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2025/07/18 19:09 |
仕事中毒
職業である筈の仕事に、生活の多くを犠牲として打ち込んでいる状態を指す言葉である。英語ではワーカホリックとも呼ばれる。

社会的動物である人は社会において、労働し、生活に必要なその対価を得る。この労働は(1)単純に労役を提供するもの、(2)自身の能力を提供するものや、(3)学習などの結果から培われた経験を提供するもの、更には(4)その人の持つ身体能力や容姿を提供することによるものなど、様々な形態が存在する。

現代のいわゆる「仕事」の中には、当人が自尊心を維持する上で、きわめて重要な位置付けを成されているものも多く、当人が当人としての存在意義にもなっている場合も見られる。

当人を当人たらしめる個性は、その人に属するものであるが、これを発揮させることは当人の精神衛生上、良好な影響を与えうる。すなわち、人は自身の個性を発揮できることに喜びを見出す訳であるが、これが趣味その他の上ではなく、仕事の上で個性を発揮する場合もある。

つまり、仕事が当人にとって個性を主張する場であり、仕事こそが当人に喜びを与える場であり、仕事によって当人は当人であることを認識し、仕事があるからこそ当人は当人であり続けられる(ゆえに、万が一にも失職すると、人生そのものに絶望するケースも見られる)。

この意欲を掻きたてられることにより当人は良く働くのだが、これによって本来、当人が属するであろう仕事以外の共同体(たとえば家庭・家族など)への参加意欲が損なわれる場合もある。こうなってくると、それは病的であるとして、また仕事に依存しているとして、中毒と形容される。

いわゆる仕事中毒と形容される状態では、家庭を顧みず、自身の健康も省みず、挙句、過労死で死に至ることすら厭わないという事態にもなり、結果的に当人が受け持っていた仕事の遂行も侭成らなくなる一方で、当人の得ていた労働対価に依存して生活していた家族が貧窮したりすることもある。

日本では、特に男性においては「滅私奉公」等の言葉に代表されるように、己の身を顧みず職業に邁進することこそが良いとする規範も存在し、己よりも職を優先することが、社会的に求められた。この中では、有給休暇を取ることすら罪悪のようにみなされた。

高度経済成長期からの日本では、第二次世界大戦に敗れた後の戦後の貧しい時代の経験から、国の復興と経済発展に邁進することこそが社会から個人に求められ、先の滅私奉公の精神とあいまって、仕事に邁進する人が多く見られた。この当時、まだ日本では女性の社会進出が進んでいなかったこともあり、女性会社員が家庭を顧みずに働くことはまれで、家庭で男性を支えることが求められた。男性会社員が家庭を顧みずに仕事を優先させることは、当たり前であるとする風潮も見られ、地域社会の希薄化もあって、育児はもっぱら母親の責任とされた。特にエリート職であるビジネスマンを始めとして、サラリーマンでも家庭を顧みない人は多く見られた。

しかしこの日本でも、高度経済成長期から一時の不況を経てバブル期に差し掛かると、職業に没頭した挙句に健康を害したり、または過労により死亡する人が目立つようになり、社会問題として仕事に没入することの危険性が指摘され始めた。また労働災害や職業病に見られる安全や健康を損なってまで就労することの是非も問われる。なおこの時期には、女性の社会進出も進み、過労で体調を崩すキャリアウーマンも少なからず発生した。

この方向性は、米国などから「エコノミックアニマル」(1969年には流行語にもなった)とまで批判(あるいは驚嘆)され、1990年代よりは米国との経済摩擦や社会的風潮にも絡み、やや公的な休日が増えるなどの傾向や、経済成長の鈍化を受けての労働時間短縮もおこっている。

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2007/04/22 18:02 | 未分類

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