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2026/07/29 15:54 |
宮川愛、初アルバム
現役慶大生歌手の宮川愛(20)が、学生とのタイアップ企画となる初アルバム「Love Songs」(23日発売)で男性ラブソングのカバーに挑戦した。

法学部3年の宮川は学内のラブソング人気調査の結果から「自分のボーカルで新しく違う表現をしたい」と男性の名曲をセレクト。最も尊敬するアーティストの一人という久保田利伸(44)の「Missing」や「even if」(平井堅)、「楓」(スピッツ)など8曲にジャズやレゲエ風のアレンジを加え、豊かな声を響かせている。

7歳からミュージカルで活躍し、中3の時に英歌手エルトン・ジョン(60)を長年支えたドラマー、ナイジェル・オルソン(58)のアルバムに日本人で唯一メーンボーカルで参加した宮川。高校進学後は学業に専念していたが、大学入学と同時に音楽活動を再開。昨年4月に「Here I am!」でメジャーデビューした。

今作を「これまでの“第1ステージ”の集大成」と話す宮川。今後は、本格的に作詞作曲に力を入れ、7月25日にオリジナルの新曲を発売する。

宮川愛
1993年、少女コミック誌なかよし誌上に掲載されていた、舞台「美少女戦士セーラームーン」オーディションに応募、合格し、翌1994年ちびうさ役で出演。1999年には沢田研二主演のミュージカル「ペーパームーン」にイモジェン役で出演し、全国公演も経験する。

2000年より歌手活動を開始、インディーズレーベルより「i」名義でアルバム「i」を発売する。その後「i miyakawa」としてナイジェル・オルソンのアルバム「Move The Universe」にメインボーカルとして参加し、それらをシングルカットするなどしていたが、2002年、高校入学を機に芸能活動を休止。

しかし2005年の大学入学と共に芸能活動を再開し、2006年4月、「宮川愛」名義としての1stシングル「Here I am!」を発売。日本テレビ系音楽番組「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」で4月度パワープレイを獲得した。9月には2ndシングル「Think of U」を発表している。

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2007/05/06 17:49 | 芸能人
引きこもり、精神分析的アプローチ
他者や社会との関係をうまく築くことが出来ない状態については、児童精神分析家アンナ・フロイトが、親や自分の周囲の人間とうまく係われない、問題を抱えている子供達の研究をして、彼らがその問題を解決するためにとっている策略、工夫を防衛機制と名づけたが、その中に「引きこもり、逃避」も含まれている。ちなみに、これ以外の場合は、適応機制、不適応機制という。

原因
この現象は複数の原因が存在すると考えられる。

学校・会社におけるイジメ、肉体的苦痛などから逃れるため
家族関係のトラウマ、過干渉などから自己肯定感を持てずに成長した
現代日本の資本主義社会に圧倒され、人生に絶望して行う自傷行為である
自分が目にしたくない現実、不快な人達、場所、集団を見ないで済ませる為に、部屋に閉じ篭る
建前(公の態度)と、本音(真実の自身)を合理化して、社会・ある状況から期待されるべき役割を見いだすことへの困難を持つ場合

一般的な日本社会における現象の普及傾向

戦後社会による経済成長により、親が成人した子供を養える。生活の為に社会で働く必要がある為、低所得家族には起こらない(或は、早い時期に終わる)。
日本人の親は、子供の孤立した状態への移行の認識、対応が不適切。或は、共依存状態に陥る。日本の社会の概念、甘えの影響。
親・祖父母世代との差異。経済構造の変化(経済成長期→不況、停滞期、アウトソーシングの一般化など)により、学歴主義における価値観の変化。その派生として、明確な人生設計が出来ないことが、社会から引き下がる状態(引きこもり)を創っている。
親による徹底した従属教育の影響で、心の傷に縛られる

引きこもりの時期
主に少年期・思春期から、責任感・成人としての生活を期待される過渡期に存在する。これは日本社会の様な、先進資本主義社会の中で、どのような成人としての役割を見いだすか、或は成人に通過することへの意味をどこに見いだすか、という点を示している。

