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2026/07/23 06:37 |
倖田來未のパチンコ機登場!!
歌手の倖田來未(24)がキャラクターになったパチンコ機「KODA KUMI FEVER LIVE IN HALL」が7月下旬から導入されることが14日、発表された。倖田のライブを表現するため音質にこだわったステレオスピーカーを搭載、華やかな音と光を放つ台になるという。「お客様が日常を忘れるという意味ではエンターテインメントの一つ」という倖田は「普段はやったことはないのですが、サンプル台を見せていただいてテンションが上がりました」。台の発表を記念して、6月20日には横浜アリーナでプレミアライブを行う。

倖田來未
3歳頃より、尺八を教えていた祖父と琴を教えていた母親の勧めで、日本舞踊の演者として初舞台を踏んでいる。
プロ野球・阪神タイガースの赤松真人外野手は藤森中学校時代の同級生。
とんねるずの大ファン。元々母親がとんねるずのファンだったことに影響されたという。「うたばん」(TBS)に出演するといつも石橋貴明と、「とんねるずのみなさんのおかげです」(フジテレビ)の懐かしのギャグで盛り上がるほどである。また「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ)内の「新・食わず嫌い王決定戦」に出演し石田純一と対決した際には「10年間イメトレを重ねてきました」とも発言している(が、結果は「ゴルゴンゾーラのピザ」を一発で石田に当てられ敗北。罰ゲームとして「キューティーハニー」をア・カペラで歌わされた)。
敬愛しているアーティストはDREAMS COME TRUEと岡本真夜。歌手を目指すきっかけは中学時代にDREAMS COME TRUEのライブを見たことで、エイベックスのオーディションで歌った曲は岡本真夜の「Alone」だという。
2005年のNHK紅白歌合戦のリハーサルでは、ノーブラ衣装でのステージを宣言したが、むしろ紅白歌合戦に先立つ日本レコード大賞ステージでの衣装がマスコミから大きく注目を集めた。豊満な胸を強調するファッションは衝撃的としてマスコミから報道された。
2005年12月から12週間連続でシングルをリリースしているが、5万枚限定リリースである9枚は発売前から予約が殺到し、500円だったシングルがオークションで価格の数十倍にまで膨れ上がるなど、入手困難な状態になっていた。
12週連続リリース作品の全ての裏ジャケットを並べると1つの絵が出来上がるようになっている。また背帯にも、リリース順に並べてもひとつの絵が出来上がる。
ミュージックステーションスーパーライブにパンツをはかずに出演した事がある。
PVやCDジャケットでは、クリスティーナ・アギレラを中心にビヨンセ、ブリトニー・スピアーズなど海外アーティストの作品の衣装や構図を模倣しているともいわれることもある。またクリスティーナ・アギレラのステージ衣装のカラーデザインを変えたものを着ているときもあった。倖田自身は「アギ(クリスティーナ・アギレラ)のような強い女性に憧れる」「私も少しアメリカで売れたから、PVも恥ずかしいことはしたくない。海外を意識している」と偶然の一致ではないとする発言をしている。
DJ OZMAのホームパーティーで森山直太朗・神奈月と知り合いになった。
テレビ欄では「倖田来未」である。(來は常用漢字外。)
2007年4月26日、安倍内閣メールマガジンに登場し、小中学生時代に受けたいじめ体験を告白。政府インターネットテレビにていじめ撲滅を訴える動画を配信した。
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2007/05/15 12:45 | 芸能人
三菱・ディアマンテ
1989年の第28回東京モーターショーに参考出品され1990年にギャランΣ・エテルナΣの後継車として発売。

