「熱帯夜」ヒット御礼 5人組ヒップホップグループ「リップスライム」が16日、江ノ島をバックに望む神奈川・鎌倉市の腰越海岸で新曲「熱帯夜」ヒット御礼のビーチイベントを行った。
当初は男女各500人を招待した“合コンライブ”になるはずだったが、集まった800人のうち8割が女性ファンに。ライブ直前から小雨がパラついたが「出てきたら汗がドバー! ぬれてるのは雨のせいじゃないぜ!」とRYO―Z(33)があおり「楽園ベイベー」「Island」「熱帯夜」をパフォーマンスした。ビキニに囲まれてメンバーもハッスル。予定外のアンコールにこたえて、雨を吹き飛ばすようにフリースタイルを披露し、最後は「JOINT」で締めくくった。
リップスライム
メンバー
RYO-Z (リョージ、1974年7月15日 - ) 本名:成田 亮治(なりた りょうじ)
東京都出身。AB型。MC担当。初期メンバーの1人。
別名 ZEEK(ズィーク)。かつては"RYO-G"という名前を使っていた。
2005年にはTERIYAKI BOYZに参加。また「O・T・F(オシャレ・トラック・ファクトリー)」として、FUMIYAと共にHALCALIのプロデュースなども手がけている。:2006年2月に結婚。
カラオケの十八番はALFEEの「恋人達のぺイヴメント」
「ニコ」と言う名前の犬を飼っている。
ILMARI (イルマリ、1975年6月17日 - ) 本名:荻原 イルマリ 恵介(おぎはら いるまり けいすけ)
フィンランド、ヘルシンキ出身。A型。MC担当。初期メンバーの1人。日本人の父とフィンランド人の母を持つハーフである。名前の由来は、フィンランドでのミドルネームが"イルマリ"であることから。
2001年に、Dragon Ashの降谷建志とBOTS、スケボーキングのSHIGEOと共にSteady&Co.を結成。2004年には、女性シンガーSalyuと共同制作で「VALON」をリリース。RYO-Zと同じく2005年にはTERIYAKI BOYZに参加。
かつては"ILLMARI"という名前を使っていた。
ジャパンインターナショナルスクール出身。PESの先輩にあたる。
「番長」という名前の犬を飼っている。愛称は「バン」、「バンちゃん」。
PES (ペス、1976年12月27日 - ) 本名:千葉 昌嗣(ちば まさつぐ)
東京都出身。B型。MC担当。初期メンバーの1人。名前の由来は、学生時代のRYO-Zに付けられたあだ名。
別名、PESSY(ペスィー)、PSY(ピーエスワイ)、アダム。
趣味はゲームとサーフィン。サーフィンの腕は、RYO-Zに「ラップが趣味のサーファーか、サーフィンが趣味のラッパーかわからない」と言わせるほど。
小学生時代には何回もの転校を繰り返していた。自称「小卒」。
ILMARIと同じジャパンインターナショナルスクールに一学年下で通っていた。
カラオケの十八番はBEGINの「恋しくて」。
2匹のチワワ(ジョルジオ(楽園ベイベーのPVに出演)とジョアンナ)とインコ(クック)を飼っている。
SU (スー、1973年11月20日 - ) 本名:大槻 一人(おおつき かずと)
神奈川県辻堂出身。O型。MC担当。名前の由来は、本名の「一人」を縦書きで書いたものを「ス」と読み違えられたことから。
RIP SLYME加入前にはFUMIYAの兄などと共に"MELLOW DOWN"というダンスグループを結成しており、EAST ENDのバックダンサーを務めていた。EAST END×YURIがNHK紅白歌合戦に出場した際、バックでダンスを披露していた。
SMAPの中居正広とSUの姉とFUMIYAの兄が同級だった。
「スーマン」という名前の犬を飼っている。
DJ FUMIYA (フミヤ、1979年3月14日 - ) 本名:竹内 文也(たけうち ふみや)
神奈川県藤沢出身。A型。DJ担当。
兄TAKEがEAST ENDのバックダンサーをしていたことがきっかけでDJを志す。EAST ENDのDJ YOGGYの弟子。SPEED、DA PUMP等のツアーDJを経験、押尾学率いるLIVとはインディーズ時代からの知り合いで、音楽活動にも参加したこともある。また、数多くのアーティストの楽曲提供やREMIXを手がけている。
2004年9月23日に「JOINT」にコーラスで参加していた女性と結婚。
2005年6月16日から自律神経失調症の療養のため一時休養、沖縄で療養をしていたが2006年6月3日に全国ツアー内で今秋の復帰を発表。2006年10月13日のミュージックステーションでテレビ復帰。
犬を飼っている。
ブロウの女声コーラスも彼の奥さんである。

