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2025/05/16 07:44 |
グアバとは
フトモモ科に属する熱帯性の低木。または、これと同じ Psidium 属の約100種の植物の総称。カリブ海沿岸、中央アメリカ、南アメリカ北部、東南アジアなどに自生する。和名はバンジロウ。蕃石榴(バンザクロまたはバンセキリュウ)ということもある。

葉は楕円から卵型で、長さは5-15cm程度。対生で枝分かれしない。花は白く、5枚の花弁と多数のおしべを持つ。

果実は食用とされる。形は球か洋ナシ型で、直径3-10cmほど。皮は薄くてきめが細かく、色は薄い緑色から黄色、成熟期には品種によってピンクや赤になる。強い特徴的な香りをもち、白か橙色の果肉の中には、小さくて固いたくさんの種子がある。なお、種子を多く摂取すると腹をくだす。ビタミンA、B、Cが豊富。

葉に含まれるポリフェノールは、糖の吸収をおだやかにする作用があり健康茶(グアバ茶)に使われる。特定保健用食品の許可がある製品も存在する。

グアバは熱帯の国々で食用として栽培されており、ストロベリー、コスタ・リカ、アップル、ギニア、カットリー、マウンテンなどの品種がある。果実はそのまま食用とするか、デザートなどに使われる。アジアでは、生のグアバに食塩またはプルーンの粉末や乾燥梅干しの粉末(酸梅粉)をつけて食べる。ゆでたグアバはキャンディー、ジャム、マーマレード、ゼリー、ジュースなど、幅広く使用される。

グアバは霜に弱い。ハワイなど一部の熱帯地域では、ある種のグアバが雑草のようにはびこっている。また、グアバは熱帯の植には珍しく、室内で育成すれば温帯地域でも食べられる大きさの果実を収穫できるため、園芸の対象としても興味をもたれている。日本においては沖縄県で民家の庭木としてよく見られる

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2007/08/31 13:54 | 日記
長崎カステラの歴史
名前の由来はスペインのカスティーリャ王国(Castilla)のポルトガル発音カステーラ(Castela)と言われている。この原型は、中国の点心の一つであるマーラカオ(マーラーイコウ)、沖縄のちいるんこう(鶏卵)と呼ばれる蒸しカステラ類の始祖でもある可能性が高い。

カステラはオランダ(一時スペイン領になったことがある)から製法を伝えられたためポルトガル語パン・デ・カスティーリャ、カスティーリャ地方のパンの意や中南米似た菓子のビスコーチョが由来とされるものや、カスティーリャ地方に似たお菓子はないためポルトガルの焼菓子であるパォン・デ・ローが製法的に似ていることから、こちらを始祖とする説もあり、日本独特の菓子に発展、創作していったため諸説ある。

室町時代末期にポルトガルの宣教師によって長崎に伝えられたとされる。当初のカステラは卵、小麦粉、砂糖で作ったシンプルなものであり、ヨーロッパの菓子類としては珍しく乳製品を用いない事から日本に残る事ができた。カステラにはオーブンの存在が重要であり、江戸時代まではオーブンに代替する天火の開発が進められた。岐阜県の恵那市岩村町に残るカステラ(松浦軒本店)は、長方形の型に水飴を入れない生地を流し込み、上下から木炭の火で焼いたという(現在はオーブンを使用)。あっさりとしてさっくりとしており、天火が本格的に開発される以前の古い形を残したカステラである。 なお、日本で最初にカステラを食べた有名人は織田信長であるとの説が広まっているが、真偽については定かではない。

松浦軒のカステラの歴史。 岩村藩郷士神谷数右衛門の長男、 名は譲、字は文礼、神谷雲澤(通称雲澤)。 安永二年(一七七三)。 叔父岩村藩医神谷宗元積善の養子となった。 一七才の時名古屋の医師佐枝玄達に入門。 儒学は同じ尾張藩の秦鼎に学んだ。 寛政八年(一七九六)二四才にて長崎へ留学。 ここで通辞小川善之丞について蘭学を修業し、 名村逸諦に西洋外科医学(蘭方)を学んだ。 二六才の時岩村へ帰郷し、医者として開業。 長崎より帰郷するに当り、 長崎カステーラの製法を学び、岩村へ伝えた。 この菓子舗が松浦軒である。 (一八二O)二月一五日四八才にて死去し、富田赤禿山に埋葬された。