当時、このクラスの上級セダンはFRの駆動方式を採用するのが定番であったが、ディアマンテはFFの駆動方式を採用。また、発売当初より4WDの設定があり、当時の上級セダンでは珍しかった(後にはFFのみの設定となった)。
ライバルであるトヨタ・マークII3姉妹や日産・セフィーロ等の5ナンバー規格の乗用車が一般的な中に、比較的割安な価格帯で3ナンバー専用大柄なボディーにBMW風のスタイリッシュなデザイン、マルチビジョンや三菱インテリジェントコックピットシステムなどをはじめ、規格改正で特に排気量2.5Lまでの車の税金が下がった時期に3種類のV6エンジン(3L、2.5L、2L)とFF以外に4WDも選べると言う選択肢の広さもあり、後の3ナンバーミドルクラス乗用車へ与えた影響はかなり大きく、ユーザーからは好評を得て1990−91日本カー・オブ・ザ・イヤーも獲得する。
初代ディアマンテをベースに開発されたセダン「シグマ」は事実上姉妹車である。
GTOはこの型のディアマンテをベースに作られている。
舘ひろし主演のドラマ『代表取締役刑事』『愛しの刑事』でも使われた。
1992年11月 マイナーチェンジ。2000ccはSOHC24バルブの6A12型に変更。
1993年3月 マグナワゴンの後継としてディアマンテワゴンが豪州アデレードのオーストラリア三菱で製造、日本に輸入された。
1993年11月 再度のマイナーチェンジでフロントグリルをボディカラーと同色化。廉価グレードのEシリーズはエスパーダに集約された。
韓国・現代自動車のソナタ(2代目)とマルシアはこの型のディアマンテのプラットフォームを用いている。

1995年2月にモデルチェンジ。イメージ的には初代のキープコンセプトだがフロントノーズが逆スラントからやや垂直になりテールランプもL型になった。駆動方式もFF/4WDを設定。

MIVEC機構を搭載した270馬力を発生する6G72エンジンを積んだ30M/30M-SE。DOHC24バルブ230馬力6G72型を搭載する30R/30R-SE。2.5LにはDOHC24バルブ200馬力の25V/25V-SE。省燃費MVV仕様SOHC24バルブ175馬力レギュラーガソリン仕様の25Eのあわせて2種類4タイプのエンジンがラインナップされていた。
ハイテク装備と安全装備はより洗練されGPSカーナビゲーションは音声ガイドがついた。
1997年8月マイナーチェンジ。テールランプが分割式となり、3.0LのGDIのみとなる。
この時シグマパトカーの後継としてパトカー仕様が設定される。台数は少なく埼玉・静岡・長崎などでしか配備されておらず製造期間も2年弱と短く、リコール隠しもあったために通常よりも早く姿を消した。耐久性を考慮してこのモデルにはGDIエンジンは搭載されていない。
1997年10月(オーストラリアは4月)にワゴンもモデルチェンジしたが売り上げは芳しくなく1999年に輸入を終了した。
1999年10月 マイナーチェンジ。GDIを積んで2.5Lが復活。テールランプが縦型になる。
2002年9月 3000/2500のGDIエンジンから2.5L SOHCのFFのみとなる。
2003年海外仕様のみマイナーチェンジ。ブーレイ顔が採用された。
2005年6月15日、セダン需要の低迷を理由に、三菱自動車は中大型セダン市場からの撤退を決定、同年12月に国内での生産と販売を終了した。
プラットフォームは現代自動車と傘下の起亜自動車で幅広く利用され、グレンジャー(XG型(ヒュンダイXG))、ソナタ(EF型)、サンタフェ(SM型)、トラジェ、オプティマのベースとなった。

2007/05/14 13:22 | 未分類
人生の意義って何?
哲学的問いの中でも、おそらく最も古くから普遍的に存在するものであろう。「意義」という語が多くの解釈を持ち得ることもあって、この問いは漠然としている。さらに「生きる事・生命の意義とは何か?」というこの問いに対する直接的な回答よりも、それを考えること自体に比重が置かれている場合もあり、人により様々な意味あいを持っている。

この問答は、多くの人間が想い抱くものであるといえよう。人が生きていく時間は長く、又、様々な思いが生まれ出てから果てるまで交錯する中で、自分自身の生を意識する事が、又、他人の生を意識する事が、人の常であるためである。この命題を問い掛けるもの、思い悩むものは、古今東西を問わず、様々な場所で見出される。これは大衆からインテリに至るまで、社会的な立場の違いにも拠らず普遍的でもある。

ただ、この命題に人類としての絶対真理的な解答は、現在の所見出されてはいない。人が感銘を受ける模範解答は、宗教や哲学、あるいは芸術(文学や音楽など)に数多く存在するが、そのいずれもが万人にとって回答たり得ない。これと同時に、人の一生は各個人に固有のものであるため、この命題の解答も、個人に固有のものであるとも考えられる。