当初は男女各500人を招待した“合コンライブ”になるはずだったが、集まった800人のうち8割が女性ファンに。ライブ直前から小雨がパラついたが「出てきたら汗がドバー! ぬれてるのは雨のせいじゃないぜ!」とRYO―Z(33)があおり「楽園ベイベー」「Island」「熱帯夜」をパフォーマンスした。ビキニに囲まれてメンバーもハッスル。予定外のアンコールにこたえて、雨を吹き飛ばすようにフリースタイルを披露し、最後は「JOINT」で締めくくった。
リップスライム
メンバー
RYO-Z (リョージ、1974年7月15日 - ) 本名:成田 亮治(なりた りょうじ)
東京都出身。AB型。MC担当。初期メンバーの1人。
別名 ZEEK(ズィーク)。かつては"RYO-G"という名前を使っていた。
2005年にはTERIYAKI BOYZに参加。また「O・T・F(オシャレ・トラック・ファクトリー)」として、FUMIYAと共にHALCALIのプロデュースなども手がけている。:2006年2月に結婚。
カラオケの十八番はALFEEの「恋人達のぺイヴメント」
「ニコ」と言う名前の犬を飼っている。
ILMARI (イルマリ、1975年6月17日 - ) 本名:荻原 イルマリ 恵介(おぎはら いるまり けいすけ)
フィンランド、ヘルシンキ出身。A型。MC担当。初期メンバーの1人。日本人の父とフィンランド人の母を持つハーフである。名前の由来は、フィンランドでのミドルネームが"イルマリ"であることから。
2001年に、Dragon Ashの降谷建志とBOTS、スケボーキングのSHIGEOと共にSteady&Co.を結成。2004年には、女性シンガーSalyuと共同制作で「VALON」をリリース。RYO-Zと同じく2005年にはTERIYAKI BOYZに参加。
かつては"ILLMARI"という名前を使っていた。
ジャパンインターナショナルスクール出身。PESの先輩にあたる。
「番長」という名前の犬を飼っている。愛称は「バン」、「バンちゃん」。
PES (ペス、1976年12月27日 - ) 本名:千葉 昌嗣(ちば まさつぐ)
東京都出身。B型。MC担当。初期メンバーの1人。名前の由来は、学生時代のRYO-Zに付けられたあだ名。
別名、PESSY(ペスィー)、PSY(ピーエスワイ)、アダム。
趣味はゲームとサーフィン。サーフィンの腕は、RYO-Zに「ラップが趣味のサーファーか、サーフィンが趣味のラッパーかわからない」と言わせるほど。
小学生時代には何回もの転校を繰り返していた。自称「小卒」。
ILMARIと同じジャパンインターナショナルスクールに一学年下で通っていた。
カラオケの十八番はBEGINの「恋しくて」。
2匹のチワワ(ジョルジオ(楽園ベイベーのPVに出演)とジョアンナ)とインコ(クック)を飼っている。
SU (スー、1973年11月20日 - ) 本名:大槻 一人(おおつき かずと)
神奈川県辻堂出身。O型。MC担当。名前の由来は、本名の「一人」を縦書きで書いたものを「ス」と読み違えられたことから。
RIP SLYME加入前にはFUMIYAの兄などと共に"MELLOW DOWN"というダンスグループを結成しており、EAST ENDのバックダンサーを務めていた。EAST END×YURIがNHK紅白歌合戦に出場した際、バックでダンスを披露していた。
SMAPの中居正広とSUの姉とFUMIYAの兄が同級だった。
「スーマン」という名前の犬を飼っている。
DJ FUMIYA (フミヤ、1979年3月14日 - ) 本名:竹内 文也(たけうち ふみや)
神奈川県藤沢出身。A型。DJ担当。
兄TAKEがEAST ENDのバックダンサーをしていたことがきっかけでDJを志す。EAST ENDのDJ YOGGYの弟子。SPEED、DA PUMP等のツアーDJを経験、押尾学率いるLIVとはインディーズ時代からの知り合いで、音楽活動にも参加したこともある。また、数多くのアーティストの楽曲提供やREMIXを手がけている。
2004年9月23日に「JOINT」にコーラスで参加していた女性と結婚。
2005年6月16日から自律神経失調症の療養のため一時休養、沖縄で療養をしていたが2006年6月3日に全国ツアー内で今秋の復帰を発表。2006年10月13日のミュージックステーションでテレビ復帰。
犬を飼っている。
ブロウの女声コーラスも彼の奥さんである。

