エウリアンの所属する絵画販売会社は、下記の繁華街などに画廊を構え、下記の作家らによる海洋や生物を描いた絵画やイラストレーション・人気アニメーターによるオリジナルイラストなどの原画や版画を展示している。
こうした絵画販売会社では、シルクスクリーンなど版画を原価より何十倍も高い価格で売りつけたり、単にプリンタから出力した印刷物や大型印刷機で印刷したポスターを何百層・何千層に重ね合せた新技法の版画と偽って販売している場合もある。印刷物の上に数回シルクスクリーンで刷りを重ねたものをミクストメディア(混合技法)と称していることもある。
画廊の前には必ず1~2人のエウリアンが立っており、ポストカード(絵はがき)などを通行人に配る。そしてポストカードを受け取った通行人に、「絵画に興味はあるか」「そこに見える○○ショップ、○○会社の横(所)に○○の絵が見えますよね」「展示会をしているからぜひ見ていってほしい」などと言って画廊の中に引き入れる。この段階で立ち去ろうとすると「怪しい者(会社・業者)では有りません」「違うんです、違うんです」と言って呼び止めようとする。
エウリアンたちに引き入れられ、画廊の玄関の受付カウンターで、自身の名前と、自宅と勤務先両方の住所と電話番号を書かされる。そして、画廊の展示スペースに入ると、エウリアンは普通に絵を見せる様にしながら「この中でどの絵が一番好きか」などと客に質問をし、客が質問に答えると、その質問をしたエウリアンはその場から立ち去り、選んだ絵の担当者と称するエウリアンと交代する。
この新しく現れたエウリアンは客に「アンケートを書いて欲しい」と頼み、客を画廊の奥にあるイスに座らせる。そのイスは大抵仕切りで囲われた場所にあり、さらに客の周りを囲むようにして版画を掛けたイーゼルを並べるなど逃げられない様にする。
その上でエウリアンは、客に対して絵を書いた画家のプロフィールの説明をしながら、「絵を買うと生活が豊かになる」「あなたならこの絵をどういった場所に飾るか」「高額な絵画となると高額所得者の人達が買うと思われがちだが、意外とうちの店では20代~30代の方々が買っていく。1枚買うと2枚3枚と買っていく方も多い」「特殊インクを使用し、色合いがほとんど劣化せず半永久的に長持ちするので、何十年何百年経っても価値がある」「ここにある絵は必ず値が上がる」「この画家の絵画を選んでくれたのは担当者としてとてもうれしい」「あなたは月々○万○千円なら何に使うか。又は何を買うか」「高額な値段だけに確かに割高感があるが、分割払いなら一日当たりわずかな負担で絵が手に入る」「この絵を選んで頂いたあなたの担当にぜひなりたい」「絵に興味はないか、一枚買ってほしい」「あなたにだけは特別に100万円の所を70万円にする」などと、熱心に説明しながら強引に絵を売ろうとする。
大抵の客は、高額の版画を買う気など無いまま入ってきているが、拒否し立ち去ろうとしてもエウリアンはなかなか話を止めず、中には丸め込まれて「豊かな生活」を信じて買ってしまう者もいる。あくまで拒否する者は、買うと言うまで画廊の中に閉じ込められ、場合によっては5時間以上監禁される事もある。
また画廊の中に長時間監禁されるだけでなく、「お前のせいで時間を無駄にし、絵を売るノルマが達成できなかった。責任をとって一枚必ず買え」などと威圧的な言葉遣いで脅迫される事まであり、その結果、ローンを組むなどして売買契約を結んでしまう場合が多い。
稀にではあるが、エウリアンの言うことを全て鵜呑みにしてしまう客も存在し、何度もエウリアンから版画を購入してしまう人もいると言われている。また、被害者は積極的に話しかけてくれた異性の販売員や、原画を描いているアニメーターや画家に釣られて入ってきた人が多く、彼氏や彼女が不在で恋愛経験の少ない者や、単身の寮生活で社会との接触の少ない自衛官や看護師などの職業で被害が多いとも言われている。
エウリアンは法外な値段で印刷物を売りつける為、絵画を購入させられた客は絵画を売却しても支払った金額を回収する事も出来ず、長期のローンに苦しむ場合が多い。また違法としりつつローン契約の手続きを行う、ローン会社の責任も大きい。ネットオークションにはこうして買わされた版画が多数出品されているが、5万円から10万円で落札されればよい方と言える。
なお、70万~100万円もあれば、ピカソやシャガール、ウォーホル、キース・ヘリングなど有名かつ人気の高い作家の比較的安い版画を買うことができてしまう。第二次大戦以降現在までの作家のほとんどの版画はそれ以下の価格で手に入る。
対処方法
チラシやビラ配りのように絵はがきを配っているエウリアンを見かけた際は、絵はがきを絶対に受け取ってはいけない。話に応じたりしないで無視するのがよい。
被害にあった場合は、消費者センターに相談する。
クーリングオフが可能である。
客が画廊からの退去を妨害されて契約させられた場合は、消費者契約法による契約取消が可能である。
クーリングオフ期間内であれば、クーリングオフの方が簡単である。退去妨害を理由に契約取消を主張すると業者からの反論が予想されるが、クーリングオフの場合は期間内であれば無条件・理由不問で解約できる。
被害者が男性である場合には、「女性店員にのこのこ付いていき言うままに金を出した。下心があったのだろう。」との邪推から、周囲の者や、ときには救済団体の女性担当者などから白眼視されることも多い。そのため窮状を訴えられないことや、さらに傷つく者も多い。しかしその場合でも一時の恥や屈辱を忍んでも上記の行動を取るべきである。

こうした絵画販売会社では、シルクスクリーンなど版画を原価より何十倍も高い価格で売りつけたり、単にプリンタから出力した印刷物や大型印刷機で印刷したポスターを何百層・何千層に重ね合せた新技法の版画と偽って販売している場合もある。印刷物の上に数回シルクスクリーンで刷りを重ねたものをミクストメディア(混合技法)と称していることもある。
