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2025/04/23 02:38 |
プリンセス天功1週間で舞台復帰
22日の公演で機材のトラブルであばら骨を折るなど重傷を負った女性マジシャンのプリンセス天功が29日、名古屋・御園座で公演を行った。

全治1か月と診断を受けた天功だが、1週間での舞台復帰。トラブルのあった「決死のスパイク・イリュージョン」は行わなかったが、50分のイリュージョンと、45分のトーク&イリュージョンの2部構成で会場を沸かせた。トークでは事故の状況や現在の体調を説明。今後の公演スケジュールも予定通り行われる。8月1日からの河口湖SHOW園スペシャルなど、今後の公演は予定通り行うという。

プリンセス天功
初代引田天功に1976年から師事。これは親類が初代の事務所の社長だった縁からである。1977年に初代引田天功の代役で「空中ケーブルからの大脱出」(日本テレビ)を行った後、1978年6月21日に『朝風まり(あさかぜ まり)』の芸名でデビュー。キャンディーズとピンクレディーの制作スタッフがフジテレビとタッグを組み、マジックを披露しながら歌う異色のアイドル歌手としてデビューさせ、しばらく歌手として活動(デビューシングルは「ザ・マジック」、セカンドシングル「くせになるから」)。

しかし初代の死去後、初代の後援会の要望で1980年12月15日に二代目を襲名(襲名披露はホテルニューオータニ)、先代の遺志を受け継いで、命がけのイリュージョンを展開するようになる。世界各地で公演を展開し「プリンセス・テンコー」の愛称で知られるようになる。朝風まり時代から後援会長は、佐川急便創業者であり会長であった佐川清である。

契約では「引田天功」と「プリンセス・テンコー」は別のキャラクターとして設定されており(彼女曰く引田天功は日本人だが、プリンセス・テンコーはアメリカ出身のアメリカ人と言う設定が与えられている)、演じるマジックやイリュージョンも全く別々のものである。また引田天功は喋らない設定であるため、テレビ番組にはプリンセス・テンコーとして出演する場合が多い。なお、後者は「プリンセス天功」と表記されることもままある。

またかなりの笑い上戸で、笑っていいとも!に出演したときは、大爆笑するシーンがかなり多く見られた。イメージを守るためと安全確保のため契約によって、電車に乗ったりコンビニに行ったりすることを禁じられている。

北朝鮮の金正日総書記は彼女の大ファンだと伝えられており、1998年4月にはピョンヤンに招聘されてマジックショーを披露し、金正日主催の盛大なパーティーで歓待された。また貴重な天然記念動物豊山犬を贈られ、彼女の名を冠した奇術専門の劇場が建てられたといわれている。もっとも天功自身は北朝鮮滞在中に原因不明の病気で倒れ入院、帰国の予定が遅れる羽目にあい、帰国後も身辺に連続して奇怪な事件(愛車の盗難やレア物のミッキーマウスのぬいぐるみ摩り替わり事件等)が起こったと特番等で証言している。

ハリウッド俳優ジャン・クロード・ヴァンダムと婚約していると、記者会見で自らほのめかしたが、ヴァンダムはテンコーの名前すら知らなかった。彼女自身、結婚の件についてはノーコメントを貫いていたが、2007年GW合併号の週刊文春で初めてコメントを出している。

愛犬家、愛猫家として知られているが、日本に初めてジャックラッセルテリアを輸入し、今のブームを作り上げている。

2007年5月20日発表のtotoBIGで3等に当たった事が、オフィシャルブログに掲載(5月21日)された。その直後よりブログへのアクセスが殺到。一時アクセスがし難くなった。この日のタレントブログランキング(アメバ)で1位になっている。

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2007/07/29 20:01 | 芸能人

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