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京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山(れいぎざん)。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ、786−850)が開いた檀林寺があった。その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇(在位1242−1246)とその皇子である亀山天皇(在位1259−1274)は離宮を営み、「亀山殿」と称した。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名がある。天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなむ。
足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(後醍醐天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。尊氏は暦応元年/延元3年(1338年)、征夷大将軍となった。後醍醐天皇が吉野で死去したのは、その翌年の暦応2年/延元4年(1339年)である。足利尊氏は、後醍醐天皇の始めた建武の新政に反発して天皇に反旗をひるがえした人物であり、対する天皇は尊氏追討の命を出している。いわば「かたき」である後醍醐天皇の死去に際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石であった。寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船が仕立てられたことは著名である。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345年)に行われた。
天龍寺は京都五山の第一として栄え、寺域は約33万平方メートル、現在の京福電鉄帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅あたりにまで及ぶ広大なもので、子院150か寺を数えたという。しかし、その後のたびたびの火災により、創建当時の建物はことごとく失われた。中世には延文3年(1358年)、貞治6年(1367年)、応安6年(1373年)、康暦2年(1380年)、文安4年(1447年)、応仁元年(1467年)と、6回も火災に遭っている。応仁の乱による焼失・再建後、しばらくは安泰であったが、江戸時代の文化12年(1815年)にも焼失、さらに幕末の元治元年(1864年)、蛤御門の変(禁門の変)で大打撃を受け、現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。なお、方丈の西側にある夢窓疎石作の庭園(特別名勝・史跡)にわずかに当初の面影がうかがえる。
方丈の北側には、宮内庁管理の亀山天皇陵と後嵯峨天皇陵がある。

天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ、786−850)が開いた檀林寺があった。その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇(在位1242−1246)とその皇子である亀山天皇(在位1259−1274)は離宮を営み、「亀山殿」と称した。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名がある。天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなむ。
足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(後醍醐天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。尊氏は暦応元年/延元3年(1338年)、征夷大将軍となった。後醍醐天皇が吉野で死去したのは、その翌年の暦応2年/延元4年(1339年)である。足利尊氏は、後醍醐天皇の始めた建武の新政に反発して天皇に反旗をひるがえした人物であり、対する天皇は尊氏追討の命を出している。いわば「かたき」である後醍醐天皇の死去に際して、その菩提を弔う寺院の建立を尊氏に強く勧めたのは、当時、武家からも尊崇を受けていた禅僧・夢窓疎石であった。寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船が仕立てられたことは著名である。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345年)に行われた。
