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞、1985年)
天城越え(日本レコード大賞金賞受賞、1986年)
夫婦善哉(日本レコード大賞金賞受賞、1987年)
滝の白糸(1988年)
風の盆恋歌(日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞、1989年)
越前竹舞い(1991年)
港唄(1991年)
転がる石(2001年)
鴎という名の酒場(1980年)
東京めぐり愛(大相撲力士の琴風豪規とのデュエット、1984年)
傷だらけの恋(映画「トラック野郎挿入歌、1979年)、ほか多数


2007/09/11 22:00 | 芸能人
キロロ、玉城千春、第2子出産
女性デュオ「Kiroro」のボーカル・玉城千春(30)が9日午前8時40分、地元の沖縄で第2子の女児を出産した。女児は3134グラム。予定日より約2週間遅れていたが、母子ともに健康という。6月にコンサートに出演して以来、ステージから遠ざかっているが、Kiroroとしての活動は子育てが落ち着いてから再開する。玉城は05年4月に沖縄在住の男性と結婚。06年2月に長男を出産している。

Kiroro(キロロ)
ボーカル:玉城千春(たましろ ちはる、1977年4月17日 -  タレントの玉城ちはるとは別人)
ピアノ・キーボード:金城綾乃(きんじょう あやの、1977年8月15日 - )
2人は沖縄県立読谷高等学校の同級生。その後玉城が長崎ウエスレヤン短期大学、金城が医療事務の専門学校に進学し、在学中の1996年にインディーズデビュー。沖縄限定で発売されたインディーズデビュー曲『長い間』は、地元沖縄のローカルCM(「安信輸送サービス」の引越しCM)にも使われ、1万枚以上を売り上げる。

一般的にピアノ・キーボードの金城が作曲を担当していると思われているが、作曲を手掛けているのはボーカルの玉城の方である。事情としては、玉城は作詞作曲の才能はあるものの、ピアノは弾けないと言うものに加え、書いた音符も正直暗号の様なものである程。それを、ピアノが弾ける金城が玉城の「暗号」を解読したと言うもの。但し、最近の作品には金城の作詞作曲の楽曲もあれば、玉城作詞、金城作曲と言うものもある。


1998年1月に『長い間』でメジャーデビュー。1998年・1999年・2001年にはNHK紅白歌合戦に出場した。

2004年10月からコミュニティーFMラジオ放送に向けたレギュラー番組「hot pot Kiroro」をスタートさせた。

kiroroという言葉は、旅行で来た北海道で知った美しい地名に由来し、アイヌ語である。

代表曲
長い間
1998年1月21日発売のデビューシングル。オリコン初登場13位だったが、有線やラジオなどで多く使用され、登場9週目にしてオリコン1位を獲得。グループによるノンタイアップのデビュー曲のオリコン1位はあみんの「待つわ」以来17年ぶりのことだった。その後もロングセラーと続け、登場17週目でミリオンセラー達成。累計120万枚以上の大ヒットとなり、紅白歌合戦にも出場した。
翌1999年、選抜高等学校野球大会入場行進曲として採用された。選抜高校野球の開会式には、Kiroroの二人揃ってゲスト出演している。さらに同年の選抜高校野球では、沖縄尚学高等学校が優勝を果たし、春夏通じて初の沖縄県勢による全国制覇となった。
その他、小・中学校の運動会などでは、駆け足時の曲としても使用されている。
2002年に松浦亜弥がアルバム『FOLK SONGS 2』においてカバーしている。
未来へ
1998年6月24日発売の2ndシングル。中部電力のCM曲としてオリコンTop100以内に43週ランクインし、最高4位・累計58万枚以上のヒットとなる。
台湾で人気歌手・劉若英が「後来(中国語読みでホーライ=で出しの「ほ~ら」に引っ掛けている)」という曲名カバーし大ヒットした。のちに台湾を訪れたKiroroは、イベントで劉若英版の歌詞(北京語)でこの曲を披露し、聴衆から大喝采を浴びた。
Best Friend
2001年6月6日発売の10thシングル。NHK朝の連続テレビドラマ小説『ちゅらさん』の主題歌として、久々のヒットとなった。オリコン最高5位・累計29万枚以上のヒット。
もう少し
2004年1月21日発売の13thシングル。『土曜ワイド劇場』のテーマソングとして広く認知される。オリコン最高20位。


2007/09/11 12:19 | 芸能人

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