「第60回カンヌ国際映画祭」で米国のマイケル・ムーア監督(53)の最新作「シッコ」(日本公開8月)が特別招待作品として、上映された。前作の「華氏911」は04年のパルムドール(最高賞)を受賞しており、メーン会場での上映では場内が満員となった。
ムーア監督が今回、切り込んだのは米国の矛盾した医療システム。冒頭から天敵のブッシュ大統領のスピーチ場面が流されるなど、ムーア節さく裂の展開に観客は大喜び。
9・11テロで活動し病気になった元救急隊員をキューバに連れて行き、治療を受けさせる撮影場面では、渡航許可を受けず米政府から違法の通告を受け罰金、禁固刑の可能性もある。会見でムーア監督は「私がキューバに行くのは昨年の10月に知っていたのに、なぜ、映画祭の今になって」。当局を皮肉り「違法な旅行で撮影された部分があった場合、フィルムを没収すると言われたので、コピーを海外に持ち出して保管している」と徹底抗戦を宣言した。
マイケル・ムーア
ディヴィソンはミシガン州フリントの郊外に位置する中流家庭の多い地域で生まれる。ゼネラルモーターズの生産拠点の一つであった。母は秘書、父と祖父は組み立て工、叔父は自動車工労働組合創立者の一人で、座り込みストライキで有名だった。
アイルランド系の家庭に生まれたムーアは14歳で教区の学校に入学し、続いてディヴィソン高校に入学する。同校を1972年に卒業、同年同校長と副校長の解雇を求めて教育委員会選挙に出馬し当選。任期終了までに校長と副校長は辞職した。
またボーイスカウトの最高位であるイーグル・スカウト(日本では富士スカウトにあたる)であった。イーグルとして自らのコミュニティーにおける、様々な危険や問題を指摘するフィルムを作成した。
1989年に、生まれ故郷の自動車工場が閉鎖され失業者が増大したことを題材にしたドキュメンタリー映画『ロジャー&ミー』で映画監督としてデビューする。アポイントメントなしでゼネラルモーターズの企業経営者、ロジャー・B・スミス会長に突撃取材する手法が話題を呼んだ。
1994年に『ジョン・キャンディの大進撃』を監督。冷戦が終結して敵のいなくなったアメリカが、隣国のカナダを無理やり仮想敵国に仕立てるコメディ映画で、常に外敵を必要とするアメリカ政治を滑稽に笑い飛ばした。
1997年に監督したドキュメンタリー映画『ザ・ビッグ・ワン』では『ロジャー&ミー』と同様の取材方法で、アメリカ国内の工場を閉鎖して失業者を増やしながら、生産工場を国外に移して利益をあげる大企業の経営者たちを批判。
ジョージ・ウォーカー・ブッシュへの批判
2000年アメリカ合衆国大統領選挙では、アメリカ緑の党のラルフ・ネーダー候補を支援。しかし共和党・ブッシュと、民主党・ゴアの接戦が伝えられると、反共和党の立場から「絶対にブッシュを当選させてはならない」と、接戦州ではゴアに得票を集中させるよう訴えた。結果はブッシュの勝利に終わったが、民主党支持者の多いアフリカ系アメリカ人などの社会的少数者を投票から閉め出したり、無効の可能性の高い海外不在者投票(主に軍人で共和党支持者が多い)が有効扱いされるなど数々の不正があったと、ムーアは主張した。
またブッシュ優位ながら僅差のため再集計にもつれ込んだフロリダ州では、再集計でゴア逆転の目が出てきた情勢で、最高裁判所(共和党政権任命判事が多数)により再集計が差し止められ、これでブッシュの当選が決まった。こうした経緯からムーアはブッシュをアメリカ合衆国大統領と認めず、「Bush, Governor of Texas(ブッシュテキサス州知事、ブッシュの前職)」と呼び、大統領の座を盗んだ「泥棒の頭目」と強く批判した。
ホワイトハウス入場不可
一方1999年にはアメリカのロックバンド、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの曲「Sleep Now In The Fire」のPV撮影を、ニューヨーク証券取引所前にてゲリラ的に敢行。ニューヨーク市警察に逮捕され、ホワイトハウスのブラックリスト入りのきっかけのひとつとなった(連行される様子は当該PVに収められている)。
