第60回カンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞が26日(日本時間27日未明)、発表された。日本からは松本監督の「大日本人」、佐藤江梨子(25)主演の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(吉田大八監督)、河瀬監督の「殯の森」の3作品が選考対象となっていたが、入賞は逃した。
カンヌ国際映画祭
ヴェネチア国際映画祭、ベルリン国際映画祭とあわせ、世界三大映画祭の一つ
世界中のマスメディアから注目されるため、毎回全世界から数多くの俳優、映画製作者が出席する。また国際見本市(マーケット)には例年800社、数千人の映画製作者(プロデューサー)、バイヤー、俳優などが揃い、新作映画を世界各国から集まる映画配給会社へ売り込むプロモーションの場となっている。
開催期間中は、メイン会場を始め、各映画館では映画が上映され、見本市では、各製作会社によるブースでプレゼンとパーティが行われる。これから公開される映画はもちろんのこと、予告編しかできていない映画や、まだ脚本すらできていない企画段階の映画までが売り込みに出され、売買される。このマーケットでどれだけ先にヒット映画を予測し買い取るのかが、バイヤーの腕の見せ所でもある。
最高賞はパルム・ドール(Palme d'Or)と呼ばれ、ノミネートされた20本前後の映画作品の中から選ばれる。二本以上の作品が選ばれる年もある。
当初は、最高賞を「グランプリ」(Grand Prix du Festival International du Film、世界の映画のグランプリ)としていたが、1955年にトロフィーの形にちなんだ「パルム・ドール」(黄金のシュロ)を正式名称とし、「グランプリ」とも呼ばれる形とした。1965年に最高賞の正式名称を「グランプリ」に戻すが、1975年に再度「パルム・ドール」としている。長らくはカンヌにおいても「グランプリ」とは最高賞の正式名称もしくは「パルム・ドール」の別名であったが、1990年に審査員特別賞(前年までの名称は'Grand Prix Spécial du Jury'、直訳で審査員特別賞となる)にあたる賞に「グランプリ」の名が与えられる事となり、混乱を招いている。
審査員は、著名な映画人や文化人によって構成されている。
1930年代後半、ファシスト政府の介入を受け次第に政治色を強めたヴェネチア国際映画祭に対抗するため、フランス政府の援助を受けて開催される事になったのがカンヌ国際映画祭である。1939年から開催の予定だったが、第二次世界大戦勃発のため中止。終戦後の1946年に正式に開始される事になった。

カンヌ国際映画祭
ヴェネチア国際映画祭、ベルリン国際映画祭とあわせ、世界三大映画祭の一つ
世界中のマスメディアから注目されるため、毎回全世界から数多くの俳優、映画製作者が出席する。また国際見本市(マーケット)には例年800社、数千人の映画製作者(プロデューサー)、バイヤー、俳優などが揃い、新作映画を世界各国から集まる映画配給会社へ売り込むプロモーションの場となっている。
開催期間中は、メイン会場を始め、各映画館では映画が上映され、見本市では、各製作会社によるブースでプレゼンとパーティが行われる。これから公開される映画はもちろんのこと、予告編しかできていない映画や、まだ脚本すらできていない企画段階の映画までが売り込みに出され、売買される。このマーケットでどれだけ先にヒット映画を予測し買い取るのかが、バイヤーの腕の見せ所でもある。
最高賞はパルム・ドール(Palme d'Or)と呼ばれ、ノミネートされた20本前後の映画作品の中から選ばれる。二本以上の作品が選ばれる年もある。
当初は、最高賞を「グランプリ」(Grand Prix du Festival International du Film、世界の映画のグランプリ)としていたが、1955年にトロフィーの形にちなんだ「パルム・ドール」(黄金のシュロ)を正式名称とし、「グランプリ」とも呼ばれる形とした。1965年に最高賞の正式名称を「グランプリ」に戻すが、1975年に再度「パルム・ドール」としている。長らくはカンヌにおいても「グランプリ」とは最高賞の正式名称もしくは「パルム・ドール」の別名であったが、1990年に審査員特別賞(前年までの名称は'Grand Prix Spécial du Jury'、直訳で審査員特別賞となる)にあたる賞に「グランプリ」の名が与えられる事となり、混乱を招いている。
審査員は、著名な映画人や文化人によって構成されている。
1930年代後半、ファシスト政府の介入を受け次第に政治色を強めたヴェネチア国際映画祭に対抗するため、フランス政府の援助を受けて開催される事になったのがカンヌ国際映画祭である。1939年から開催の予定だったが、第二次世界大戦勃発のため中止。終戦後の1946年に正式に開始される事になった。
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