画廊の前には必ず1~2人のエウリアンが立っており、ポストカード(絵はがき)などを通行人に配る。そしてポストカードを受け取った通行人に、「絵画に興味はあるか」「そこに見える○○ショップ、○○会社の横(所)に○○の絵が見えますよね」「展示会をしているからぜひ見ていってほしい」などと言って画廊の中に引き入れる。この段階で立ち去ろうとすると「怪しい者(会社・業者)では有りません」「違うんです、違うんです」と言って呼び止めようとする。
エウリアンたちに引き入れられ、画廊の玄関の受付カウンターで、自身の名前と、自宅と勤務先両方の住所と電話番号を書かされる。そして、画廊の展示スペースに入ると、エウリアンは普通に絵を見せる様にしながら「この中でどの絵が一番好きか」などと客に質問をし、客が質問に答えると、その質問をしたエウリアンはその場から立ち去り、選んだ絵の担当者と称するエウリアンと交代する。
この新しく現れたエウリアンは客に「アンケートを書いて欲しい」と頼み、客を画廊の奥にあるイスに座らせる。そのイスは大抵仕切りで囲われた場所にあり、さらに客の周りを囲むようにして版画を掛けたイーゼルを並べるなど逃げられない様にする。
その上でエウリアンは、客に対して絵を書いた画家のプロフィールの説明をしながら、「絵を買うと生活が豊かになる」「あなたならこの絵をどういった場所に飾るか」「高額な絵画となると高額所得者の人達が買うと思われがちだが、意外とうちの店では20代~30代の方々が買っていく。1枚買うと2枚3枚と買っていく方も多い」「特殊インクを使用し、色合いがほとんど劣化せず半永久的に長持ちするので、何十年何百年経っても価値がある」「ここにある絵は必ず値が上がる」「この画家の絵画を選んでくれたのは担当者としてとてもうれしい」「あなたは月々○万○千円なら何に使うか。又は何を買うか」「高額な値段だけに確かに割高感があるが、分割払いなら一日当たりわずかな負担で絵が手に入る」「この絵を選んで頂いたあなたの担当にぜひなりたい」「絵に興味はないか、一枚買ってほしい」「あなたにだけは特別に100万円の所を70万円にする」などと、熱心に説明しながら強引に絵を売ろうとする。
大抵の客は、高額の版画を買う気など無いまま入ってきているが、拒否し立ち去ろうとしてもエウリアンはなかなか話を止めず、中には丸め込まれて「豊かな生活」を信じて買ってしまう者もいる。あくまで拒否する者は、買うと言うまで画廊の中に閉じ込められ、場合によっては5時間以上監禁される事もある。
また画廊の中に長時間監禁されるだけでなく、「お前のせいで時間を無駄にし、絵を売るノルマが達成できなかった。責任をとって一枚必ず買え」などと威圧的な言葉遣いで脅迫される事まであり、その結果、ローンを組むなどして売買契約を結んでしまう場合が多い。
稀にではあるが、エウリアンの言うことを全て鵜呑みにしてしまう客も存在し、何度もエウリアンから版画を購入してしまう人もいると言われている。また、被害者は積極的に話しかけてくれた異性の販売員や、原画を描いているアニメーターや画家に釣られて入ってきた人が多く、彼氏や彼女が不在で恋愛経験の少ない者や、単身の寮生活で社会との接触の少ない自衛官や看護師などの職業で被害が多いとも言われている。
エウリアンは法外な値段で印刷物を売りつける為、絵画を購入させられた客は絵画を売却しても支払った金額を回収する事も出来ず、長期のローンに苦しむ場合が多い。また違法としりつつローン契約の手続きを行う、ローン会社の責任も大きい。ネットオークションにはこうして買わされた版画が多数出品されているが、5万円から10万円で落札されればよい方と言える。
なお、70万~100万円もあれば、ピカソやシャガール、ウォーホル、キース・ヘリングなど有名かつ人気の高い作家の比較的安い版画を買うことができてしまう。第二次大戦以降現在までの作家のほとんどの版画はそれ以下の価格で手に入る。
対処方法
チラシやビラ配りのように絵はがきを配っているエウリアンを見かけた際は、絵はがきを絶対に受け取ってはいけない。話に応じたりしないで無視するのがよい。
被害にあった場合は、消費者センターに相談する。
クーリングオフが可能である。
客が画廊からの退去を妨害されて契約させられた場合は、消費者契約法による契約取消が可能である。
クーリングオフ期間内であれば、クーリングオフの方が簡単である。退去妨害を理由に契約取消を主張すると業者からの反論が予想されるが、クーリングオフの場合は期間内であれば無条件・理由不問で解約できる。
被害者が男性である場合には、「女性店員にのこのこ付いていき言うままに金を出した。下心があったのだろう。」との邪推から、周囲の者や、ときには救済団体の女性担当者などから白眼視されることも多い。そのため窮状を訴えられないことや、さらに傷つく者も多い。しかしその場合でも一時の恥や屈辱を忍んでも上記の行動を取るべきである。
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1853年(嘉永6年)に千駄木の植木商、森田六三郎が牡丹と菊細工を主とした植物園「花屋敷」が開園した。当時の敷地面積は約80000m2であった。江戸期は茶人、俳人らの集会の場や大奥の女中らの憩いの場として利用された。
明治に入り浅草寺一帯を浅草公園地とした際、花屋敷は奥山一帯と共に第五区に指定された。しかし敷地は縮小し、1885年(明治18年)に初めて所有者が変わった。翌年、勝海舟の書「花鳥得時」を入口看板として掲示した。この頃でも利用者は主に上流階級者であり、園内は和洋折衷の自然庭園という感じであったが、徐々に庶民にも親しまれるようトラ、クマなど動物の展示などを開始したり、五階建てのランドマーク奥山閣を建設し、建物内に種々の展示物を展示したりした。浅草が流行の地となるにつれて、この傾向は強まり、動物、見世物(活人形、マリオネット、ヤマガラの芸など)の展示、遊戯機器の設置を行うようになった。