天龍寺は京都五山の第一として栄え、寺域は約33万平方メートル、現在の京福電鉄帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅あたりにまで及ぶ広大なもので、子院150か寺を数えたという。しかし、その後のたびたびの火災により、創建当時の建物はことごとく失われた。中世には延文3年(1358年)、貞治6年(1367年)、応安6年(1373年)、康暦2年(1380年)、文安4年(1447年)、応仁元年(1467年)と、6回も火災に遭っている。応仁の乱による焼失・再建後、しばらくは安泰であったが、江戸時代の文化12年(1815年)にも焼失、さらに幕末の元治元年(1864年)、蛤御門の変(禁門の変)で大打撃を受け、現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。なお、方丈の西側にある夢窓疎石作の庭園(特別名勝・史跡)にわずかに当初の面影がうかがえる。
方丈の北側には、宮内庁管理の亀山天皇陵と後嵯峨天皇陵がある。

新たなゲームクリエーターの発掘などを目的として、エンターブレインと財団法人デジタルコンテンツ協会が“ゲーム甲子園2007”を開催。2007年9月1日から、プロ・アマを問わず全国から広く作品を募ることを発表した。
すぐれた企画や人材を発掘し、可能な限り製品化を実現することを目的として企画された“ゲーム甲子園”も今回で5回目。応募の際の間口の広さなどが好評を博し、前回の“ゲーム甲子園2006”では、552作品もの応募が集まっている。2007年9月1日〜2008年1月4日まで応募を実施する“ゲーム甲子園2007”では、前回と同じく、企画アイディア部門、ゲームプログラム部門、サウンド部門、コンセプトシート部門の4部門において作品を募集。審査は毎月行い月間優秀賞を選定、その中から最終選考を経て、大賞や部門賞などを選出することになっている(発表は2008年2月を予定)。審査員には、ガイヤ代表取締役の岡田耕治氏や、レッド・エンタテインメント取締役会長の広井王子氏、キューエンタテインメント代表取締役CCOの水口哲也氏など、草々たるゲームクリエーターが予定されている。
“ゲーム甲子園2007”応募概要
募集期間
2007年9月1日〜2008年1月4日
募集部門
<企画アイディア部門>
ゲームの企画(アイディア・システムなど)、またはキャラクター設定・世界観などゲームの元になる設定を書面にまとめた作品を募集
<ゲームプログラム部門>
応募者がオリジナルで制作したゲームプログラム作品を募集
<サウンド部門>
ゲーム音楽を前提とした電子楽器を使用し、打ち込みで制作した音楽(DTM)作品を募集
<コンセプトシート部門>
ゲームアイディアの一番もとになるコンセプトを、A4用紙1枚のシートにまとめた作品を募集
審査詳細
【ゲームメーカーによる製品化の審査】
募集期間中、毎月末日までに届いた作品の第1次審査を事務局にて随時実施。第1次審査通過作品は全協賛メーカーにて審査を行ない、メーカーから製品化などの希望があった場合、応募者に事務局より連絡
【大賞・月間優秀作品の審査】
メーカーによる審査とは別に、その月の応募作品の中から優秀な作品を月間優秀賞として選出し、大賞にノミネート。その中から、各審査員による厳正なる審査により大賞のほか、各賞を選考
副賞
【期間賞】(募集期間を通しての賞)
大賞(賞金100万円・トロフィー)
部門賞(4部門・盾)
特別賞(盾)
【月間賞】(各月ごとの賞)
月間優秀賞(年間大賞へのノミネート)
審査員
岡田耕始(ガイア 代表取締役)
川村順一(デジタルスケープ エグゼクティブプロデューサー)
鈴木理香(シング 取締役副社長)
薗部博之(パリティビット 代表取締役)
馬場 章(東京大学 教授・日本デジタルゲーム学会 会長)
浜村弘一(エンターブレイン 代表取締役社長)
広井王子(レッド・エンタテインメント 取締役会長)
水口哲也(キューエンタテインメント 代表取締役CCO)
すぐれた企画や人材を発掘し、可能な限り製品化を実現することを目的として企画された“ゲーム甲子園”も今回で5回目。応募の際の間口の広さなどが好評を博し、前回の“ゲーム甲子園2006”では、552作品もの応募が集まっている。2007年9月1日〜2008年1月4日まで応募を実施する“ゲーム甲子園2007”では、前回と同じく、企画アイディア部門、ゲームプログラム部門、サウンド部門、コンセプトシート部門の4部門において作品を募集。審査は毎月行い月間優秀賞を選定、その中から最終選考を経て、大賞や部門賞などを選出することになっている(発表は2008年2月を予定)。審査員には、ガイヤ代表取締役の岡田耕治氏や、レッド・エンタテインメント取締役会長の広井王子氏、キューエンタテインメント代表取締役CCOの水口哲也氏など、草々たるゲームクリエーターが予定されている。