このような漠然・広義な問いとして他に「生命の起源は?」、「宇宙(万物)とは何か?」から「人生において貴重なこととは?」などまで多岐に渡るが、科学理論・哲学・神学・超自然的解釈などの見地から、たいてい解答のせめぎ合い・議論を呼ぶ結果になる。さらに、各々の価値観にも絡み、これらの命題に関する最終的な結論は、やはり見出されていない。

このような命題は思春期に人の心を捉えることがある。そして、この期間を経た者の多くは、自分なりの解答を持つ者もある。精神的な成熟の過程で、これらの命題を考える事は、不可避なのかもしれないし、必要なのかもしれない。

生存・現世での成功
富・社会的地位を向上させる
人と競争・協力する
自分にとって害悪となる対象を駆逐する
芸術作品などによって後世に跡を残す
人類の進化・テクノロジーの進化を進める
何らかの目的の為に死を選ぶ
健康になる
子孫を残す。家族を守る
夢・将来ヴィジョン・運命を追いかける
精神・肉体的な自由を追求する
幸福・喜びを追求する

「私は」という個人から発する思想より、「皆が・全体が」から発する思想に重きをおく
「人生は過ぎるもの」とし、それ自体を楽しむ
人との繋がりを求める
直面する問題を1つ1つ解決してゆく。反対にその問題自体をそもそも問題とは見なさず「あるがまま」として、人生を歩んでゆく。
美しさを追求する
「生命には本質的意味はそもそも存在しないから、個々人の意義は本人がそれぞれ決めればよい」とする。この場合、世の全ての事象は確実なものになる(見える)可能性がある。

2007/05/14 13:15 | 未分類
辰吉、現役続行
元WBC世界バンタム級王者の辰吉丈一郎(大阪帝拳)が14日、関西空港着の航空機で、トレーニングのために4月20日から訪れていたタイから帰国した。

現地で約80ラウンドのスパーリングなどを行った辰吉は「減量すれば、試合はいつでもできる」と、現役続行に向け手応えを語った。今後については「(まずはタイに)行っただけでアピールになる。その先のことはまだ考えていない」と話した。

辰吉は2003年9月を最後に試合から遠ざかっており、05年3月にはジム側から引退を勧告された。ボクサーライセンスの年齢制限は36歳で、辰吉は15日が37歳の誕生日。元世界王者などには、最後の試合から5年以内はライセンス交付申請ができる特例がある。

辰吉
ボクシングファンであった父・粂二(くめじ)より幼少のころから我流のボクシングを仕込まれた。中学時代の担任であった依田教諭の勧めで、中学卒業と同時に片道の電車代だけをもって大阪に渡り、大阪帝拳ジムに入門した。
 ちなみに、粂二は辰吉にボクシング(喧嘩)の稽古を付けていた時に、構える手の高さは胸の前あたりの方が、相手全体を見渡したり攻撃をかわしやすく、また、喧嘩の相手を掴んだり凶器を奪いやすいと教えた。辰吉の無意識にガードを下げる癖はそこに由来すると考えられる。辰吉自身の解釈は、喧嘩ではの相手がオーソドックスの場合に右足で蹴ってくる場合が多く、左手を下げておくことで蹴りを払い、右手でパンチを繰り出すことができるからだと映画「BOXER JOE]で語っている。
 なお、この時期の辰吉は、サウナや立ち食いうどん屋などでバイトをしながらボクシングに打ち込んでいた。

1987年、17歳で全日本社会人選手権バンタム級優勝。ソウルオリンピックの有力候補だったが、体調不良により予選で敗退した。この後約一年間、諸事情によりジムを離れて半ば放浪同然の生活を送っている。その後、後の専属トレーナー大久保淳一氏が主催するジムでのトレーニングを経て大阪帝拳に復帰。アマで数試合をこなす。この頃から辰吉の試合記事は関西地区のスポーツ新聞に写真入りで報じられており、その才能は早くから注目の的だった。アマチュア通算成績は19戦18勝(18KO・RSC) 1敗。