大正から昭和初期には全国有数の動物園としても知られ、トラの五つ子誕生や日本初のライオンの赤ちゃん誕生などのニュースを生んだ。関東大震災の際は罹災民が集ったため、多くの動物を薬殺した。戦時下において徐々に規模を縮小し、まず1935年(昭和10年)に仙台市立動物園に動物を売却し、1942年(昭和17年)には強制疎開によりついに取り壊された。
戦時中松竹の関連会社となるが、戦後の1947年(昭和22年)東洋娯楽機との共同経営で再び開園し、遊園地「浅草花屋敷」と改名、2年後には東洋娯楽機に経営が委ねられ「浅草花やしき」と改名した。
そして1953年(昭和28年)のローラーコースター、1950年(昭和35年)のBeeタワーなど現在あるアトラクションが登場し始めた。
また花やしきは長らく入園料を取らず、利用する施設ごとに回数券などで料金を支払う形を取っていたが、1985年(昭和60年)の風営法改正に伴い回数券とは別に入園料の徴収を開始した。
2004年(平成16年)にトーゴ(旧・東洋娯楽機)が会社更生手続きの開始を申し立てたことにより、バンプレストの子会社、株式会社花やしきが8月31日にその事業を承継した。
営業時間
10:00~18:00
(11月~2月は17:00まで。ゴールデンウィーク、お盆は19:00まで。)
入園料
大人 900円
小人 400円
フリーパス(入園料別途)
大人 2200円
小人 1900円
休園日
毎週火曜日
主なアトラクション
ローラーコースター(旧 ロケットコースター)
Beeタワー(旧 人工衛星塔)
スペースショット
お化け屋敷
ゴーストの館

明治に入り浅草寺一帯を浅草公園地とした際、花屋敷は奥山一帯と共に第五区に指定された。しかし敷地は縮小し、1885年(明治18年)に初めて所有者が変わった。翌年、勝海舟の書「花鳥得時」を入口看板として掲示した。この頃でも利用者は主に上流階級者であり、園内は和洋折衷の自然庭園という感じであったが、徐々に庶民にも親しまれるようトラ、クマなど動物の展示などを開始したり、五階建てのランドマーク奥山閣を建設し、建物内に種々の展示物を展示したりした。浅草が流行の地となるにつれて、この傾向は強まり、動物、見世物(活人形、マリオネット、ヤマガラの芸など)の展示、遊戯機器の設置を行うようになった。
大正から昭和初期には全国有数の動物園としても知られ、トラの五つ子誕生や日本初のライオンの赤ちゃん誕生などのニュースを生んだ。関東大震災の際は罹災民が集ったため、多くの動物を薬殺した。戦時下において徐々に規模を縮小し、まず1935年(昭和10年)に仙台市立動物園に動物を売却し、1942年(昭和17年)には強制疎開によりついに取り壊された。
戦時中松竹の関連会社となるが、戦後の1947年(昭和22年)東洋娯楽機との共同経営で再び開園し、遊園地「浅草花屋敷」と改名、2年後には東洋娯楽機に経営が委ねられ「浅草花やしき」と改名した。
そして1953年(昭和28年)のローラーコースター、1950年(昭和35年)のBeeタワーなど現在あるアトラクションが登場し始めた。
また花やしきは長らく入園料を取らず、利用する施設ごとに回数券などで料金を支払う形を取っていたが、1985年(昭和60年)の風営法改正に伴い回数券とは別に入園料の徴収を開始した。
2004年(平成16年)にトーゴ(旧・東洋娯楽機)が会社更生手続きの開始を申し立てたことにより、バンプレストの子会社、株式会社花やしきが8月31日にその事業を承継した。
営業時間
10:00~18:00
(11月~2月は17:00まで。ゴールデンウィーク、お盆は19:00まで。)
入園料
大人 900円
小人 400円
フリーパス(入園料別途)
大人 2200円
小人 1900円
休園日
毎週火曜日
主なアトラクション
ローラーコースター(旧 ロケットコースター)
Beeタワー(旧 人工衛星塔)
スペースショット
お化け屋敷
ゴーストの館
初代(10系:1989年~1994年)
1989年10月登場。キャッチコピ―は「この車から、クルマが変わります。」「トヨタ50年の歴史を超えた創造と挑戦の車、セルシオ。」「最高という名のセルシオ。」
エンジンはV8・4000cc(1UZ-FE)を使用している。装備の違いでA・B・Cのグレードが存在した。
サスペンションは、前後ダブルウィッシュボーン式となる。AとB仕様はコイルサスペンションを装備した。B仕様には、路面状況によりダンパーの減衰力が通常走行時の「ハード」の設定から瞬時に「ソフト」に切り替わる電子制御サスペンション「ピエゾTEMS」が装備された。C仕様には、乗り心地がさらにスムーズになる電子制御エアサスペンションを装備した。この仕様には後席の居住性を重視した「Fパッケージ」が存在し、センチュリーのようなショーファードリブンとしての使用を視野に入れたものである。最廉価のA仕様はオーナードライバー向けの仕様としたが、売れ筋はC仕様であった。これは現在でもかわらない。このA・B・Cという基本グレード構成はセルシオのアイディンティティとして3代目まで受け継がれた。
なお、車体そのものや車体に貼られるエンブレムにこのパッケージの違いは出ておらず、そこがクラウンなど既存の国産車との趣向の差である。
2代目(20系:1994年~2000年)
1994年10月に登場。キャッチコピーは「変化を求めず、深化をめざす」。
