忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2026/07/15 20:35 |
南野陽子、クリエイティブディレクターと熱愛
女優の南野陽子(39)が、「きっかけはフジテレビ」のキャッチフレーズでおなじみのCMを手がけているクリエイティブディレクター・箭内(やない)道彦氏(43)と親密交際していることが22日、分かった。

関係者によると、2人の出会いは昨年9月ごろ、南野が音楽活動への意欲を持っていることから、関係者がPRビデオなどの制作を手がけ、自身でも音楽活動を行っている箭内氏を紹介したことがきっかけだという。

直後の同10月には都内で行われたクラブイベントに箭内氏が所属する4人組バンド「オレタチ」が出演し、そこに南野がサプライズでボーカルとして登場するなど親交を深め、その後、プライベートで食事をする仲に発展。最近では表参道ヒルズや“裏原宿”でデートする姿などが目撃されている。

南野は84年にアイドルとしてデビュー後、「ナンノ」の愛称で親しまれ、これまでに東山紀之(40)、石井竜也(47)らとの交際を報じられてきたが、結婚まで発展することはなかった。が、昨年12月に行った自身のグラビアフィギュア発売イベントでは「次作はウエディングドレス姿で。でも、私が着ないことにはダメでしょ」と話すなど、最近では常々、結婚へのあこがれを口にしていた。

南野陽子
兵庫県伊丹市出身、堀越高等学校卒業。身長161.8cm。靴のサイズは23.5cm、血液型はB型。エスワン・カンパニー→サザンフィールド(個人事務所)→スウィートベイジル→ケイダッシュ所属。