主流においては菓子製造の盛んだった江戸・大坂を中心にカステラの日本化と天火の開発が進められ、江戸時代中期には現在の長崎カステラの原型に近い物が作られている。長崎カステラの特徴である水飴の使用は明治以降の西日本で始められたと言われ、これにより現在のしっとりとした触感となった。西日本においては原型のパウンドケーキのようなさっくりとした感触が好まれなかったと見られる。伝来当時、肥前国平戸の松浦家において、南蛮菓子としてカステラが宴会に出された時、その味に馴染めず、包丁方がカステラを砂糖蜜で煮たという逸話もあり、これが上述の「カスドース」の原型になったと伝えられている。

カステラの製法は江戸時代の製菓書・料理書に数多掲載され、茶会でも多く用いられた。その一方で、カステラは卵・小麦粉・砂糖といった栄養分の高い材料の使用から、江戸時代から戦前にかけて結核などの消耗性疾患に対する一種の栄養剤としても用いられていた事もある。こうした事例によって各地に広まり、近代を経て戦後の大量生産によって一般に普及したものと思われる。しかし今なお長崎の街角には多数の自家製カステラ舗が点在し、長崎の風物に彩りを添えている。

主なメーカー
文明堂(ぶんめいどう):カステラで有名な菓子店と言えば真っ先に挙がるのがここである。カンカンダンスを踊る三匹のクマの操り人形のCMで有名になった。
福砂屋(ふくさや・「福」の字は正式には旧字体):1624年(寛永元年)創業。中国でめでたい動物といわれる蝙蝠(コウモリ)を商標とする。長崎本店の他、東京・福岡などにも支店を持つ。知名度では文明堂には劣るが、通の間では福砂屋のカステラは文明堂のそれより評価が高いといわれる。カステラの底の部分にザラメをひいているのが特徴。
松翁軒(しょうおうけん):長崎市。1681年(天和元年)創業。チョコレート味のカステラ(商品名:チョコラーテ)なども扱う。
長崎堂(ながさきどう):本店大阪市中央区心斎橋。1919年(大正8年)創業。ちなみに長崎市内・愛知県にも同名のメーカーがあるが、別会社。愛知の長崎堂は親戚筋が経営していたが、経営不振でポッカコーポレーション傘下になる。
ナガサキヤ(倒産・現存せず):京都市。上述の長崎堂やスーパーの長崎屋との関連はない。


2007/08/31 13:50 | 日記
モンブラン
栗をふんだんに使ったケーキである。山の形に似せて作ったことからこう呼ばれる。名前の由来は、アルプスのモンブランであり、フランス語で白い山を意味する。フランス語ではケーキは Mont Blanc aux marrons と呼ばれる。尚、上に降りかけられる白い粉砂糖は雪を表している。山名と同様にイタリアではモンテ・ビアンコと呼ばれる。

典型的には、カップケーキ型のスポンジ生地やメレンゲ、タルト生地などで作った土台の上に生クリームをホイップし、それをらせん状に包むように、細い麺状にした栗のクリームをあしらう。その上に半分に切った甘露煮の栗が一片載せられる。形状や大きさ、土台となるケーキ部分には様々なバリエーションがあるが、栗を用いたクリーム(またはそれに味を似せたもの)を麺状にしたものをあしらうものが多くのものに共通する。

このケーキの誕生については、モンブランを看板メニューとするパリの老舗カフェ「アンジェリーナ」でとする説と、東京・自由が丘の「モンブラン」でとする説がある。前者は、このカフェの創業が1907年である事を根拠とするが、モンブランがメニューに加えられた時期が定かでない。対して後者は、初代の店主が1933年にフランス・シャモニーを旅した際に見たモンブラン山の美しさを、帰国後にケーキで表現した事を根拠とする。

現在の日本では、使用される食材は栗のほかに、紫芋(内部が赤紫色のサツマイモの一種)なども使用される。また、抹茶を入れた抹茶のモンブランなどもある。「銀座 コージーコーナー」では、2006年夏、マンゴーブームを受けてマンゴーモンブランを発売した。


2007/08/30 22:11 | 日記
サントリーミュージアム
大阪市港区の天保山ハーバービレッジにある美術館。

1994年11月3日、サントリーの創業90周年事業によって開設された。東京のサントリー美術館が日本古来の美術・工芸品を収集しているのに対して、モネやボナール、ロートレック、ミュシャ、カッサンドル、ホックニーの作品や世界各国の秀作ポスターなど、近現代美術の収集・展示を行っている。

