1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれているインド=イスラーム文化の代表的建築。シャー・ジャハーンが、愛妃ムムターズ・マハルの死(1630年)を悼んで建設したという逸話は有名。
名前の由来はよくわかっていないが、王妃の名ムムターズ・マハルを縮めたものではないかという説が有力である。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーガムという。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。
タージ・マハルを造るための建材は、インド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、大理石はラジャスターン地方産であるといわれている。その他、碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石はチベットから、ラピス・ラズリはアフガニスタンから、サファイアはスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから持ち寄られたものだという。全体で28種類もの宝石・鉱石がはめ込まれていた。
およそ580m×300mの敷地全体は塀で囲まれており、主に5つの要素から構成されている。赤砂岩で縁取られた南門(ダルワーザー)、正方形で幾何学的に分割されたムガル式四分庭園(バギーチャー)、西側のモスク(マスジド)、東側の迎賓施設(ミフマーン・カーナー)、そして高さ42mの4本の尖塔(ミナレット)を従える墓廟(マウソレウム)である。
マウソレウムは幅、奥行きとも約60m、中央のドームの高さも約60m、東西南北どちらから見ても同じデザインである。ミナレットとともに、100m角、高さ7mの基壇の上に載せられている。ペルシャ建築の影響が顕著であるが、インド的要素も散見される。ヨーロッパからも多くの宝石職人が呼び寄せられたため、一部にはバロック建築の影響も指摘されている。
シャー・ジャハーンは、ヤムナー川の対岸に黒大理石を基調とした自らの墓廟の建設に着手した。しかし、晩年の彼は息子のアウラングゼーブ帝によってアーグラ城に幽閉され、タージ・マハルを毎日眺めては涙を流して過ごしたと伝えられている。対岸には現在も整地された基底部が残っており、タージ・マハルの裏から渡し船で行く事ができる。計画では、川をはさんで白大理石と黒大理石の墓廟が並び、その間を大理石の橋で繋ぐ事になっていた。
もっとも、その頃には隆盛を極めたムガル帝国の国庫も、度重なる建設事業により底をついていたという通説が流布されているが、後継者アウラングゼーブ帝が40年にわたって大規模な軍事侵攻を行い続け得たことからして、シャー・ジャーハン治世においてはムガール帝国の財政はそれほど窮乏してはいなかった、とみるのが妥当という説得力ある説も提示されている。死後はムムターズ・マハルの隣に葬ることを、アウラングゼーブ帝に認められたため、現在タージ・マハルには、シャー・ジャハーン帝とムムターズ・マハルの棺が並べて安置されている。
近年、大気汚染によるタージ・マハルの損傷が問題化している。排ガスによる直接的な汚れの他、酸性雨によって大理石が溶解する現象などが報告されている。地下水の過度な汲み上げにより地盤が沈下し、四本の尖塔が外側に傾きつつあるとの報告もある。開発による世界遺産への悪影響の顕著な例である。

名前の由来はよくわかっていないが、王妃の名ムムターズ・マハルを縮めたものではないかという説が有力である。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーガムという。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。
タージ・マハルを造るための建材は、インド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、大理石はラジャスターン地方産であるといわれている。その他、碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石はチベットから、ラピス・ラズリはアフガニスタンから、サファイアはスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから持ち寄られたものだという。全体で28種類もの宝石・鉱石がはめ込まれていた。
およそ580m×300mの敷地全体は塀で囲まれており、主に5つの要素から構成されている。赤砂岩で縁取られた南門(ダルワーザー)、正方形で幾何学的に分割されたムガル式四分庭園(バギーチャー)、西側のモスク(マスジド)、東側の迎賓施設(ミフマーン・カーナー)、そして高さ42mの4本の尖塔(ミナレット)を従える墓廟(マウソレウム)である。
マウソレウムは幅、奥行きとも約60m、中央のドームの高さも約60m、東西南北どちらから見ても同じデザインである。ミナレットとともに、100m角、高さ7mの基壇の上に載せられている。ペルシャ建築の影響が顕著であるが、インド的要素も散見される。ヨーロッパからも多くの宝石職人が呼び寄せられたため、一部にはバロック建築の影響も指摘されている。
シャー・ジャハーンは、ヤムナー川の対岸に黒大理石を基調とした自らの墓廟の建設に着手した。しかし、晩年の彼は息子のアウラングゼーブ帝によってアーグラ城に幽閉され、タージ・マハルを毎日眺めては涙を流して過ごしたと伝えられている。対岸には現在も整地された基底部が残っており、タージ・マハルの裏から渡し船で行く事ができる。計画では、川をはさんで白大理石と黒大理石の墓廟が並び、その間を大理石の橋で繋ぐ事になっていた。
もっとも、その頃には隆盛を極めたムガル帝国の国庫も、度重なる建設事業により底をついていたという通説が流布されているが、後継者アウラングゼーブ帝が40年にわたって大規模な軍事侵攻を行い続け得たことからして、シャー・ジャーハン治世においてはムガール帝国の財政はそれほど窮乏してはいなかった、とみるのが妥当という説得力ある説も提示されている。死後はムムターズ・マハルの隣に葬ることを、アウラングゼーブ帝に認められたため、現在タージ・マハルには、シャー・ジャハーン帝とムムターズ・マハルの棺が並べて安置されている。
近年、大気汚染によるタージ・マハルの損傷が問題化している。排ガスによる直接的な汚れの他、酸性雨によって大理石が溶解する現象などが報告されている。地下水の過度な汲み上げにより地盤が沈下し、四本の尖塔が外側に傾きつつあるとの報告もある。開発による世界遺産への悪影響の顕著な例である。

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