1989年9月29日、韓国ジュニア・フェザー級2位の崔相勉を2回2分47秒KO勝ちでプロデビュー。

1990年9月、国内最短タイ記録となる4戦目で日本バンタム級王座を獲得。

1991年9月19日、8戦目で世界初挑戦。グレグ・リチャードソン(米国)を10回終了TKOに降し、WBC世界バンタム級王座獲得。8戦目での世界王座奪取は国内選手としての史上最短記録で、現在も破られていない(2006年7月22日に名城信男が同じく8戦目でWBA世界スーパーフライ級王座を獲得)。

しかし、同年12月、無敗のWBC世界バンタム級5位、李勇勲(韓国)との初防衛戦に向けてトレーニング中、左眼網膜裂孔が判明し、長期間の休養を強いられる。

1992年9月17日、王座奪取から丸1年ぶりの初防衛戦。休養中にWBC世界バンタム級暫定王座に就いたビクトル・ラバナレス(メキシコ)と統一戦を戦うが、9回TKOに敗れ、王座陥落。しかし負けたのは、双子の弟「丈二郎」と言い張っていた。

その後、1戦をはさみ、1993年7月22日、WBC世界バンタム級暫定王座決定戦としてラバナレスと再戦。12回判定勝ちを収め、10ヵ月ぶりの世界王座返り咲きを果たす。

ところが、同年9月、今度は左眼網膜剥離が判明し、暫定王座返上。引退の危機に。しかし、1994年7月、ハワイで復帰戦を行い、3回KO勝ち。この勝利でWBCから返上していた暫定王座を再び与えられる。

同年12月、WBC世界バンタム級正規王者薬師寺保栄との統一戦が実現。この試合は彼のキャリアの中でも最大の注目を集め、圧倒的優位を予想されたが、12回判定負け。暫定王座から陥落。

その後、1996年3月と翌1997年4月の2度にわたり、WBCスーパーバンタム級王者ダニエル・サラゴサ(メキシコ)に挑むが、いずれも敗戦。「もはや世界王座返り咲きは無理」という声も聞かれるようになった。

同年11月22日、引退を賭け、通算5度目の世界挑戦。元のバンタム級に戻し、WBC世界同王者のシリモンコン・ナコントンパークビュー(タイ)に挑戦。圧倒的不利の予想を覆し、見事7回TKO勝ち。約3年ぶりの世界王座返り咲きを果たす。

1998年3月、横浜アリーナでホセ・ラファエル・ソーサの挑戦を受け、12回判定勝ち。

1998年8月、WBC世界バンタム級1位(当時)で指名挑戦者のポーリー・アヤラと対戦し、負傷判定ながら2度目の防衛を果たす。

1998年12月29日、大阪市中央体育館でウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)に6回KO負けを喫し、王座陥落。

1999年8月、挑戦者として大阪ドームでウィラポンと再戦するも、また7回TKO負けで雪辱ならず。試合後、「普通のお父っつあんに戻ります」と現役引退を表明した。

しかし、日増しに現役続行への思いが強まったようで、後に引退表明を撤回。

2002年12月、実に3年4ヵ月ぶりの復帰戦。元WBAフライ級王者のセーン・ソー・プルンチットを相手に復帰戦を行い、7回TKO勝ちを収める。

2003年9月には復帰第2戦を行い、10回判定勝ちを収めるも、その後は負傷した左脚の回復が思わしくなく、再び長いブランクに入っている。

現在も次戦開催の目処は立っておらず、最悪の場合このまま引退する可能性もあるが、現在プロボクサーを目指している 長男・寿希也とともに、奇跡の王座返り咲きを信じて練習を続けており、その「どんなことがあってもあきらめない姿勢」に励まされるファンは多い。

ダウンタウンの松本人志とは、親友として知られる。その縁で「ダウンタウンDX」などにもゲスト出演している。

ボクシング番組の解説などで明らかなパンチドランカーの症状(呂律が回っていない、発言内容が支離滅裂など)を見せており、ファンを心配させている。

交友範囲の広いことで知られる彼だが、特に岸本加世子には絶大な信頼をおいており、実の姉のように慕っている。

意外にも布袋寅泰、イチローと仲がよい(度々、会場まで試合観戦に訪れている)。

ファンに惜しまれながらも潔く現役を退いていくスポーツ選手が多い中で、どれだけみっともない姿をさらそうが、どれだけ陰口をたたかれようが、「最後に笑ったらエエ」という信念を絶対に曲げない人間である。ボクシング漫画の金字塔「はじめの一歩」では何度も扉ページに登場し、「勝っても負けても彼ほど人を感動させるボクサーはいない」と評されている。


