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2025/06/11 18:49 |
華原朋美、クビ…
歌手の華原朋美(32)が所属するプロダクション尾木から契約解除を通知されたことが29日、明らかになった。華原は今月半ばから仕事を立て続けにドタキャン。26日を最後に電話やメールでの連絡も取れない状態になっているという。今年5月に3度目の休業から復帰したばかりだったが、所属事務所では、これ以上のマネジメントは不可能と判断した。

所属事務所によると華原は19日にフジテレビ系音楽バラエティー「新堂本兄弟」のリハーサルをドタキャン。翌20日は7月のコンサートリハーサルが行われたが、そこにも姿を見せず、21日のニッポン放送「テリー伊藤のってけラジオ」の生ゲストも無断で欠席した。

立て続けに仕事に穴を開けたことで、事務所側は今後について対応を協議。26日には尾木徹社長が電話で話し合ったが、「会話にならない状態」で、それ以降は携帯電話もメールも通じなくなったという。自宅マンションにも戻らない状態が続いていることから、これ以上のマネジメントは不可能と判断。連絡が取れなくなっていることから配達証明郵便を送付し、28日付で契約を解除することを通達した。尾木社長は「断腸の思いです」と話した。

華原朋美
東京都江東区亀戸生まれ、千葉県浦安市育ち。松蔭中学校・高校卒業。身長156.7cm(公称160cm)。体重44kg。スリーサイズB86・W58・H84。
3才頃、「あれに乗りたい!」の一言で始めた趣味の乗馬は、高校3年生の時に国体で第4位という成績を修めた。また、将棋の級(日本将棋連盟ジュニアクラス1級&一般クラス3級)も持っており、NHK衛星第2テレビの将棋特番で司会も務めている。
5才頃、突発性血管性紫斑病に罹り、3ヶ月間無菌室に入院していた。その後、乗馬で身体も鍛え筋力もつき、2005年に発売した初の写真集では引き締まったプロポーションを披露した。
かつては、三浦彩香や遠峯ありさなどの芸名でグラビアアイドルタレントとして活動。「さんまのナンでもダービー」などでアシスタントを務めた。
遠峯時代に小室哲哉に見出される。小室との出会いは、華原(遠峯)に興味を持っていた小室が、当時青山にあった小室の店・TJMに華原を呼んだことがきっかけ(引き合わせたのは、きくちP)。そして2人は親交を深め恋愛関係に発展した。また華原は女優志望だったが、交際中、偶然カラオケでtrfの曲を歌い、それを聴いた小室が“涙腺を刺激する歌声”と称し、歌手デビューが決定。ちなみに、初めて買ったCDが中山美穂の「50/50」(小室作曲)で好んで歌っていたというから、まさに運命的な出会いであったと言える。また、デビュー直前に2人の関係をすっぱ抜いた週刊誌の記者に対し、小室は“アーティストに手をつけたのではない、恋人に曲を書いてデビューさせただけだ”と語っている。
小室プロデュースの作品でミリオンセラーを連発し、一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。1995年に発売した2枚目のシングル『I BELIEVE』で新人賞を総なめにし、新人としては異例の快挙を達成。1996年に発売した3枚目のシングル『I'm proud』は140万枚を売り上げ、名実共に代表曲に。ファーストアルバム『LOVE BRACE』も250万枚突破の記録的なヒットとなり、1997年に発売したCDは全てチャート1位を獲得。中でも『Hate tell a lie』は小室プロデュース作品としては最後のミリオンシングルとなっている。そのドラマティックな半生は、各曲の歌詞・歌声に表れている。
透明感溢れる澄んだハイトーンヴォイスに、ブランドスーツ・ワンピースを着こなすセレブなファッションなど、同性から強く支持され、安室奈美恵の“アムラー”に対しては“カハラー”と呼ばれた。平成のシンデレラとも呼ばれた。ハローキティ再流行のきっかけ(当時、サンリオ社長も華原朋美効果を認めた)や、牛丼の「つゆだく」、1998年に自身が出演した“ヒュ〜ヒュ〜”でお馴染みのCM・JT「桃の天然水」が大ヒット商品になるなど、ブームリーダーにもなった。なお、桃の天然水は2006年に発売10周年を記念して復刻版として再発売され、そのCMキャラクターにも再起用され、8年前23歳だった自分との共演を果たしている。
1999年には小室との破局から体調を崩し、度重なる事故騒動などで世間を騒がせた。2000年には再度休養に入り、このまま活動停止・引退と心配されたが、休養先のカナダから一時帰国中に「進ぬ!電波少年」から全米デビュー企画のオファーを受け渡米。2001年に凱旋帰国後は歌手業だけではなく、バラエティ番組への出演や司会業など活動の幅を広げマルチに活動。デビュー10周年を迎えた2005年からはミュージカルの舞台にも進出し、ミュージカル女優としての活動も本格化させていた。
同じく2005年、パチンコ機「CR華原朋美とみなしごハッチ」(フィールズ)でキャラクターものとしてパチンコ機化。メインはみなしごハッチだが、リーチアクションなどで華原が出てくることもある。華原が歌うトランス調にアレンジされた『みなしごハッチ』テーマソング収録のCD(未発売)や、ストラップ、トースターなどグッズも作られた。
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2007/06/30 12:34 | 芸能人

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