“ゲーム甲子園2007”応募概要
募集期間
2007年9月1日〜2008年1月4日
募集部門
<企画アイディア部門>
ゲームの企画(アイディア・システムなど)、またはキャラクター設定・世界観などゲームの元になる設定を書面にまとめた作品を募集
<ゲームプログラム部門>
応募者がオリジナルで制作したゲームプログラム作品を募集
<サウンド部門>
ゲーム音楽を前提とした電子楽器を使用し、打ち込みで制作した音楽(DTM)作品を募集
<コンセプトシート部門>
ゲームアイディアの一番もとになるコンセプトを、A4用紙1枚のシートにまとめた作品を募集
審査詳細
【ゲームメーカーによる製品化の審査】
募集期間中、毎月末日までに届いた作品の第1次審査を事務局にて随時実施。第1次審査通過作品は全協賛メーカーにて審査を行ない、メーカーから製品化などの希望があった場合、応募者に事務局より連絡
【大賞・月間優秀作品の審査】
メーカーによる審査とは別に、その月の応募作品の中から優秀な作品を月間優秀賞として選出し、大賞にノミネート。その中から、各審査員による厳正なる審査により大賞のほか、各賞を選考
副賞
【期間賞】(募集期間を通しての賞)
大賞(賞金100万円・トロフィー)
部門賞(4部門・盾)
特別賞(盾)
【月間賞】(各月ごとの賞)
月間優秀賞(年間大賞へのノミネート)
審査員
岡田耕始(ガイア 代表取締役)
川村順一(デジタルスケープ エグゼクティブプロデューサー)
鈴木理香(シング 取締役副社長)
薗部博之(パリティビット 代表取締役)
馬場 章(東京大学 教授・日本デジタルゲーム学会 会長)
浜村弘一(エンターブレイン 代表取締役社長)
広井王子(レッド・エンタテインメント 取締役会長)
水口哲也(キューエンタテインメント 代表取締役CCO)
宮崎県の東国原英夫知事(49)が15日夜、靖国神社を参拝した。62回目の終戦記念日のこの日、閣僚では高市早苗沖縄・北方担当相(46)がただ1人参拝したほか、小泉純一郎前首相(65)や石原慎太郎都知事(74)、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーらも参拝した。安倍晋三首相(52)は、政府主催の戦没者追悼式に出席したが、靖国神社参拝はしなかった。
東国原知事が、あわや“門前払い”の危機に直面した。午前中に宮崎市内の宮崎神宮で戦没者の追悼式典に出席した知事は、宮崎空港から午後6時羽田着の飛行機に乗り込み、靖国神社を訪れる予定だった。
だが、羽田に着いてから、東京・九段北の靖国神社へ向かうまでの道中、高速道路で想定外の渋滞にはまってしまい、到着したのは閉門1分前の18時59分。本殿に続く神門が徐々に閉まり出し、警備員が「もうおしまいで〜す」「閉まりま〜す」と声を張り上げるなか、側近が事情説明し、何とか入場した。
東国原 英夫
1957年(昭和32年)
9月16日:鹿児島県末吉町(現曽於市)にて出生。後に都城市に移転。姉がいる。
1967年(昭和42年)
両親が離婚。母方の姓となる(その後、母が再婚し現在の「東国原英夫」となる)。
1976年(昭和51年)
3月:宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校全日制課程普通科卒業。
1980年(昭和55年)
3月:専修大学経済学部経済学科卒業。
1980年(昭和55年)
12月:フジテレビ のお昼のバラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」のコーナーで漫才コンビ「オスカル・メスカル」で出場し、チャンピオンになる。
1982年(昭和57年)
3月:ビートたけし(ツービート)の最初のボーヤ(付き人)となる。
1983年 (昭和58年)
9月:『お笑いスター誕生!!』で「ツーツーレロレロ」として出場し、金賞を授賞。
1985年(昭和60年)
:フリーアナウンサー片平きみよ(現・片平夏貴)と結婚。
1986年(昭和61年)
12月9日:フライデー襲撃事件。
1989年(平成元年)
片平きみよと離婚。
1990年(平成2年)
3月:女優のかとうかずこと再婚。
2000年(平成12年)
4月:早稲田大学第二文学部入学。
2004年(平成16年)
3月:早稲田大学第二文学部卒業。
4月:社会人AO入試で早稲田大学政治経済学部政治学科入学。
2006年(平成18年)
2月3日:かとうかずこと離婚。
3月:早稲田大学政治経済学部政治学科中途退学