神戸市の私立松蔭高等学校在学中にオーディション合格。高校2年の夏に上京し、堀越高校に2学期より編入した。
高校の同級生に岡田有希子、森奈みはる・本田美奈子がいる。本田美奈子とは堀越高校の編入試験の時から一緒だった。
1984年、日本テレビのドラマ『名門私立女子高校』でデビュー。当初はエスワン・カンパニーに所属し、後にサザンフィールド(個人事務所 “南野”の英訳)、スイートベイジルを経て現在のケイダッシュ所属に。
デビュー当時は全くの無名だったが地道な売り込み活動を行った結果新人ながら青年漫画雑誌のグラビアでは異例の大量ページで取り上げられ、1986年にはフジテレビ系『スケバン刑事』シリーズ第2作『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』の主役を演じ一躍ブレイク。このドラマでの土佐訛りを交えた決まり文句「鉄仮面に顔を奪われ十と七とせ、生まれの証しさえ立たんこのあてぇ〜が(私が)何の因果かマッポ(警察)の手先。二代目スケバン刑事(デカ)麻宮サキ。おまんらみたいに、**(相手の悪事を挙げる)するやつぁ絶対に許さんぜよ!」は子供達の「○○ごっこ遊び」に反映され、中でも「許さんぜよ!」は若者の間でも流行した。またフジカラー他多数のCMキャラクターを務めたことで中高年など幅広い年代層にも認知された。
アイドルでありながら『スケバン刑事』で特撮をこなし、体に血糊や爆薬のついた状態で学校に向かう事もあったという。
1985年6月に『恥ずかしすぎて』で歌手デビュー、アイドル歌手としての活動も開始した。1987年『楽園のDoor』でオリコンチャート第1位となり、その後も『話しかけたかった』『あなたを愛したい』『涙はどこへいったの』などがヒット曲となる。工藤静香、中山美穂、浅香唯と共に、女性アイドル四天王の一人として活躍したが、1992年頃に歌手活動を一旦休止する。
1986年発売の写真集『陽子をひとりじめ…』は、アイドルの写真集としては異例の43万部を売り上げる。また1989年発売のエッセイ『月夜のくしゃみ』は15万部を記録
1988年にはNHK大河ドラマ『武田信玄』に出演。一人二役を演じる。「ブロマイド」年間売上成績で第1位に輝く。同年、グレナダで発行された切手の題材になる。
同1988年11月、彼女のヒット曲『秋からも、そばにいて』で、TBSテレビ放送の歌番組『ザ・ベストテン』で第3位にランクインした際だったが、曲の歌唱中に突然、歌詞の一部を忘れてしまうハプニングに見舞われる。その後は唄いながらも緊張のあまりに手が震え、声もヒックリ返る程であった。そして曲の終了後に彼女は「どうもすみませんでした、ごめんなさい!」と悲痛な表情で涙を浮かべ、頭を下げながら謝罪した。その数年後、想い出を振り返る「ザ・ベストテン」にて、彼女は当時の事を「あの瞬間に私の歌手生命は終わったと感じました」と語っている。
1989年、芸能事務所エスワンカンパニーから独立し個人事務所サザンフィールドを立ち上げる。
1992年、映画『寒椿』で初ヌードを披露。『私を抱いて、そしてキスして』でもヌードを披露。
1992年、映画『私を抱いて、そしてキスして』、『寒椿』での演技が評価され、日本アカデミー賞を受賞。
1995年3月に帝国劇場で公演された『ゆずり葉の井戸』により約10年振りの舞台出演を果たす。これより以後、大衆演劇への出演が女優としての活動の大部分を占めることとなる。
1999年、芸能事務所スイートベイジルより現在所属のケイダッシュへ移籍。
2002年6月、愛の劇場『一攫千金夢家族』(TBS)で主役を演じ、これがいわゆる昼ドラマの初出演となった。このドラマは昼ドラとしては異例の高視聴率を記録しシリーズ化され、翌2003年6月にパート2が放映された。また、このドラマにより主婦層からの支持が高まったことが、コーセー「RELIVE」(2003年8月〜)のCM契約につながったものと思われる。
2005年、歌手デビュー20周年にあたるこの年は、自ら「ナンノちゃん祭り」と称し精力的に活動を行った。20周年を記念してソニーミュージックエンタテインメントから6月22日に『南野陽子 ナンノ・ボックス』を、9月28日に「ナンノ・DVDボックス」をそれぞれ発売。『南野陽子 ナンノ・ボックス』には14年振りにレコーディングされた新曲「最終(ラスト)オーダー」が収録され、ファンを歓喜させた。また、TBSのテレビ番組『うたばん』の企画によりポニーキャニオンから、7月27日に彼女のアイドル時代の代表曲である、マキシシングル『はいからさんが通る/吐息でネット』(セルフカバー)が発売され、これをきっかけに歌手活動を再開。7月31日には20周年を記念したファンイベントにおいて『はいからさんが通る』を初めて披露し、その後、NHK第37回『思い出のメロディー』ほか多数のテレビ番組に歌手として出演した。また、例年になく多数のラジオ番組にゲスト出演した。
同年11月6日には、芸能界デビュー当時からの親友で、堀越高校での同級生でもあった本田美奈子が38歳の若さで死去。本田の訃報を聞いたのは、舞台本番の合間の事だったが、余りのショックにそのまま泣き崩れてしまったという。本田の通夜に駆け付けた時には、「私のコメントよりも彼女の歌をかけてあげて欲しい」等と気丈に記者達に語ったものの、その後南野は号泣しながら通夜の席を立ち去っていった。
水着グラビアなどから、胸が小さめであるといわれてはいたが、2007年に発売された、当時の水着グラビアを元にしたフィギュアの原型に自分のいい所は胸じゃなくて太股だからと、大きめに造型されていた胸を小さめに改修させた。
ファンを大切にしている。ラジオ『ナンノこれしきっ!』で「ナンノで起きろ! 目覚ましカセット」を限定100本製作した際、応募葉書約15,000通を受け取ったが(競争率150倍)、写真週刊誌が葉書の束を放り投げて紙吹雪にし、それをバックにした写真を撮ろうとした為、「ファンの皆さんから頂いた葉書を投げたり出来ません」と拒否した。結局、5,000通ずつ3つの山にしてデスクに積み上げ、その後ろで“皆さん、応募ありがとう”と笑顔の構図に変えられたという。また、日本テレビ放送の歌番組『歌のトップテン』に出演した際には、南野陽子本人をモデルにした作品を文化祭に出展したことがきっかけで番組にゲストとして呼ばれた高校生と握手する時に、はめていた衣装の手袋をわざわざ取って握手したというエピソードが残っている。
2007年4月より、『笑っていいとも!』の水曜日レギュラーとして現在出演中。また夕刊フジ月曜日にコラム『あしたは、満月!』を連載中である。
『笑っていいとも!』へ出演が決まった事について本人は、年齢的なことなど含め不思議で、申し訳ない気持ちだという。「活躍は出来ないと思います」と発言している。
気が強く、はっきりとした物言いをする事で知られるが、実際はとても優しい。
2007年5月17日、フジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「新・食わず嫌い王決定戦」のコーナーにゲスト出演した際、カリフラワーが大嫌いである事を告白した。
PR

2007/05/23 12:56 | 芸能人
ダイハツ・アルティス
ダイハツの車種の流れとしてはアプローズの後継に当たる車種でダイハツ車では最上級車種(フラックシップカー)にあたる。故に用途としてはダイハツ本体や関連会社の重役のための車としての販売がメインで、一般ユーザーに販売されることはほとんど無い(親会社・トヨタのセンチュリーのような役割)。そのためか、ディーラーの看板にアルティスの車名がないことが多く、巷で見かけることは少ない。とはいえ、その中身は親会社であるトヨタ自動車のカムリのOEM車であり、値段もカムリと変わらない(というよりはむしろカムリの方が高額)。