初代のスタイリングを踏襲し、外観がほとんどかわらなかったため新旧の違いはわかりにくいものであったが、車体の基本的骨格であるプラットフォームの改良により、最小回転半径を縮小し、さらに後席居住性を改善した。初代で不満の多かったブレーキ性能も、フロントにアルミ製対向4ポッドキャリパーを装備するなど、内容の変更は大きいものであった。エンジンは引き続き、V8・4000ccの1UZ-FE型を使用、パーツの見直し等による5psの出力向上と最大110kgの大幅な車両軽量化を達成し、動力性能を向上させた。販売グレードもA・B・C仕様のパッケージが受け継がれた。しかしながら、助手席肩口のパワーシートスイッチや、マイコンプリセットドライビングシステムの設定がなくなるなど、バブル崩壊の影響を少なからず感じさせるモデルでもある。
1996年8月の小変更では助手席肩口のパワーシートスイッチやマイコンプリセットドライビングシステムが再設定された。安全性も向上し、衝突安全ボデー「GOA」を採用したほか、運転席・助手席のサイドエアバッグを標準装備した。また、A仕様とB仕様に欧州仕様のユーロチューンド・サスペンションを採用したeRバージョンが追加された。
1997年7月 マイナーチェンジを行う。キャッチコピーは「その世界的価値」。
フロントグリルとヘッドライトを独立させ、全体的に従来型よりも精悍なスタイリングとなる。ヘッドライトは従来のハロゲンヘッドランプに代わって、オートレベライザー付ディスチャージヘッドランプが設定された。
エンジンもVVT-ⅰ(連続可変バルブタイミング機構)の採用によりMC前の265psから280psとなり、ATも4段から5段へと変更、動力性能と環境性能を同時に向上させた。特筆すべきは安全装備の充実で、6つのエアバッグはもとより、車体の横滑りを防止するVSC、緊急ブレーキのアシストをするブレーキアシスト、プリテンショナー&フォースリミッター付きシートベルトを全車に装備した。また、高速道路などでの使い勝手を向上したレーダークルーズコントロールがオプション設定、多発する盗難対策としてエンジンイモビライザーが標準装備された。このモデルでセルシオは発売10周年を迎え、初の特別仕様車として「10thアニバーサリー」が発売された。
3代目(30系:2000年~2006年)
2000年8月に登場。キャッチコピーは「セルシオを越えるのは、セルシオだけ。」「頂点であること、あり続けること」。
エンジンはV8・4300ccの3UZ-FEに変更された。また、デザインも大きく変わり、ドアはプレス式から後部ドアに三角窓の付くサッシュ式となった。面白いことに、メルセデス・ベンツSクラスはこの頃登場したモデルからセルシオと逆にドアがサッシュ式からプレス式となっている。電子制御も大幅に増加、全ドアイージークローザーが装備され、従来のワイヤレスドアロックの発展版であるスマートキーシステムが選択できるようになる。グレードは、A仕様(標準車・eRバージョン)・B仕様(標準車・eRバージョン)・C仕様(標準車・インテリアセレクション・Fパッケージ・Fパッケージインテリアセレクション)の設定。環境性能にも力を入れ、排気ガスは平成12年規制よりさらに75%低減、市販車では世界トップのCd値0.25を実現した。
2003年8月のマイナーチェンジで外装が変更され、全長はついに5mを超えた。ATが5段から6段になり、10・15モード燃費が従来型の8.2km/Lから8.9km/Lへ向上した。 B仕様が廃止され、A・B仕様のeRバージョンをeR仕様とした。グレード構成は、A仕様・eR仕様・C仕様(標準車・インテリアセレクション・Fパッケージ・Fパッケージインテリアセレクション)となる。安全装備はさらに磨きがかかり、ミリ波レーダーを使用したプリクラッシュ・セーフティシステムがオプションとして導入された。
2005年に国内レクサス店が展開され、次期LSを国内にも導入することとなり、セルシオの名前に終止符が打たれることが決まり、2006年4月新型LSの発表と同時に生産を終了した。
セルシオの販売終了に伴い、トヨタブランドでのラクシュリーセダンのポジションはクラウンマジェスタに一本化されることとなる。

1989年10月登場。キャッチコピ―は「この車から、クルマが変わります。」「トヨタ50年の歴史を超えた創造と挑戦の車、セルシオ。」「最高という名のセルシオ。」
エンジンはV8・4000cc(1UZ-FE)を使用している。装備の違いでA・B・Cのグレードが存在した。
サスペンションは、前後ダブルウィッシュボーン式となる。AとB仕様はコイルサスペンションを装備した。B仕様には、路面状況によりダンパーの減衰力が通常走行時の「ハード」の設定から瞬時に「ソフト」に切り替わる電子制御サスペンション「ピエゾTEMS」が装備された。C仕様には、乗り心地がさらにスムーズになる電子制御エアサスペンションを装備した。この仕様には後席の居住性を重視した「Fパッケージ」が存在し、センチュリーのようなショーファードリブンとしての使用を視野に入れたものである。最廉価のA仕様はオーナードライバー向けの仕様としたが、売れ筋はC仕様であった。これは現在でもかわらない。このA・B・Cという基本グレード構成はセルシオのアイディンティティとして3代目まで受け継がれた。
なお、車体そのものや車体に貼られるエンブレムにこのパッケージの違いは出ておらず、そこがクラウンなど既存の国産車との趣向の差である。
2代目(20系:1994年~2000年)
1994年10月に登場。キャッチコピーは「変化を求めず、深化をめざす」。
初代のスタイリングを踏襲し、外観がほとんどかわらなかったため新旧の違いはわかりにくいものであったが、車体の基本的骨格であるプラットフォームの改良により、最小回転半径を縮小し、さらに後席居住性を改善した。初代で不満の多かったブレーキ性能も、フロントにアルミ製対向4ポッドキャリパーを装備するなど、内容の変更は大きいものであった。エンジンは引き続き、V8・4000ccの1UZ-FE型を使用、パーツの見直し等による5psの出力向上と最大110kgの大幅な車両軽量化を達成し、動力性能を向上させた。販売グレードもA・B・C仕様のパッケージが受け継がれた。しかしながら、助手席肩口のパワーシートスイッチや、マイコンプリセットドライビングシステムの設定がなくなるなど、バブル崩壊の影響を少なからず感じさせるモデルでもある。