引きこもりは、必ずしも学齢期にある者が起こすとは限らず、いったん社会人として自立した者が起こすこともある。また、学齢期に引きこもりを起こした者が、立ち直るきっかけを見出せないまま中年期に達することもある。成人の引きこもりに対しては、親亡き後が心配され、親の死を隠して年金を不正に受給するなどの事件も発生している。

なお、科学者や哲学者、芸術家が作業に没頭する過程で外界と隔絶した生活を送ることがある。これも一種のひきこもりである。また、ワーカホリックを会社こもりと表現する場合もある。

もしくは斉藤環など、自身のひきこもり体験をうまく芸術や学術に転化させて成功した例もある。


2007/05/05 14:33 | 未分類
冒険遊び場
子供の遊び場の中でもより年長の子供達にやや冒険的で、多少の危険の伴う体験的で、自分達で遊びの内容を構築していく可能性のある遊び場のことをいう。プレーパークという名称で、日本国内でいくつか誕生している遊び場も、こうしたものの一つと考えてもよい。遊び方が、遊具や施設の形態で既に規定されているようなものと違い、遊び方の可能性が豊かで、子供の空想や創造性、身体の運動性を刺激するようなもの、また遊び仲間の集団が自然発生的にかたちづくられたり、自然や動物とのふれあいの機会も用意されていたりと、冒険遊び場のスタイルにはかなりのバラエティがあって、なかなか一括して語ることは難しいものがある。

冒険的な遊び場の原初的な形態は、概して大人達の立場からすれば、推奨しがたいものがある。つまり、廃材や建築資材置き場、廃品集積場所だったり、道のない藪や潅木の森だったりというもので、気をつけて、とか入っちゃダメともいいたくなるようなものである。しかし、未知の、また遊び方がお仕着せでなく、ありとあらゆる空想を逞しくして、自分たちが海賊や探検家となって、廃材を砦やフック船長の船に変えてしまう、そういう遊び方が、その原点である。

今日の冒険遊び場のさまざまなかたちの原型は、1943年にデンマークで既に始まっていた「ガラクタ遊び場」(da:Skrammellegeplads)である。この遊び場構想は、子供達が建築資材や廃品置き場で遊んでいるのを目にした景観デザイナーで、公園設計家のC・Th・ソレンセン(C. Th. Sorenson)の思いつきである。この発想から建築遊び場(da:Byggelegepladser)というアイディアが生まれてきた都市の中のささやかな公園でも、古タイヤや多少の木材、板や大工道具などが用意されていれば、そこからさまざまな遊びの工夫やアイディアが生まれてくるだろうというものである。


建設遊び
建設遊び場では、子供達は用意された材木や金づち、大量の釘を使って、大工仕事をしながら遊び場を作っていくという楽しみを体験することが出来る。小屋を作ったり、東屋や橋を作ったり、それを絶えず改装、改築していく。こういうところでは、少なくとも1人のり専従の大人の管理人がいて、子供達の仕事を見守ったり、また指導したりもする。こうした遊び場の多くでは、建築作業の他に、キャンプファイアーやパンを焼いたり、陶芸をしたりといったようなさまざまな活動も合わせて行われる。往々にしてこうした遊び場は、青少年宿泊訓練施設や農業体験牧場などでの体験とよく比較されるが、冒険遊び場は、都市の中でこういう経験をすることが出来るというのが特徴となっている。日本では、東京都世田谷区の羽根木プレーパークがこの手のものの最初のものとして知られている。国内では、ここで初めて、冒険遊び場という呼称が知られるようになった。

体験農場
さらにこれに付け加えられるのが、動物や野菜作りなどの農業体験の出来る子供牧場のようなものだろう。この種のものとしてドイツで有名なのが、ベルリン-クロイツベルクリンクのアダルベルト通りにある子供農場である。子供や青少年のための体験農場というアイディアは、スカンジナビアから入ってきたものである。こうした施設は、ドイツではますます増えていきつつある。