初代(2000-2001年)
2000年3月、新発売。カムリに搭載されていた2.5ℓ・V6エンジンは搭載されず2.2ℓの5S-FE型のみの搭載である。ボディもカムリに採用されていたワゴンはなく(フラッグシップが故か)、4ドアセダンのみの設定である。初代は6代目カムリの後期モデル(1999年〜2001年)がベース。


2代目(2001-2006年)
2001年9月、フルモデルチェンジ。カムリのフルモデルチェンジに合わせて一新。エンジンは2.4Lの2AZ-FE型に変更。

2004年7月、マイナーチェンジ。内外装の変更。


3代目(2006年-)
2006年1月、フルモデルチェンジ。エンジンは、引き続き2AZ-FE型が使用されるが、出力は先代より向上しており、カムリ同様に159→167馬力となっている。また、これもカムリ同様、横幅がトヨタ・セルシオ(=現レクサス・LS)並に拡大された。

なお、カムリとの違いはエンブレムのみ。リセールバリューはアルティスの方が劣る。が、希少性から考慮した場合、好条件を引き出せる可能性は否めない。


2007/05/22 13:19 | 未分類
パソコンでの限定受信システム
パソコンにチューナー機能を装備して、地上デジタルテレビジョン放送を受信する場合の限定受信システムについては、以下の様な諸事情がある。

近年、ブロードバンドの普及や、映像圧縮技術の進歩により、テレビ視聴・録画機能を持ったパソコンで録画した映像がインターネットで不法に送信されることが増えたことから、これを防ぐため日本においては受信機器にコピーワンス規制とB-CASカードによる認証が導入された。

これにより、地上デジタルテレビジョン放送の視聴や録画、再生には機器に添付されるB-CASカードを機器にセットして認証を行う必要があり、さらに録画した内容は「ムーブ」と呼ばれる移動のみ可能で、複数の外部メディアへの書き込みを抑制する仕組みとなっている。 これに加え、これらを徹底する趣旨からPCIやUSB、DVI等、ユーザーがアクセスできる汎用バスやインターフェースを平文の映像データが通過しないこともB-CASカード発行の条件としている。

ただし、これまでオープンアーキテクチャの元で進化してきたインターフェースやアーキテクチャが基本となっているパソコンで実現するには、これらの根本的な変革が必要であるため、2005年12月31日までの経過措置として、解像度をSD相当に制限し、スクランブルを掛けて、録画されたパソコン(あるいは拡張ボード)以外で再生できないように認証する、と言う条件付で、平文の映像データが汎用バスを通過する機器にもB-CASカードを発行しており、これに対応した機器が国内メーカーより販売されている。

しかし、海外を中心としたパソコンを構成する各コンポーネントを製造している企業にとっては、以下の理由からB-CASカード対応には消極的な姿勢をとっている。

パソコン関連機器の最大の市場であるアメリカでは消費者側の激しい反発で導入が見送られ、日本だけで実施される形になったために、特に多くのコストを負担せざるを得ないGPUメーカーを中心として、激しい競争の中で日本市場のためだけに余計なコストをかけられないという意識がある。
システム根幹部分への著作権保護機能(DRM)の副作用として、B-CASカード発行のための認証を受けられないようなOS・アプリケーションソフト等(オープンソースソフトやオンラインソフト等の認証を受けていない物や、費用の面や、GPL等のフリーソフトウェア系やオープンソース系のライセンスとの矛盾から、認証を受けることのできない物)の利用に制約が加わる等、オープンアーキテクチャの汎用機械としてのメリットを失うことが懸念されており、特にパソコン関連機器の最大の市場であり消費者の権利意識の強いアメリカを中心として、顧客の反発や売り上げ減少のリスクがある。
また、パソコン上に著作権保護機能ハードウェアを実装するとしても、パソコン市場において独占力を持つマイクロソフトの提唱する「NGSCB」やインテルの提唱する「LaGrande」となる可能性が高いが、アメリカを中心として消費者の反発が根強い上に、まだ技術面でも未確定要素が多く、仮に実現したとしても数年先であり、これらがB-CASカード発行の条件を満たすか否かは不透明である。

このため、日本独自仕様のGPUやCPU、OS、インターフェースを開発すれば理論上はB-CASカード対応を実現できないことはないが、あまりにも莫大なコストがかかること、またB-CASカードに対応することは、日本市場でパソコン自体を販売するための必須項目ではなく、あくまでもパソコンに地上デジタルテレビジョン放送受信・録画機能を搭載するためのものであり、またパソコンにはテレビの視聴や録画以外にも様々な用途があることから、多くのパソコン関連メーカーは、莫大なコストをかけてB-CASカードに対応するよりも地上デジタルテレビジョン放送に対応しないという選択をすることが一部で予想されていた。 それにより、日本においては、前述の経過措置が終了するとともに、地上デジタルテレビジョン放送視聴や録画機能を持ったパソコンや、その機能を実現するための拡張カードは事実上姿を消すことも一部では予想されていた。