1996年8月の小変更では助手席肩口のパワーシートスイッチやマイコンプリセットドライビングシステムが再設定された。安全性も向上し、衝突安全ボデー「GOA」を採用したほか、運転席・助手席のサイドエアバッグを標準装備した。また、A仕様とB仕様に欧州仕様のユーロチューンド・サスペンションを採用したeRバージョンが追加された。
1997年7月 マイナーチェンジを行う。キャッチコピーは「その世界的価値」。
フロントグリルとヘッドライトを独立させ、全体的に従来型よりも精悍なスタイリングとなる。ヘッドライトは従来のハロゲンヘッドランプに代わって、オートレベライザー付ディスチャージヘッドランプが設定された。
エンジンもVVT-ⅰ(連続可変バルブタイミング機構)の採用によりMC前の265psから280psとなり、ATも4段から5段へと変更、動力性能と環境性能を同時に向上させた。特筆すべきは安全装備の充実で、6つのエアバッグはもとより、車体の横滑りを防止するVSC、緊急ブレーキのアシストをするブレーキアシスト、プリテンショナー&フォースリミッター付きシートベルトを全車に装備した。また、高速道路などでの使い勝手を向上したレーダークルーズコントロールがオプション設定、多発する盗難対策としてエンジンイモビライザーが標準装備された。このモデルでセルシオは発売10周年を迎え、初の特別仕様車として「10thアニバーサリー」が発売された。
3代目(30系:2000年~2006年)
2000年8月に登場。キャッチコピーは「セルシオを越えるのは、セルシオだけ。」「頂点であること、あり続けること」。
エンジンはV8・4300ccの3UZ-FEに変更された。また、デザインも大きく変わり、ドアはプレス式から後部ドアに三角窓の付くサッシュ式となった。面白いことに、メルセデス・ベンツSクラスはこの頃登場したモデルからセルシオと逆にドアがサッシュ式からプレス式となっている。電子制御も大幅に増加、全ドアイージークローザーが装備され、従来のワイヤレスドアロックの発展版であるスマートキーシステムが選択できるようになる。グレードは、A仕様(標準車・eRバージョン)・B仕様(標準車・eRバージョン)・C仕様(標準車・インテリアセレクション・Fパッケージ・Fパッケージインテリアセレクション)の設定。環境性能にも力を入れ、排気ガスは平成12年規制よりさらに75%低減、市販車では世界トップのCd値0.25を実現した。
2003年8月のマイナーチェンジで外装が変更され、全長はついに5mを超えた。ATが5段から6段になり、10・15モード燃費が従来型の8.2km/Lから8.9km/Lへ向上した。 B仕様が廃止され、A・B仕様のeRバージョンをeR仕様とした。グレード構成は、A仕様・eR仕様・C仕様(標準車・インテリアセレクション・Fパッケージ・Fパッケージインテリアセレクション)となる。安全装備はさらに磨きがかかり、ミリ波レーダーを使用したプリクラッシュ・セーフティシステムがオプションとして導入された。
2005年に国内レクサス店が展開され、次期LSを国内にも導入することとなり、セルシオの名前に終止符が打たれることが決まり、2006年4月新型LSの発表と同時に生産を終了した。
セルシオの販売終了に伴い、トヨタブランドでのラクシュリーセダンのポジションはクラウンマジェスタに一本化されることとなる。

カウンセリングは一般的には訓練を受けた専門家が,援助ニーズのある人(クライエント)に対して,言語的手段を用いて,援助する方法である。カウンセリングの基盤をなす学問領域にカウンセリング心理学,臨床心理学がある。
心理的なカウンセリングから派生して、様々な分野での相談行為をカウンセリングと慣用的にいう事がある。ただし、その技法は直接この心理的なカウンセリングと関連する訳ではない。例えば、美容、転職、法律、ローンクレジット、結婚、その他の分野などである。
カウンセリングに近い概念として心理療法や精神療法がある。カウンセリングの主な対象者は発達や人間関係の問題で悩んでいる人であり,心理的問題や精神医学的な障害への治療を主な目的とする心理療法や精神療法とは異なる。米国においては,心理療法,精神療法,カウンセリングは区別されているが,日本においては両者を混同して使っている心理学者も多い。
カウンセリングの技法には、来談者中心療法、論理療法、ゲシュタルト療法、認知行動療法、精神分析法、交流分析などが有名である。カウンセリングの基礎技法として「傾聴」がある。これは、いかなる心理療法であってもこの「傾聴」というスキルを使って話を聴く。
米国においては、カール・ロジャースがカウンセリングブームの火付け役となり、どのカウンセラーに相談しているかが一つの社会的ステータスになったと言われている。しかし、このブーム時に専門的な教育を受けていない「自称カウンセラー」が大量に出現し、彼らのカウンセリングを受けた人達からは「カウンセリングは効果がない」という評価が出た。が、一方で、専門的な教育を受けた真のカウンセラーのカウンセリングを受けた人達からは「カウンセリングはすばらしい」という評価が出され、評価は二分された。
日本の臨床心理学ではカウンセリングを勉強する事はないが、米国の臨床心理学では、カウンセリングは必須の科目になっており、日米の臨床心理士のスキル差を生み出している。従って、日本でのみ学んだ臨床心理士はカウンセリングが出来ないと考えて良い。すなわち、日本ではカウンセリング心理学という学問体系が認知されていないのである。
なお、カウンセリングは、人の心の不具合を治療する事が目的ではなく、自分の生き方を反省させる技術だと言ってもいい。従って、いわゆる異常性欲に対しては、本人が「治療」を希望していない限り、カウンセリングは効果がないと見るべきだろう。

