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2025/04/24 08:18 |
遠視
目の屈折異常のひとつで、平常時に網膜の後方にピントがあう。

遠視は近視の逆で「遠くがよく見える」と思われがちだが、強度の場合遠くも近くも見えない。 中程度の遠視では遠くは見えて近くは見えない。軽度の遠視では遠くも近くも見えるが、常に調整力を働かせなくてはならないので眼精疲労の原因になる。 矯正は凸レンズの眼鏡、コンタクトレンズでおこなわれる。

小児期に重度の遠視を矯正せず放置すると、弱視の原因となる。はっきりした像を見ないまま成長するので、脳が「見ること」を学習できないためである。近視の場合は、見えれば眼鏡を使用しなくてもいいことがあるが、遠視は見えても見えなくても眼鏡を常用しなければならない。そのため、小児用の遠視の眼鏡のフレームは、激しく体を動かしても落とすことがないよう、耳に引っ掛けるタイプ(スポーツ専用)のものが多い。

一般に人間の目は成長につれて近視化を続けるので、小児期に遠視だったものが大人になって「治る」ということは少なくないが、逆に「遠視になる」ことは稀である。俗に「遠視になった」といわれる現象は、ほとんどの場合、若いころは自覚しなかった軽度の遠視が調整力の低下により自覚されるようになったものである。

文明生活は近距離や細かいものを見る能力が求められる。したがって遠視は都会的生活においては極めて不都合な障害であるといえる。

近視・遠視・弱視はこれで治せる
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2007/09/04 21:50 | 未分類
クルーガー
トヨタ自動車のSUV型自動車。 初代ハリアーをベースにしているが、ハリアーが海外ではトヨタの高級車ブランドであるレクサスで販売されるラグジュアリーSUVなのに対し、クルーガーはオーソドックスでコンサバティブ(保守的)なスタイリングのSUVとなっている。また、ハリアーと違いクルーガーは日本国外でもトヨタブランドから「ハイランダー (Highlander)」(オーストラリアでは日本と同じくクルーガー)の名前で販売される。

2005年にはハイブリッドシステムを搭載した「クルーガーハイブリッド」が登場した。燃料電池自動車、トヨタ・FCHVのベース車にもなっている。

クルーガー
エンジンは直列4気筒の2.4リットルまたはV6 3.0リットルに4速ATの組み合わせ。マイナーチェンジ後はV6 3.0リットルは5速ATとの組み合わせとなった。駆動方式はFFまたは4WDとなる。

乗車定員は5人だか、マイナーチェンジでハリアーにはない3列7人乗りが追加される。

なお、日本国外ではV6 3.3リットルエンジンのモデルもある。

2代目プリウスで搭載されたシステムTHS II(TOYOTA Hybrid System II)を改良したハイパワーTHS IIを搭載。V6 3.3リットルガソリンエンジンと電気モーターで前輪を駆動、後輪はエスティマハイブリッドなどにも搭載されている四輪駆動システムE-Fourによって駆動する。 ハイブリッドシステム用のバッテリーは従来の物より小型化、三分割されて2列目シート下に設置される。バッテリーの小型化によりシートアレンジはハイブリッドシステムを搭載しないクルーガーと同等で、エスティマハイブリッドようにバッテリーによりシートアレンジが制限される事はなくなっている。 燃費はV6 3.3Lのガソリンエンジンを搭載しながら10・15モードで17.8km/lという低燃費を達成している。

また、乗車定員は3列7人乗りの設定のみとなる。

初代(2000年-)
2000年11月 クルーガーV販売開始。取り扱いはトヨタビスタ店(現・ネッツ店)。
2003年8月28日 マイナーチェンジを実施。3列7人乗りの新設や3リットルエンジンに組み合わされるトランスミッションが4速ATから5速ATに変更される。トヨタカローラ店向けのクルーガーLも同時に販売開始。
2005年3月22日 ハリアーハイブリッドとともにクルーガーハイブリッド販売開始、市販されたSUVのハイブリッドカーとしてはフォード・モーターに続き世界で2番目となる。
2005年11月14日 RAV4のフルモデルチェンジに伴い、ネッツ店におけるクルーガーV(クルーガーハイブリッドを含む)の販売を終了。それ以降カローラ店向けのクルーガーL(クルーガーハイブリットを含む)のみの販売となった。