しかし結局2005年ごろより、富士通、NEC、日立製作所は、それぞれ独自開発によるB-CASカード対応パソコンを販売するようになった。富士通から技術供与を受けたピクセラ製モジュールを搭載することで、シャープ、東芝、ソニーからも同様のパソコンが相次いで発売された。これらはいずれも、なんらかの専用ハードウェアを追加搭載することでB-CASカードに対応したものであり、2006年現在では、海外系PCベンダからは対応製品の発売は行なわれていない。また、本体とディスプレイを一体化して、接続ケーブルやインターフェースを廃するという手法も一部で採用されている。

このような状況について、テレビ受像機やDVDレコーダー、HDDレコーダー、セットトップボックス、家庭用ゲーム機など家電機器を家庭のAVや情報の中心にすることを志向する日本メーカーは概ね静観の構えである。一方、パソコンを中心とすることを目指す海外IT系企業、特にマイクロソフトは、「不明瞭な認証プロセス」「標準化機構が複数併存」などと具体事例をあげて指弾している。


2007/05/22 13:14 | 未分類
紫吹淳、チャイナドレス
女優の紫吹淳(38)が21日、東京・渋谷のBunkamuraで、9月14日スタートの舞劇「楊貴妃」の公開記念イベントに出席した。

自分でデザインしたチャイナドレス姿で登場。美しさの秘密を聞かれると「宝塚のトップになる前から納豆とヨーグルトを食べてます」と明かした。また、楊貴妃を演じる中国人ダンサーのチェン・ファンユアン(25)に「宝塚の上海公演で男役を見たが、実際はとてもレディーですね」と驚かれると、「どっちも私ですよ」と笑顔を見せた。

紫吹淳
オスカープロモーション所属。元宝塚歌劇団月組男役トップスター、在団中の愛称は「リカ」(本名から)。

足腰の弱さを心配した両親の勧めで、3歳よりダンスを始める。小〜中学生時代、クラシックバレエを山本禮子に師事。中学時代、背が伸びすぎクラシックバレエを断念。だがダンス続行の意志は固く、バレエ教室講師のすすめもあり1984年に宝塚音楽学校を受験、合格する。

1986年、「レビュー交響楽」(星組)で初舞台を踏む。同期に香寿たつきがいる。同年5月、花組配属となる。その後、花組→星組→月組→専科と、数多くの異動を経験しながらステップアップする。2000年6〜7月には、専科生としてベルリン公演に主演している。

2001年5月に月組に戻り、同年8月、トップスターに就任する。卓越したダンス技術を持ち、「宝塚きってのダンスの名手」でもあった。

2004年3月「薔薇の封印−ヴァンパイア・レクイエム」で退団。

2004年4月、個性的な美形俳優・モデルを輩出する「美の総合商社」、オスカープロモーションに所属。「女優宣言」を行い、芸能活動を新たにスタートさせた。


2007/05/22 13:08 | 芸能人
ダービースタリオン 1994配信開始
エンターブレインのiモード向けモバイルサイト『ダビスタ通信』に、競走馬育成シミュレーション『ダービースタリオン 1994』が2007年5月21日より配信開始。また、壁紙が無料でもらえる"1994配信記念!キャンペーン"も実施している。

『ダービースタリオン 1994』は、'94年にスーパーファミコンで発売された『ダービースタリオンII』をベースにした競走馬育成シミュレーションゲーム。当時現役で活躍した往年の名馬"オグリキャップ"や"トウカイテイオー"、"ミホノブルボン"、"メジロマックイーン"らが登場。また、種牡馬は、11年連続リーディングサイアーに輝いた"ノーザンテースト"や"メジロティターン"、"ギャロップダイナ"、"マチカネイワシミズ"などの名サイアーたちが登場する。

キャリア:iモード
情報料:月額315円[税込]
アクセス方法:iMenu→メニュー/検索→ゲーム→シミュレーション→ダービースタリオン
対応機種:NTT DoCoMo FOMAシリーズ(一部未対応機種あり)
おもなサービス:iアプリ『ダービースタリオン For DoCoMo』、iアプリ『ダービースタリオン 1994』、着メロ、マチウケ、サラブレ出張房(コラム)、その他無料サービスあり

2007/05/22 13:02 | ゲーム

<<前のページ | HOME | 次のページ>>
忍者ブログ[PR]