心理的なカウンセリングから派生して、様々な分野での相談行為をカウンセリングと慣用的にいう事がある。ただし、その技法は直接この心理的なカウンセリングと関連する訳ではない。例えば、美容、転職、法律、ローンクレジット、結婚、その他の分野などである。
カウンセリングに近い概念として心理療法や精神療法がある。カウンセリングの主な対象者は発達や人間関係の問題で悩んでいる人であり,心理的問題や精神医学的な障害への治療を主な目的とする心理療法や精神療法とは異なる。米国においては,心理療法,精神療法,カウンセリングは区別されているが,日本においては両者を混同して使っている心理学者も多い。
カウンセリングの技法には、来談者中心療法、論理療法、ゲシュタルト療法、認知行動療法、精神分析法、交流分析などが有名である。カウンセリングの基礎技法として「傾聴」がある。これは、いかなる心理療法であってもこの「傾聴」というスキルを使って話を聴く。
米国においては、カール・ロジャースがカウンセリングブームの火付け役となり、どのカウンセラーに相談しているかが一つの社会的ステータスになったと言われている。しかし、このブーム時に専門的な教育を受けていない「自称カウンセラー」が大量に出現し、彼らのカウンセリングを受けた人達からは「カウンセリングは効果がない」という評価が出た。が、一方で、専門的な教育を受けた真のカウンセラーのカウンセリングを受けた人達からは「カウンセリングはすばらしい」という評価が出され、評価は二分された。
日本の臨床心理学ではカウンセリングを勉強する事はないが、米国の臨床心理学では、カウンセリングは必須の科目になっており、日米の臨床心理士のスキル差を生み出している。従って、日本でのみ学んだ臨床心理士はカウンセリングが出来ないと考えて良い。すなわち、日本ではカウンセリング心理学という学問体系が認知されていないのである。
なお、カウンセリングは、人の心の不具合を治療する事が目的ではなく、自分の生き方を反省させる技術だと言ってもいい。従って、いわゆる異常性欲に対しては、本人が「治療」を希望していない限り、カウンセリングは効果がないと見るべきだろう。
1962年のジャマイカ独立以後、ジャマイカのミュージシャンは独自の音楽を作り出すことを模索する。そうした中で生まれたのがスカである。スカは、ジャズやリズム・アンド・ブルースなどの北米の音楽や、カリプソ、メント等のカリブ海の音楽に影響を受け誕生した。裏打ちのリズムが特徴である。その後スカのテンポが遅くなり、ベースラインがより複雑になったロックステディが生まれる。
サウンドシステム
ジャマイカの音楽は一般的にサウンドシステムと呼ばれる移動式で、巨大なスピーカーを積み上げた音響施設でプレイされる。そこでは曲を掛けるセレクター(selector。他音楽ジャンルのDJにあたる)、曲に合わせてしゃべったり歌ったりするDJ(Dee Jay)、セレクターのかける曲の説明などをして場を盛り上げるMCなどの役割分担がある。そこではダブプレートというそのサウンドシステム独自のレコードをかけたりして、互いに競い合った。レーベルの経営者がサウンドのオーナーであることが多く、リディムやトラックと呼ばれるカラオケを使いまわすというスタイルが出来上がったのはロックステディのころであるという。また、これらのサウンドシステムはクール・ハークなどの移民によってアメリカへ持ち込まれ、ヒップホップの誕生に影響を与えた。
※レゲエではMCのことをDJという場合もある。
レゲエの誕生
ロックステディは一世を風靡したが、短命に終わり、1968年にはレゲエに取って代わられることとなる。ワンドロップと呼ばれる3拍目にバスドラムとスネアのリムショットが入るゆったりしたリズムと、覚えやすく印象的なベースラインがレゲエとそれ以前のジャマイカ音楽との違いである。このころのレゲェ・ベース奏者の先駆者として、ウェイラーズのアストン・バレットがいるが、彼のアイドルはビートルズのポールでありポールのベース・ラインの影響を色濃く反映している。案外レゲェ・ベースのルーツはビートルズかもしれない。歌詞の内容も社会問題について歌うものが多く、ジャマイカの宗教的思想であるラスタファリズムにも多大な影響を受けている。レゲエと言う言葉の語源には諸説あるが、一般にはトゥーツ&ザ・メイタルズの「Do the reggey」という曲からだと言われている。
1970年代
それまで様々な音楽の影響を受けて混とんとしていたレゲエは、1970年代に入り、ルーツロックレゲエと呼ばれるスタイルを確立していく。またキング・タビーによるダブの発見、ディスコ音楽からの影響を受けた四つ打ちのリズムであるステッパーズリディムの登場などにより、主にクラブミュージックの分野で後世、大きな影響を与えることになる。またキングストンのゲットーを舞台にした映画「ハーダーゼイカム」やボブ・マーレィの世界的な大ヒットにより、レゲエはカリブ海の一民族音楽の枠を超え、世界に広まった。
ダンスホールレゲエ
1980年代初頭に入っても良質なルーツレゲエの作品が次々と発表された。それに加え、ジャマイカではダンスホールレゲエと呼ばれるリディムに乗せてDee Jayするスタイルが一般的になる。そんな中、1985年にプリンス・ジャミーが発表したリディム「Sleng Teng」からレゲエのデジタル化が始まる。これらの打ち込みよるトラックは、当時はコンピューターライズドと呼ばれた。
コンピュータライズドとは、バックのトラックをドラムマシンやシンセサイザーで打ち込んだ物を指す。ちなみに、初のコンピュータライズドとなった「Sleng Teng」は、なんとカシオ・トーンのみで製作された。その後、スティーリィ&クリーヴィという二人組がコンピュータライズドのトラックを大量生産し、ヒットを飛ばし続けた。