グレード・特徴
※S “X Package”/S FOUR“X Package”は、2.4のみ。
4WD車には名称の前に「FOUR」がつく。

S “G Package”
・16インチアルミホイール(スーパークロームメタリック)・パワーシートが装備され、内装色のグレーが選べる最上級グレード。
S
・17インチアルミホイールが装備され、スポーツチューンドサスペンション・ステアシフトマチックが装備されるグレード。
S “X Package”
・16インチスチールホイールが装備され、フォグランプ・コンライトが装備されないベースグレード。


2007/09/04 21:47 | 未分類
NSX開発経緯
発売から6年半前の1984年、本田技術研究所がホンダ車のトレンドであるFF(フロントエンジン・フロントドライブ)以外の駆動方式の基礎研究を進めていくうち、MR(ミッドシップエンジン・リアドライブ)駆動方式を開発したことから始まる。それを当時のアメリカ市場からのニーズや参戦しているF1と量産市販車をつなぐ存在に応える形でのスポーツカー開発へ転化された。開発責任者は、先述のMR駆動方式を開発研究していた上原繁が担当。操縦安定性を専門に研究していた上原氏の意志でハンドリングに拘ったスポーツカーを目指すことになり、軽量なオールアルミボディーの採用など、NSXのアイデンティティーとなる革新的な技術が開発・採用されるに至った。

開発に当たっては欧州のスポーツカーなどが比較対象になったが特にフェラーリのV8モデル、F328を越える走行性能を目指し開発された。当時個体性能差が大きかったフェラーリF328を何台もデータ取りの為に購入した。

開発段階からアイルトン・セナや中嶋悟など、当時ホンダがF1にエンジン供給していたチームのF1ドライバーが走行テストに参加。開発中の車両をテストした彼らからボディー剛性の低さを指摘された為、過酷なコースレイアウトで有名なドイツのニュルブルクリンク・サーキット等で長距離高速走行テストを繰り返し実施した。その結果、当時世界初のオールアルミ製軽量高剛性ボディーが完成した。

搭載するエンジンは開発中に様々な案がだされ、当初は軽量スポーツカーのパッケージング案として4気筒2000ccが提案された。しかし、社内事情やアメリカ市場を見据えたリサーチなどで頓挫し、開発最終段階ではV型6気筒3000ccのSOHC4バルブとなる。だが、市販化までの間にインテグラ用に開発中だった新機構搭載のエンジン、DOHC VTECが完成。これまでレーシングカー等でしか出せなかった自然吸気エンジンでリッター100馬力という高出力を市販車で達成した点などがユーザーや自動車評論家などに高い評価を受けた。これを受け、急遽エンジンをDOHC VTEC化するよう指示が出されたが、開発者の上原繁氏曰く「SOHC版エンジンもかなり良かった」との事。DOHC化によりシリンダーヘッドが大きくなる事からホールベースの延長を余儀なくされたが、エンジンを傾斜させ搭載することにより約60mm延長のところを最小限の30mm延長で済ませる事ができた。

NSXはホンダ初の大排気量スポーツカーであり、ミッドシップカーにもかかわらず、1990年の販売当初からその完成度は仮想敵にしたフェラーリと肩を並べるほどの評価を受けた。その為、当時フェラーリ自ら生産や開発の体制を見直したほどだった。唯我独尊であるフェラーリに唯一影響を与えた車として現在も評価されている。

1990年の販売開始時、バブル景気の真っ只中であった日本では注文が殺到した。当初は注文から納車まで半年待ち、一年待ちとも言われるほどの人気だったものの、その直後にバブルが崩壊。キャンセルが相次ぎ、以降は「見かけるだけでプレミアな車」のイメージが定着してしまった。クルマ好きにはバブルの特徴的な出来事として語り継がれている。

その後、不況とスポーツカー人気低下から販売数は減少を続け、2005年の生産中止発表直前にはNSXの月間生産数はわずか10台ほど(国内向けはその半分程度)まで落ち込んでいた。それでも完全受注生産であり、手作業で製造されることから納車には2ヶ月~3ヶ月半を要していた。同年7月の生産中止発表以降は駆け込み需要で注文が殺到し、わずか一週間ほどで生産予定枠の注文数を満たしたことから、早々に販売受付を打ち切った。


2007/09/04 13:20 | 未分類
名古屋港イタリア村
愛知県名古屋市港区港町の名古屋港ガーデンふ頭にある、セラヴィリゾート株式会社が運営する複合商業施設である。