2007年5月、彼がアメリカ政府当局の許可なしにキューバを訪問していたことが発覚し、財務省から捜査を受けている。事前にムーアは渡航許可を求める申請書は提出していたが、実際の許可は出されていないという。

ムーア監督が今回、切り込んだのは米国の矛盾した医療システム。冒頭から天敵のブッシュ大統領のスピーチ場面が流されるなど、ムーア節さく裂の展開に観客は大喜び。
9・11テロで活動し病気になった元救急隊員をキューバに連れて行き、治療を受けさせる撮影場面では、渡航許可を受けず米政府から違法の通告を受け罰金、禁固刑の可能性もある。会見でムーア監督は「私がキューバに行くのは昨年の10月に知っていたのに、なぜ、映画祭の今になって」。当局を皮肉り「違法な旅行で撮影された部分があった場合、フィルムを没収すると言われたので、コピーを海外に持ち出して保管している」と徹底抗戦を宣言した。
マイケル・ムーア
ディヴィソンはミシガン州フリントの郊外に位置する中流家庭の多い地域で生まれる。ゼネラルモーターズの生産拠点の一つであった。母は秘書、父と祖父は組み立て工、叔父は自動車工労働組合創立者の一人で、座り込みストライキで有名だった。
アイルランド系の家庭に生まれたムーアは14歳で教区の学校に入学し、続いてディヴィソン高校に入学する。同校を1972年に卒業、同年同校長と副校長の解雇を求めて教育委員会選挙に出馬し当選。任期終了までに校長と副校長は辞職した。
またボーイスカウトの最高位であるイーグル・スカウト(日本では富士スカウトにあたる)であった。イーグルとして自らのコミュニティーにおける、様々な危険や問題を指摘するフィルムを作成した。
1989年に、生まれ故郷の自動車工場が閉鎖され失業者が増大したことを題材にしたドキュメンタリー映画『ロジャー&ミー』で映画監督としてデビューする。アポイントメントなしでゼネラルモーターズの企業経営者、ロジャー・B・スミス会長に突撃取材する手法が話題を呼んだ。
1994年に『ジョン・キャンディの大進撃』を監督。冷戦が終結して敵のいなくなったアメリカが、隣国のカナダを無理やり仮想敵国に仕立てるコメディ映画で、常に外敵を必要とするアメリカ政治を滑稽に笑い飛ばした。
1997年に監督したドキュメンタリー映画『ザ・ビッグ・ワン』では『ロジャー&ミー』と同様の取材方法で、アメリカ国内の工場を閉鎖して失業者を増やしながら、生産工場を国外に移して利益をあげる大企業の経営者たちを批判。
ジョージ・ウォーカー・ブッシュへの批判
2000年アメリカ合衆国大統領選挙では、アメリカ緑の党のラルフ・ネーダー候補を支援。しかし共和党・ブッシュと、民主党・ゴアの接戦が伝えられると、反共和党の立場から「絶対にブッシュを当選させてはならない」と、接戦州ではゴアに得票を集中させるよう訴えた。結果はブッシュの勝利に終わったが、民主党支持者の多いアフリカ系アメリカ人などの社会的少数者を投票から閉め出したり、無効の可能性の高い海外不在者投票(主に軍人で共和党支持者が多い)が有効扱いされるなど数々の不正があったと、ムーアは主張した。
またブッシュ優位ながら僅差のため再集計にもつれ込んだフロリダ州では、再集計でゴア逆転の目が出てきた情勢で、最高裁判所(共和党政権任命判事が多数)により再集計が差し止められ、これでブッシュの当選が決まった。こうした経緯からムーアはブッシュをアメリカ合衆国大統領と認めず、「Bush, Governor of Texas(ブッシュテキサス州知事、ブッシュの前職)」と呼び、大統領の座を盗んだ「泥棒の頭目」と強く批判した。
ホワイトハウス入場不可
一方1999年にはアメリカのロックバンド、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの曲「Sleep Now In The Fire」のPV撮影を、ニューヨーク証券取引所前にてゲリラ的に敢行。ニューヨーク市警察に逮捕され、ホワイトハウスのブラックリスト入りのきっかけのひとつとなった(連行される様子は当該PVに収められている)。
2007年5月、彼がアメリカ政府当局の許可なしにキューバを訪問していたことが発覚し、財務省から捜査を受けている。事前にムーアは渡航許可を求める申請書は提出していたが、実際の許可は出されていないという。
PR