またこのころからレゲエからラスタ色が薄れ、スラックネスと呼ばれる下ねたを中心とした歌詞やガントークなどが流行する。
イギリス
ボブ・マーレィがメジャーデビューを果たした後、イギリスでも在英ジャマイカ人を始めとした人々がレゲエをプレイし始めた。ルーツ色の濃いスティール・パルス、白人中心ながら正統派のレゲエのUB40などがいる。
ジャマイカではダンスホールレゲエが現れたころ、イギリスではまた違ったスタイルのレゲエが生まれる。元々ジャマイカはイギリスの植民地だったので、出稼ぎのために多くのジャマイカ人が住んでいる。在英ジャマイカンは自分たちの音楽をイギリスに持ち込んだ。イギリスでサウンドシステムを経営していたジャー・シャカはコンピューターライズドによってルーツレゲエを表現した。このようなスタイルはニュールーツと呼ばれる。さらにデジタル化したレゲエからジャングルやドラムンベース等の音楽が生まれ、UKニューウェーブにも影響を与えた。
また、イギリスではソウルフルで甘い歌物のレゲエも好まれていて、それをラヴァーズ・ロック(Lovers Rock)と呼ぶ。ジャネット・ケイ、サンドラ・クロス、J.C.ロッジ、コフィ等、女性シンガーが人気である。
1990年代以降
1990年代中ごろ、ジャマイカではルーツアンドカルチャーの標語の下、ガーネット・シルク等が中心となりラスタ復興の兆しが現れる。またテクノやエレクトロニカのアーティストのよる新たなレゲエの解釈やジャマイカのダンスホールとイギリスのニュールーツとの交流、ヒップホップとのクロスオーバーなど新たな動きが現れている。
レゲエの精神
ラスタファリズムに象徴される。緑、黄色、赤の色彩の組み合わせは、エチオピア(ラスタの現人神、ハイレ・セラシエ1世が治めた国)の国旗から来ているので、本来はラスタを信仰する者だけが身につけるものであり、独特の髪型ドレッドロックスも聖書の中の記述を由来とする宗教的な理由がある。しかし日本ではその意味が一般にはあまり認知されておらず、単なるファッションとして消費されている傾向がある。
レゲエにおいて重要な存在の大麻についての考え方は、ラスタファリズムの影響が大きい。ガンジャという呼称が好まれ、使用に肯定的である。ガンジャとはヒンディー語で、ガン=草、ジャー=神、神の草という意味であり、ガンジャをテーマとした楽曲も非常に多い。ガンジャに関する考え方はレゲエを愛する日本人にも広まっていて、実際に使用する者も少なくない。「大麻は中毒性が低いので、禁止されていることがおかしい」とするのが肯定派の意見であるが、ジャマイカでは大麻を違法としながらほとんど取り締まっていないのに対し、日本では所持や売買が厳しく罰せられるという文化の違いがあることも事実である。またレゲエ愛者の一部に誤解があるが、大麻使用は確実に健康に害があり、「中毒性が低い」根拠としてよく引き合いに出される「大麻はタバコや酒ほど害がない」とする論文「健康および心理に対するアルコール、インド麻、ニコチン、麻薬摂取の結果の相対的な評価 (A comparative appraisal of the health and psychological consequences of alcohol, cannabis, nicotine and opiate use)」はWHOによると、「矛盾に満ち」「非科学的である」とされている。
また同時にレゲエはジャマイカの不良の音楽でもある。ルードボーイ(rude boy)、ラガマフィン(raggamaffin)、ギャングスタ(gangsta、gangster)、バッドマン(bad man)など不良を意味する語が歌詞に見られる一方、不良たちの暴力をいさめる歌詞も多く見られる。ラスタファリズムと不良とはつながらないように見えるが、実際ラスタであり、同時にルードボーイやギャングスタ、ラガマフィンでもあるアーティストは少なくない。
またレゲエは異性愛を尊重する傾向にあり、しばしば同性愛者を批判したり、また批判の対象にされる。女性蔑視の傾向も見受けられるが、これら同性愛者批判や女性蔑視は、ラスタよりジャマイカの国民性の影響が大きい。日本のレゲエ愛者には、女性蔑視の傾向は少ない

SHINKO MUSIC ギター弾き語り レゲエ・ベスト・ヒット
サウンドシステム
ジャマイカの音楽は一般的にサウンドシステムと呼ばれる移動式で、巨大なスピーカーを積み上げた音響施設でプレイされる。そこでは曲を掛けるセレクター(selector。他音楽ジャンルのDJにあたる)、曲に合わせてしゃべったり歌ったりするDJ(Dee Jay)、セレクターのかける曲の説明などをして場を盛り上げるMCなどの役割分担がある。そこではダブプレートというそのサウンドシステム独自のレコードをかけたりして、互いに競い合った。レーベルの経営者がサウンドのオーナーであることが多く、リディムやトラックと呼ばれるカラオケを使いまわすというスタイルが出来上がったのはロックステディのころであるという。また、これらのサウンドシステムはクール・ハークなどの移民によってアメリカへ持ち込まれ、ヒップホップの誕生に影響を与えた。
※レゲエではMCのことをDJという場合もある。
レゲエの誕生
ロックステディは一世を風靡したが、短命に終わり、1968年にはレゲエに取って代わられることとなる。ワンドロップと呼ばれる3拍目にバスドラムとスネアのリムショットが入るゆったりしたリズムと、覚えやすく印象的なベースラインがレゲエとそれ以前のジャマイカ音楽との違いである。このころのレゲェ・ベース奏者の先駆者として、ウェイラーズのアストン・バレットがいるが、彼のアイドルはビートルズのポールでありポールのベース・ラインの影響を色濃く反映している。案外レゲェ・ベースのルーツはビートルズかもしれない。歌詞の内容も社会問題について歌うものが多く、ジャマイカの宗教的思想であるラスタファリズムにも多大な影響を受けている。レゲエと言う言葉の語源には諸説あるが、一般にはトゥーツ&ザ・メイタルズの「Do the reggey」という曲からだと言われている。