2005年5月27日に名古屋市と姉妹都市提携を結んだイタリアのトリノ市との友好の一環として先立ち、セラヴィリゾート・名古屋市・愛知県・名古屋港管理組合の1社3団体が中心となって2005年4月2日に名古屋港管理組合が建築物オーナー、名古屋港イタリア村株式会社をデベロッパーとし開村を迎えた。

名古屋港ガーデンふ頭の東、旧日本通運倉庫跡地にイタリアのヴェネチアを景観をした建物が並び、「ショッピングゾーン」・「エントランスゾーン」・「クレールベイサイドイタリア村(一部建設中)」・「ヴェネチアンガラス美術館」の4つのエリアに分けられ、80の専門店が出店している。また村内には本場イタリアから輸入されたゴンドラに実際に有料で乗る事ができ、ミケランジェロのダビデ像のレプリカ、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の真実の口広場にある真実の口のレプリカなどが設置されている。

入村料金は基本的には無料だったが、2005年4月23日より土日祝日限定(午後6時以降は無料)で名古屋港イタリア村1000円クーポン券を入場券代わりにする様になった。

また2006年4月よりセラヴィ観光汽船の運営による中部国際空港への定期船が運航される予定。

エントランスゾーン
同村名称で「CITTA DI MURANO」(チッタ ディ ムラーノ)と呼ばれるアウトレットゾーンのエリア、イタリアのブランドの衣料・雑貨・服飾及びアイスクリームやクレープなど飲食類を販売する専門店が22店舗存在する。

衣料・服飾類
アルコット
アンナビアジーニ
ガジェット
ガリバルディ
カルピッサ
ココヌーダ
シッシィミッシィ
トスカーナ
ビーズライド
ファルゾ
フサロ
ブルーム
ヤママイ
飲食類
アイベジィ
アニーズクレープ
コンフィテリア
ジ フレスコ
デュエ レオーニ
雑貨類
アマルフィー
カプリ
パロッコ
ネゴッツィオ オリーヴァ
ネゴッツィオ ボーノ

イタリア村の売りの1つであるゴンドラ遊覧は、本場イタリアから輸入されたゴンドラでイタリア村内の水路を遊覧する。

船頭もイタリア人が勤め、本場ヴェネチアと代わらない雰囲気が味わえる。

また開村日の4月2日はゴンドラに乗ろうとした利用客で1時間待ちの行列を作った。

ゴンドラの料金

大人 800円
3歳~小学生 500円
3歳未満 無料(ただし同伴者が膝の上に乗せる条件付)

2007/09/04 13:17 | 未分類
オリンピック国立公園
公園は3つの基本領域に分けられる。すなわち太平洋の海岸線、オリンピック山脈、温帯雨林である。元々は、セオドア・ルーズベルト大統領が1909年オリンピック国定公園を設立し、米国議会による国立公園への変更の議決を経て、1938年フランクリン・ルーズベルト大統領が法律に署名した。1976年、オリンピック国立公園は生物圏保護区になり、1981年、世界遺産に登録された。1988年、オリンピック半島のほぼ全域がオリンピック自然保護地域 (Olympic Wilderness) に指定され、地域の保護がさらに強化された。年間訪問者数は、3,000,000人前後(2006年は、2,749,197人)、最寄の都市はワシントン州のポート・エンジェルス (Port Angeles) である。

オリンピック国立公園の太平洋岸沿いの細長い土地は、起伏に富んだ、しばしば霧で覆い隠された砂浜の広がりと隣接する小さな森である。長さは117.5km(73 マイル)(幅はわずか数マイル)ある。主な川の河口で2度だけ途切れ、そこには人が住む先住民の地域社会がある。ホー族はホー川 (Hoh River) に、キルート族はキルート川 (Quileute River) の河口のラ・プッシュ (La Push) という町に住んでいる。ホー族はキルート族の支族である。連続した自然の広がりは10から20マイルにわたるが、見慣れたものとは時間的にも空間的にもしばしばまったく違うように見える。

ある海辺は贅沢な砂浜だが、ある海辺は扱いにくい重い岩と巨岩だらけである。たくましいハイカーでさえ、藪、繁茂、滑りやすい足場、潮の干満、温帯雨林気候のため、速く歩くことはできない。オリンピック国立公園の内陸部と違って海岸線沿いは行きやすいが、軽い日帰りハイキングの距離を超えて行く人は普通ほとんどおらず、見かけよりもはるかに難しい地域である。

