熊本県熊本市(旧・飽託郡飽田町)出身の演歌歌手。本名・石川絹代。堀越高校卒業。
1973年、「かくれんぼ」でデビュー。アイドル的な位置付けだったが、花の中三トリオなどの影に隠れて人気を得るには至らなかった。1977年に『津軽海峡・冬景色』『能登半島』が大ヒットし、日本を代表する演歌歌手の一人となった。2004年までにNHK『紅白歌合戦』に27回出場している。
1981年、元マネージャーの馬場憲治氏と結婚。1984年2月に長女を出産するが、1989年2月に離婚。
元々ホリプロに所属していたが、後に独立し、個人事務所「さゆり音楽舎」を設立。現在のレコード会社はテイチク。
NHK紅白歌合戦出場歴
石川は、1977年・第28回紅白にて「津軽海峡・冬景色」の大ヒットを背景にデビュー4年目にして初出場。1983年に産休に入ったため、同年の紅白は出場辞退。翌1984年より再び復帰し、2005年・第56回まで22回連続出場。通算出場回数は28回で、紅組歌手の中では島倉千代子・都はるみ・和田アキ子に次いで4位。白組の五木ひろしと同じく、1985年以降は実力派がひしめく最終コーナーの常連でトリも4回取っている。
代表作
津軽海峡冬景色(日本レコード大賞歌唱賞受賞、1977年)
能登半島(1977年)
火の国へ(1978年)
波止場しぐれ(日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞、1985年)
天城越え(日本レコード大賞金賞受賞、1986年)
夫婦善哉(日本レコード大賞金賞受賞、1987年)
滝の白糸(1988年)
風の盆恋歌(日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞、1989年)
越前竹舞い(1991年)
港唄(1991年)
転がる石(2001年)
鴎という名の酒場(1980年)
東京めぐり愛(大相撲力士の琴風豪規とのデュエット、1984年)
傷だらけの恋(映画「トラック野郎挿入歌、1979年)、ほか多数

1973年、「かくれんぼ」でデビュー。アイドル的な位置付けだったが、花の中三トリオなどの影に隠れて人気を得るには至らなかった。1977年に『津軽海峡・冬景色』『能登半島』が大ヒットし、日本を代表する演歌歌手の一人となった。2004年までにNHK『紅白歌合戦』に27回出場している。
1981年、元マネージャーの馬場憲治氏と結婚。1984年2月に長女を出産するが、1989年2月に離婚。
元々ホリプロに所属していたが、後に独立し、個人事務所「さゆり音楽舎」を設立。現在のレコード会社はテイチク。
NHK紅白歌合戦出場歴
石川は、1977年・第28回紅白にて「津軽海峡・冬景色」の大ヒットを背景にデビュー4年目にして初出場。1983年に産休に入ったため、同年の紅白は出場辞退。翌1984年より再び復帰し、2005年・第56回まで22回連続出場。通算出場回数は28回で、紅組歌手の中では島倉千代子・都はるみ・和田アキ子に次いで4位。白組の五木ひろしと同じく、1985年以降は実力派がひしめく最終コーナーの常連でトリも4回取っている。
代表作
津軽海峡冬景色(日本レコード大賞歌唱賞受賞、1977年)
能登半島(1977年)
火の国へ(1978年)
波止場しぐれ(日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞、1985年)
天城越え(日本レコード大賞金賞受賞、1986年)
夫婦善哉(日本レコード大賞金賞受賞、1987年)
滝の白糸(1988年)
風の盆恋歌(日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞、1989年)
越前竹舞い(1991年)
港唄(1991年)
転がる石(2001年)
鴎という名の酒場(1980年)
東京めぐり愛(大相撲力士の琴風豪規とのデュエット、1984年)
傷だらけの恋(映画「トラック野郎挿入歌、1979年)、ほか多数

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