又、映像美術の展示施設として20×28mのIMAXスクリーンを擁する世界最大の立体映像劇場「アイマックスシアター」がある。

施設
ギャラリー4F・5F
レクチャールーム
アイマックスシアター(446人収容)
ミュージアムショップ
カフェレストラン
ラウンジ
マーメイド広場(親水広場)

建築概要
竣工― 1994年
設計― 安藤忠雄
規模― 地上9階、一部10階、地下1階
構造― SRC造
延床面積― 13,491m²
所在地― 〒552-0022 大阪府大阪市港区海岸通1-5-10

2007/08/30 21:54 | 日記
非常食
災害や紛争等の非常事態において、一時的に用いられる食料のこと。特に非常事態はいつ起こるか予測が難しい事もあるため、非常に保存性に優れた物が望ましい。

これらの食品は、平時を通して常に備蓄・管理(賞味期限切れの物は、順次新しい物と交換される)されており、ひとたび地震・水害・大規模火災・紛争といった、様々な有事の際には配給され、消費される。このためペットボトル詰めの飲料水のほかに、乾パン・缶詰・レトルト食品・インスタント食品などの保存性に優れた食品が用いられる。災害時には電力やガス、水道などの社会的な供給インフラの機能が停止することも予想されるため、常温で保存が利き、屋外でも特別な器具なしに飲食できる物である必要がある。

特に、今日の市販のミネラルウォーター・缶詰・レトルト食品・インスタント食品といった製品類は、日常的に消費される物でも1~2年程度の賞味期限を持つものも多いため、将来的に大規模震災が予想されている地域では、家庭において普遍的に備蓄されている物も多い。その一方で、防災用品として特別に保存性の高い物も市販されており、これらも市民が日常的に購入・備蓄する事が可能である。

また、住民保護の観点から、国家政府や地方自治体が一定量の保存食を備蓄している場合は多いが、特に地震や水害等の災害発生が予想される地域では、防災倉庫と呼ばれる公共の保管庫に分散・保管されている事もある。

非常食の思想
非常食は、災害・社会的混乱が予測される場合に確保される食料であるが、通常の場合に於いて災害などでは国や自治体から食料や飲料水等が災害救助と生活保護のために支給される。

しかしこれらの公的な援助は、概ね災害発生から救援が行き渡るまでは日本国内でも2~3日程度の間があくとされ、更に災害が大規模な場合には、遅延も予想される。この間は、各々の個人や集団などで独自に確保した水と食料が必要である。米国で2005年頃にハリケーンに絡んで発生した水害では、多くの家庭で数日~2週間程度は自力で生活する事が強いられた。これにより食料品店が略奪に遭うなどの混乱も生じている(カトリーナ)。

極論では有るが、人は水さえあれば食料がなくても3週間~1ヶ月程度は餓死しない。しかしそのような状況では体力を消耗し、疾病などの問題を被りやすい。災害発生時には衛生の問題から伝染病の発生も予測されるため、衛生的な水と食料は常に備えておくほうが望ましいだろう。

東海地震の被害が予測される地域では、概ね3日以上の食料と水を各家庭で備えるよう、地方自治体などから住民にアナウンスされている。

非常食の配布
各自治体や各家庭などで相応量が備蓄されていることも多いが、実際の災害現場において、運搬や配布などで、その意図とは逆に混乱を引き起こす場合もあるため、有事における対処方法がマニュアル化され、配布方法やその対象に関しても、細やかな規定が成されている場合もある。

一般商店に陳列・保管されている食料品も、緊急時には非常食として周辺住民に供給される事がある。これらは政府・自治体の要請を受けた商店が在庫を放出(代価は政府・自治体が支払う)する場合と、商店側の厚意で無償配布される場合があるが、災害時には往々にして社会的混乱が発生し、暴動や略奪が発生しやすい。このため配布する側の商店も非常に神経質になっており、これらを受け取る側に秩序だった行動が見られない場合は、折角の商品配布が中断されてしまう事もある。

また被災地では地元の自治会(町内会等)組織や民間の救援団体・ボランティア団体などによって、炊き出しが行われる。これらは往々にして被災者自身や、被災状況を知った人々の善意の発露として行われているため、比較的社会秩序が回復していないと、これら活動が行われ得ない事もあり、いずれにせよ受け取る側にも、それ相応の配慮が要求される。

非常食セット(クッキングヒーターセット+アルファ化米 マジックライス8食入り)

2007/08/30 12:53 | 日記

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