12月13日:オフィス北野(所属事務所)との契約を解消(事実上の芸能界引退)。
2007年(平成19年)
1月21日:第17回宮崎県知事選挙(無所属)当選。有効票数は266,807票。

東国原知事が、あわや“門前払い”の危機に直面した。午前中に宮崎市内の宮崎神宮で戦没者の追悼式典に出席した知事は、宮崎空港から午後6時羽田着の飛行機に乗り込み、靖国神社を訪れる予定だった。
だが、羽田に着いてから、東京・九段北の靖国神社へ向かうまでの道中、高速道路で想定外の渋滞にはまってしまい、到着したのは閉門1分前の18時59分。本殿に続く神門が徐々に閉まり出し、警備員が「もうおしまいで〜す」「閉まりま〜す」と声を張り上げるなか、側近が事情説明し、何とか入場した。
東国原 英夫
1957年(昭和32年)
9月16日:鹿児島県末吉町(現曽於市)にて出生。後に都城市に移転。姉がいる。
1967年(昭和42年)
両親が離婚。母方の姓となる(その後、母が再婚し現在の「東国原英夫」となる)。
1976年(昭和51年)
3月:宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校全日制課程普通科卒業。
1980年(昭和55年)
3月:専修大学経済学部経済学科卒業。
1980年(昭和55年)
12月:フジテレビ のお昼のバラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」のコーナーで漫才コンビ「オスカル・メスカル」で出場し、チャンピオンになる。
1982年(昭和57年)
3月:ビートたけし(ツービート)の最初のボーヤ(付き人)となる。
1983年 (昭和58年)
9月:『お笑いスター誕生!!』で「ツーツーレロレロ」として出場し、金賞を授賞。
1985年(昭和60年)
:フリーアナウンサー片平きみよ(現・片平夏貴)と結婚。
1986年(昭和61年)
12月9日:フライデー襲撃事件。
1989年(平成元年)
片平きみよと離婚。
1990年(平成2年)
3月:女優のかとうかずこと再婚。
2000年(平成12年)
4月:早稲田大学第二文学部入学。
2004年(平成16年)
3月:早稲田大学第二文学部卒業。
4月:社会人AO入試で早稲田大学政治経済学部政治学科入学。
2006年(平成18年)
2月3日:かとうかずこと離婚。
3月:早稲田大学政治経済学部政治学科中途退学
12月13日:オフィス北野(所属事務所)との契約を解消(事実上の芸能界引退)。
2007年(平成19年)
1月21日:第17回宮崎県知事選挙(無所属)当選。有効票数は266,807票。

2007年8月15日、NHN Japanは、韓国ZEONIX社が開発した『シュミッドディーヴァ』の日本国内における独占供給権を獲得したことを発表。PC向けポータルゲームサイトのハンゲームで、2007年秋から正式サービスをスタートさせることを明らかにした。また、8月15日午後5時より公式サイトがオープンしている。
『シュミッドディーヴァ』は、4人の姫が統治する4つの勢力のもとで勢力間戦争を行うオンラインゲーム。プレイヤーは、4つの勢力のいずれかに所属し、ほかのプレイヤーとマップ上でバトルを行う。個々のプレイヤーの勝敗結果により、所属勢力の勝敗が決定し、勝利した勢力に属するプレイヤーにはプレミアムアイテムが贈られる。
なお、今後のスケジュールは、2007年8月22日にクローズドテスト参加者募集開始。2007年9月にクローズドテスト開始予定。2007年秋に正式サービスがスタートする予定になっている。プレイ料金は基本無料で、一部有料課金になる予定。
必要環境
CPU:Pentium III 800Mhz以上
OS:Windows2000、XP
RAM:256MB以上
VRAM:64MB以上
DirectX 9.0以上必須
『シュミッドディーヴァ』は、4人の姫が統治する4つの勢力のもとで勢力間戦争を行うオンラインゲーム。プレイヤーは、4つの勢力のいずれかに所属し、ほかのプレイヤーとマップ上でバトルを行う。個々のプレイヤーの勝敗結果により、所属勢力の勝敗が決定し、勝利した勢力に属するプレイヤーにはプレミアムアイテムが贈られる。
なお、今後のスケジュールは、2007年8月22日にクローズドテスト参加者募集開始。2007年9月にクローズドテスト開始予定。2007年秋に正式サービスがスタートする予定になっている。プレイ料金は基本無料で、一部有料課金になる予定。
必要環境
CPU:Pentium III 800Mhz以上
OS:Windows2000、XP
RAM:256MB以上
VRAM:64MB以上
DirectX 9.0以上必須