1970年代
それまで様々な音楽の影響を受けて混とんとしていたレゲエは、1970年代に入り、ルーツロックレゲエと呼ばれるスタイルを確立していく。またキング・タビーによるダブの発見、ディスコ音楽からの影響を受けた四つ打ちのリズムであるステッパーズリディムの登場などにより、主にクラブミュージックの分野で後世、大きな影響を与えることになる。またキングストンのゲットーを舞台にした映画「ハーダーゼイカム」やボブ・マーレィの世界的な大ヒットにより、レゲエはカリブ海の一民族音楽の枠を超え、世界に広まった。
ダンスホールレゲエ
1980年代初頭に入っても良質なルーツレゲエの作品が次々と発表された。それに加え、ジャマイカではダンスホールレゲエと呼ばれるリディムに乗せてDee Jayするスタイルが一般的になる。そんな中、1985年にプリンス・ジャミーが発表したリディム「Sleng Teng」からレゲエのデジタル化が始まる。これらの打ち込みよるトラックは、当時はコンピューターライズドと呼ばれた。
コンピュータライズドとは、バックのトラックをドラムマシンやシンセサイザーで打ち込んだ物を指す。ちなみに、初のコンピュータライズドとなった「Sleng Teng」は、なんとカシオ・トーンのみで製作された。その後、スティーリィ&クリーヴィという二人組がコンピュータライズドのトラックを大量生産し、ヒットを飛ばし続けた。
またこのころからレゲエからラスタ色が薄れ、スラックネスと呼ばれる下ねたを中心とした歌詞やガントークなどが流行する。
イギリス
ボブ・マーレィがメジャーデビューを果たした後、イギリスでも在英ジャマイカ人を始めとした人々がレゲエをプレイし始めた。ルーツ色の濃いスティール・パルス、白人中心ながら正統派のレゲエのUB40などがいる。
ジャマイカではダンスホールレゲエが現れたころ、イギリスではまた違ったスタイルのレゲエが生まれる。元々ジャマイカはイギリスの植民地だったので、出稼ぎのために多くのジャマイカ人が住んでいる。在英ジャマイカンは自分たちの音楽をイギリスに持ち込んだ。イギリスでサウンドシステムを経営していたジャー・シャカはコンピューターライズドによってルーツレゲエを表現した。このようなスタイルはニュールーツと呼ばれる。さらにデジタル化したレゲエからジャングルやドラムンベース等の音楽が生まれ、UKニューウェーブにも影響を与えた。
また、イギリスではソウルフルで甘い歌物のレゲエも好まれていて、それをラヴァーズ・ロック(Lovers Rock)と呼ぶ。ジャネット・ケイ、サンドラ・クロス、J.C.ロッジ、コフィ等、女性シンガーが人気である。
1990年代以降
1990年代中ごろ、ジャマイカではルーツアンドカルチャーの標語の下、ガーネット・シルク等が中心となりラスタ復興の兆しが現れる。またテクノやエレクトロニカのアーティストのよる新たなレゲエの解釈やジャマイカのダンスホールとイギリスのニュールーツとの交流、ヒップホップとのクロスオーバーなど新たな動きが現れている。
レゲエの精神
ラスタファリズムに象徴される。緑、黄色、赤の色彩の組み合わせは、エチオピア(ラスタの現人神、ハイレ・セラシエ1世が治めた国)の国旗から来ているので、本来はラスタを信仰する者だけが身につけるものであり、独特の髪型ドレッドロックスも聖書の中の記述を由来とする宗教的な理由がある。しかし日本ではその意味が一般にはあまり認知されておらず、単なるファッションとして消費されている傾向がある。
レゲエにおいて重要な存在の大麻についての考え方は、ラスタファリズムの影響が大きい。ガンジャという呼称が好まれ、使用に肯定的である。ガンジャとはヒンディー語で、ガン=草、ジャー=神、神の草という意味であり、ガンジャをテーマとした楽曲も非常に多い。ガンジャに関する考え方はレゲエを愛する日本人にも広まっていて、実際に使用する者も少なくない。「大麻は中毒性が低いので、禁止されていることがおかしい」とするのが肯定派の意見であるが、ジャマイカでは大麻を違法としながらほとんど取り締まっていないのに対し、日本では所持や売買が厳しく罰せられるという文化の違いがあることも事実である。またレゲエ愛者の一部に誤解があるが、大麻使用は確実に健康に害があり、「中毒性が低い」根拠としてよく引き合いに出される「大麻はタバコや酒ほど害がない」とする論文「健康および心理に対するアルコール、インド麻、ニコチン、麻薬摂取の結果の相対的な評価 (A comparative appraisal of the health and psychological consequences of alcohol, cannabis, nicotine and opiate use)」はWHOによると、「矛盾に満ち」「非科学的である」とされている。
また同時にレゲエはジャマイカの不良の音楽でもある。ルードボーイ(rude boy)、ラガマフィン(raggamaffin)、ギャングスタ(gangsta、gangster)、バッドマン(bad man)など不良を意味する語が歌詞に見られる一方、不良たちの暴力をいさめる歌詞も多く見られる。ラスタファリズムと不良とはつながらないように見えるが、実際ラスタであり、同時にルードボーイやギャングスタ、ラガマフィンでもあるアーティストは少なくない。
またレゲエは異性愛を尊重する傾向にあり、しばしば同性愛者を批判したり、また批判の対象にされる。女性蔑視の傾向も見受けられるが、これら同性愛者批判や女性蔑視は、ラスタよりジャマイカの国民性の影響が大きい。日本のレゲエ愛者には、女性蔑視の傾向は少ない

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