青少年農場は、子供や青少年のための保護監督付きの公共の余暇施設である。青少年農場では、子供達は動物の世話をしたり、餌を与えたり、ねぐらを掃除したり、撫でたり、乗ったり、小屋を建てたたり、工作したり、絵を描いたり、作業し、売店で買い物を楽しんだり、サッカーをしたり、危ない体験をしたり、その他いろんなことができる。

国内では、こどもの国が広く知られた例で、商業的なものを含めれば、マザー牧場など、農業体験的な要素を含んだレジャー施設の多くもこれに参入できるだろう。自然体験、農業体験学習を含んだ農業公園も、子供に限定はされていないがやはりこうした遊び場のひとつと見てよいだろう。

また、愛知県の渥美どろんこ村や長野県のXYサタデースクールネットワークなどのように、学校の長期の休みや連休などに数日間、農場に宿泊して、野菜の収穫や田植えや稲刈り、動物の世話などを農業体験学習として経験させるような活動のも、冒険遊び場の精神をより教育的な形で引き継ぐ物と考えても良いだろう。同様の例は、全国各地に見られる。


2007/05/05 14:27 | 未分類
プロビーチバレーボーラー浦田 聖子
レオパレス・ウィンズ所属のプロビーチバレーボーラー。東京都出身。

共栄学園中学校・高等学校出身。身長174cm、バスト93cm。

共栄学園時代から全日本ユースなどに選抜され活躍。1999年にNECレッドロケッツに入団し、Vリーグ優勝などに貢献する。2002年ビーチバレーに転向。国内でも屈指のプレーヤーで、国内ツアーでは優勝争いの常連である。

戦歴
2004 ジャパンサーキット 優勝
2005 ジャパンツアーお台場大会 優勝
2005 ジャパンツアー宮崎大会 準優勝
2005 ジャパンツアー大阪大会 9位
2005 ジャパンツアー愛媛大会 準優勝
2005 ジャパンツアー福岡大会 優勝
2005 ジャパンツアーお台場大会 3位

2007/05/05 14:19 | 未分類
エキスポランドで死亡事故
5日午後、大阪府吹田市消防本部に入った連絡によると、同市の遊園地エキスポランドで、ジェットコースターの事故があり、1人が死亡、約20人が負傷した。

エキスポランド
大阪府吹田市にある万博記念公園に付帯する遊園地である。1970年に開催された大阪万博のアミューズゾーンとして作られ、閉幕後、1972年3月15日に営業を再開。敷地面積は約20万平方メートル。運営は(株)エキスポランド。

ジェットコースターのダイダラザウルスは模様替えしながらも当時から存在する。また南口部には当時のエキスポタワーが残されてシンボルとなっていたが、老朽化のために2003年に解体撤去された。

アトラクション
風神雷神?
1990年、大阪府大阪市の鶴見緑地で開かれた国際花と緑の博覧会(大阪花博)の会場内で運行していたスタンディングコースター「風神雷神」がモデル(ちなみに「元祖」は熊本県荒尾市の三井グリーンランドに移設された)。大阪花博では2本の軌道を使い、赤を基調とした「風神」と、青を基調とした「雷神」を同時走行することもあった。エキスポランドでは単独の軌道で、「風神」と「雷神」のいずれか1編成のみでの運行、多客時は1編成が走行中に相方の編成が出発準備をする形態をとっている。
テクノスター
1985年、茨城県つくば市で開催された科学万博つくば85の目玉として、高さ85mの大観覧車が製作された。製造は泉陽興業。閉幕後にエキスポランドに移設され、同園のシンボルになっている。
ビスタライナー
同じく科学万博での会場内の移動手段として泉陽興業が製作した小型モノレール。テクノスターとほぼ同期に大阪へ移り、園内の遊覧列車(同じ駅に戻ってくる)として運行中。

2007/05/05 14:14 | 未分類

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