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2025/04/21 12:40 |
ナポレオンの遺品、8億円で落札
フランスの競売会社オズナ・ドフォンテンブローは10日、ナポレオン1世(1769―1821年)が使用したサーベルが競売にかけられ、約481万ユーロ(約7億8000万円)で落札されたと発表した。

フランス公共ラジオなどによると、ナポレオン一族の末裔(まつえい)が代々受け継いできたサーベルで、競売では別の末裔が落札した。専門家によると、ナポレオンの遺品としてもサーベルとしても記録的な高値となった。

サーベルは長さ97センチ。1800年6月にナポレオンがオーストリア軍を破ったマレンゴの戦いで使用されたという。

ナポレオン
フランス革命後のフランスをまとめあげ、フランスに帝政を敷き、ナポレオン戦争と呼ばれる戦争で全ヨーロッパを侵略し、席巻するも敗北し、その後ヨーロッパの秩序はウィーン体制に求められた。当時のイギリスの首相ウィリアム・ピットは、「革命騒ぎの宝くじを最後に引き当てた男」とナポレオンを評した。一方でゲーテは「徳を求めたもののこれを見出せず、権力を掴むに至った」と評している。 今でもフランスを代表する英雄として抜群の知名度を誇るが、国民の人気という点では親ナポレオン派は必ずしも主流ではない。

1769年、コルシカ島アジャクシオにおいて、父カルロ・マリア・ブオナパルテ(仏語名シャルル・マリ・ボナパルト)と母マリア・レティツィアの間に、夭折した子供を除く8人の子供のうち2番目として生まれる。出生時の名前はナブリオーネ・ブオナパルテ(コルシカ語: Nabulione Buonaparte)。ブオナパルテ家はイタリアのロンバルディア州に起源を持つ古い地主であった。父は判事をしていたが、コルシカ独立闘争の折にはパオリの副官を務めていた。後にフランス側に転向し、この事で貴族の資格を得た。ナブリオーネが姓をブオナパルテ(Buonaparte)からフランス風のボナパルト(Bonaparte)、名をナポレオンと改称するのはフランスで出世し始めてからのことである。

幼年期に、父カルロ、兄ジュゼッペ(仏名ジョゼフ)とともに渡仏。子供時代のナポレオンは読書に明け暮れ、特にプルタルコスの『英雄伝』に傾倒し、おとなしい性格だった。初めは修道院付属学校に入るが、すぐに辞めて国費で1779年にブリエンヌ陸軍幼年学校に入学、1784年にパリの陸軍士官学校に入学した。この間、数学に抜群の成績を納めた。卒業試験の成績は58人中42位であったが、通常の在籍期間が4年前後であるところを、わずか11ヶ月で必要な課程を修了した事を考えれば、むしろ非常に優秀な成績と言える。実際、この11ヶ月での卒業は開校以来の最短記録であった。この時期のエピソードとしてクラスで雪合戦をした際にナポレオンの見事な指揮と陣地構築で快勝したという話がある。このころから指揮官としての才能があった。

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2007/06/11 13:06 | 未分類

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