海岸でもっとも人気のある場所は、9マイルのオゼット・ループ (Ozette Loop) である。オゼット湖 (Lake Ozette) の歩道の起点から、最初の3 マイルの行程は、原始に近い海岸のアメリカネズコ沼を通る板張りの遊歩道を通る。一旦海辺に出ると、次の3 マイルの行程では、最高の先住民の海辺の居住地に沿って満潮時に横断するための岬の道を歩く(住んでいる先住民はいない。 - それほど遠くない北にあるニア湾 (Neah Bay)のマカー族 (Makah) の使われていない家)。3番目の3マイルの板張りの歩道の行程は、ほとんどの人にとって、動く歩道がないととても歩けない。板張りの歩道とえり抜きの優しい海辺の散策がオゼットの人気を高めている。

砂のすぐ近くまで木々が密集した森があり、その結果、倒木が元となった多くの木が海辺を散らかすこととなっている。太平洋岸の細長い地域の南端方向に流れる伝説のホー川は、非常に荒々しい川で、大量の朽木その他の漂流物を海へ押し流す。その後漂流物は北に流れることが多く、海辺を豊かにしている。川や海辺からの流木 - 丸太、沈んでいる丸太、先端部、根の小さな塊の除去は、北米全域での主な自然馴致の手法である。すなわち、自然の流木の堆積は、見た目だけではなく生物学的にも堂々とした姿を形成しており、この地域には、昔ながらの趣があるが、以前の海辺の写真には驚くほどの量の流木が写っている。漂流物はかなり遠くから来ることが多い - コロンビア川はかつては太平洋北西海岸に多大な寄与をしていた。

オリンピック国立公園の海岸部の細長い区域は、半島中央部のはるかに大きい公園の主要部とつながってすらいない。フランクリン・ルーズベルト大統領は、細長い回廊状の公園区域を指定してこれらをつなげようとしたが、政治上の力がそうならない方向に働いた。

オリンピック国立公園の中心には、山腹と稜線が巨大な太古からの氷河に覆われたオリンピック山脈がある。 山脈自体は、ファンデフカプレートの沈み込み型境界と関連する付加体の隆起の産物である。 地質の組成は、好奇心をそそる玄武岩質と堆積岩質のメランジュである。 山脈の西半分では、高さ 2,428 m(7,965 フィート)のオリンポス山が他を圧倒している。 オリンポス山では多量の降雪があり、結果として、ノース・カスケードを除く米国本土において火山以外でもっとも大きな氷河作用を受けている。 いくつかの氷河があり、そのうち最大のものはホー氷河で、長さは 5 km 近くある。 東を見ると、西側の山脈の雨蔭のため、山脈はずっと乾燥するようになる。 こちらには数多くの高峰と岩だらけの尾根がある。 この地域の最高峰は、2,374 m(7,788フィート)のデセプション山 (Mount Deception) である。

公園内にはいくつか道路があるが、奥深く入っていくものはない。 公園の大きさ、遠さは内部の高地へは週末だけでは行けないことを意味しているが、ハイキング道路網は整備されている。 植物で埋め尽くされ、無数の緑の色調を織りなしている雨林の景色は、旅行中、雨に降られる可能性があったとしても十分に価値がある。もっとも7月、8月、9月は長期にわたって雨が降らないことが多い。

オリンピック国立公園のほぼ他に類を見ない特徴は、海辺沿いのバックパッキングができることである。 公園の海岸線は、丸1日海辺沿いに歩けるほどで、日帰りではない旅行にとっても十分に長い。 山腹(セブン・レイクス盆地 (Seven Lakes Basin) が有名な例)を苦労して登るのに比べれば牧歌的ではるが、潮の干満には注意しなければならない。すなわち、海辺の最も狭い部分では、満潮時は崖まで波が打ち寄せ、通路を塞ぐ。 また、ぬかるんだ急な道と固定されたロープを使って苦労しながら進まなければならないいくつかの高台がある。

冬の間、ハリケーン・リッジ (Hurricane Ridge) として知られる人気のある見晴らしの良い場所では、アルペンスキーとノルディックスキーが楽しめる。 ハリケーン・リッジ・ウインター・スポーツ・クラブは、非営利のアルペンスキー場を運営しており、スキー・レッスン、レンタル、安価なリフトのチケットを提供している。 小さなアルペンスキー場には、ロープ・トウ(ロープによる牽引式のリフト)が2つ、ポマ・リフトが1つある。 山スキーヤーは、頂上までヒッチハイクして戻るために、よくハリケーン・リッジ・ロードを滑り降りる。


ナショナル・ジオグラフィックの国立公園マップ・シリーズ、オリンピック国立公園

2007/09/04 13:10 | 未分類

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