2007/05/14 13:10 | 未分類
ファイナルファンタジーXI冒険者さんありがとうキャンペーン
2007年5月11日より、スクウェア・エニックスが運営するMMO(多人数参加型)RPR『ファイナルファンタジーXI』にて"冒険者さんありがとうキャンペーン"が開催されている。

毎年恒例となった本キャンペーンでは、おなじみのモーグリたちが、各プレイヤーの冒険にまつわるさまざまな記録を教えてくれる。

また、サンドリア、バストゥーク、ウィンダスの3都市で待機している担当モーグリからは、不思議な力を秘めた指輪"アニバーサリリング"や新作花火など、スペシャルな記念品をプレゼントしてもらえるとか。5月16日には正式サービス開始5周年を迎える本作。本キャンペーンで、自分自身の成長と冒険の記録を振り返ってみよう。

『FFXI』の歴史
スクウェアより発売
2001年12月 一般βテスターによる、クローズドβ2テストが開始される。
2002年5月16日 日本国内にて、プレイステーション2版パッケージがリリース、正式サービスの開始
2002年9月26日 「ファイナルファンタジーXI 2002 SPECIAL ART BOX」が発売
2002年11月7日 日本国内にて、Windows版が発売
以降、スクウェア・エニックスより発売
2003年4月17日 拡張データディスク「ジラートの幻影」が発売
2003年10月28日 北米でWindows版が発売されてサービスが開始、日本語だけでなく英語も飛び交うようになった。
2004年3月23日 北米においてプレイステーション2版もサービスが開始
2004年4月 『FFXI』の有料契約者数が50万人を突破した。また、キャラクターに関しては120万キャラを突破。
2004年9月16日 拡張データディスク「プロマシアの呪縛」を発売。それに伴い、ヨーロッパ圏でもサービス開始。
2004年9月18日 同時接続者数が17万人を越える。
2004年9月22日 北米で拡張データディスク「プロマシアの呪縛」を発売。
2004年9月28日 アクティブユーザー数が55万人、キャラクター数は150万を突破。
2004年12月9日 公式サイトにおいてリアルマネートレード(RMT)の対応についてのコメントが発表された。
2005年2月15日 規約に違反する行為(モンスターの狩場を独占、MPK行為など)を繰り返し行っていた、800アカウント以上のユーザーについて、プレイオンラインからの強制退会処分が行われた。過去にもアカウント停止などの処置はあったが、これほどの規模の強制退去処分は初だと思われる。
2005年4月15日 4月9日より続いている『FFXI』を中心としたサーバーのネットワークトラブルが、不特定の第3者によるDDoS攻撃であることが発表された。日本のネットワークゲームにおいて、これほどの規模で攻撃されたのは初だと思われる。
2005年12月10日 Xbox 360本体発売にともない、Xbox 360版βテストが開始される。
2006年2月9日 不正を行っていたアカウント、および不正な手段で得たギルを利用して大規模なRMTを行っていた700アカウント以上を全て強制退会処分に。(2005年末頃からこの不正行為によるギル取得により、全ワールド規模にわたってアイテム価格高騰が発生していた。)
2006年4月20日 拡張データディスク「アトルガンの秘宝」発売。Xbox 360版正式サービス開始。
2006年6月29日 「ファイナルファンタジーXI リンクシェルコミュニティβ版」オープン。初めは負荷の為接続できない・サーバエラー状態が多かった。
2006年8月22日 チョコボ育成 追加
2006年12月 GMポリシー公開
2007年3月下旬 ドイツ・フランスにおいて現地語バージョンのパッケージ販売を順次開始
2007年3月29日 チョコボレース実装。サービス開始
2007年5月11日 ソースネクストより入門者向け廉価版パッケージ「はじめてのファイナルファンタジーXI」が発売
2007年冬     拡張データディスク第4弾「アルタナの神兵」が発売予定

2007/05/14 13:05 | ゲーム

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