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2025/06/10 11:18 |
宮崎あおい、高岡蒼甫と結婚
女優の宮崎あおい(21)と俳優の高岡蒼甫(そうすけ、25)が大安吉日の15日、電撃入籍した。この日夜に双方の所属事務所が結婚を発表した。2人の交際は昨年7月に写真誌「フライデー」の報道で明らかになったが、関係者によると交際は7年目。一度は破局したものの、それを乗り越え純愛を実らせた。

大安吉日のこの日、宮崎と高岡は午前中に都内の区役所を訪れ婚姻届を提出した。夜になってマスコミ各社に連名で結婚を発表すると同時に、それぞれHPを通じてもファンに報告。宮崎は「彼と一緒にいることで笑顔になれたり、頑張れたり、私にとってとても大切な人です」と高岡への思いを記した上で、「『この人と家族になりたい。どんな事があっても最後の日までそばにいたい』そう思える人に出会えた奇跡に感謝し、これからも支え合い、沢山の笑顔の中で生きていきたいと思っています」とつづった。

一方、高岡もブログに長文を掲載。「自分にとっては向日葵(ひまわり)のような存在とでも言いますか、側に居るだけで明るい気持ちになる人です」と宮崎を表現する一方で、「まだまだ自分は未熟で仕事上の立場も彼女のほうが明らかに上です。これが本当の格差婚ですね」と正直な思いも告白。「長い年月精神的な支えになってくれた彼女をこれからも大切にし、自分自身も結婚ということを機に今以上に責任を持って家族を守っていけるよう仕事を頑張ります」と記している。

出会いは7年前までさかのぼる。宮崎はカンヌ国際映画祭にも出品された出世作「EUREKA(ユリイカ)」(青山真治監督)に出演したばかりの中学生。高岡はデビュー間もないころ。役者仲間を通じて知り合い、交際が始まった。昨年7月にフライデーが交際を報じた当時は、皮肉なことに2人の関係が冷え込み、「破局状態」だった。が、よりが戻ってからは、今まで以上に結婚を意識するようになったという。

宮崎あおい
東京都出身。所属事務所はヒラタオフィス。血液型O型。身長163cm。趣味は写真。特技はネイルアート。

4歳の時、子役デビュー。主にCMを中心に活動。ドラマや映画にも出演していたが、名前の付かない役が多かったため、子役時代の彼女を知る人はあまり多くない。役名をもらい、本格的に女優業を始めたのは1998〜1999年頃。
2000年、映画『EUREKA(ユリイカ)』における秀逸な演技力が高く評価される。(映画公開は2001年)
2001年、映画初主演の『害虫』で、第23回ナント三大陸映画祭コンペティション部門主演女優賞を受賞。(映画公開は2002年)
2002年、『EUREKA』で第16回高崎映画祭最優秀新人女優賞を受賞。
同年10月、BS-i連続ドラマ『ケータイ刑事 銭形愛』に主演。
2003年初舞台で主演をつとめたミュージカル『星の王子さま』で、第41回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞受賞。
2004年、NHKドラマ『ちょっと待って、神様』の主役を務めて好評を博す。
2005年、中島美嘉とダブル主演を務めた『NANA -ナナ-』が、2005年度実写邦画観客動員数第2位の大ヒット。社会現象になり、彼女の大ブレイクのきっかけとなった。
2006年、NHK朝の連続テレビ小説『純情きらり』で、ヒロイン・有森桜子役を好演。知名度がさらに上昇した。そしてその演技が評価され、第44回ゴールデン・アロー賞放送賞(ドラマ部門)を受賞。
同年10月、日韓合作の映画『初雪の恋 ヴァージン・スノー』主演。京都、ソウルなどでロケを行い、2007年5月に日韓同時公開。
2007年6月15日、かねてから交際中であった俳優の高岡蒼甫と結婚したことを所属事務所を通じ発表した[1]。
2008年に放送予定のNHK大河ドラマ『篤姫』で、主人公の篤姫を演じる。放送開始時の年齢は22歳1か月であり、大河ドラマの主役としては歴代最年少になる。また、朝ドラのヒロイン経験者が大河ドラマの主役を単独で務めるのは初めてである。
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2007/06/16 12:32 | 芸能人
眞鍋かをり、麒麟・川島と交際認める!
タレントの眞鍋かをり(26)が14日、コメンテーターを務めるフジテレビ系「とくダネ!」に出演し、お笑いコンビ「麒麟」の川島明(28)との交際について「向こうからもコメントがあったと思いますが、いいお友だちとして楽しくお付き合いさせていただいてます」と話した。

しかし、「半同棲(せい)」と報じられたことについては「同棲もしていないですし、ご両親のコメントとかも、あんなのはうそです」と否定した。

一方の川島はこの日、大阪市内で行われたABCテレビ「なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!」の収録に参加。「ほんまに仲のいい友だちか?」という陣内智則のツッコミに「な・か・の・い・い友だちです」と、たどたどしく答えていた。

眞鍋かをり
趣味は写真に絵を描くこと、パソコンを使うこと(特にブログ)、料理をすること。
特技は剣道など(これは事務所側が設定した事で、本人はある番組で、剣道が特技ではないことを発言している)
自身のブログでの一人称は、「オイラ」。
好きなバラエティ番組の衣装はセーラー服。2007年2月22日放映のくりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!でヤンキー仕様の赤いセーラー服を着ていた際に「結構気に入っている。ずっと着ていたい」と発言した。
2006年2月、スキンケアブランド「プロアクティブ」の日本市場キャスターに就任。ニキビで悩んで「引きこもりだった」ことを告白。社長から「NO!ニキビーナス」の称号を贈られる。
お酒の飲みっぷりがよく、「「ぷっ」すま」(テレビ朝日系)「笑瓶観光(後述)」などでお酒が出てくると勢いよく飲み始め、ほどよく酔っ払って収録に参加している姿が見受けられる。1日にビール5~6本は飲むため、自宅の冷蔵庫は冷えたビールが常に満杯になるようにしている(2007年5月ダウンタウンDXにて)
「井の中のカワズ君」(フジテレビ系)で「IT企業の社長って上から見下してるんじゃないかと思うんで何か嫌ですね」や「「昨日○○のパーティーいってさ〜」とか言われるとはぁ〜?って感じで」と言いIT関連の男性が苦手であると語っている。
ボタンフェチという独特の趣向の持ち主でもあり、「行列の出来る法律相談所」等でボタンを噛んだり、体にこすったりすると語っている。またボタンを飲み込んで窒息しかけたことがある。本人曰くボタンにも良いボタンと悪いボタンがあるとの事。
本名である「かをり」の由来は母親の友人の名前と告白。


2007/06/15 14:30 | 芸能人
元SPEED、HITOE、NY式ハタ・ヨガDVDレッスン
元SPEEDのHITOE(26)が、DVDブック「HITOEのNY式ハタ・ヨガDVDレッスン」を14日に発売する。ニューヨークのヨガ学校に8か月間通いライセンスを習得。同書では体験記やヨガ教室案内なども掲載されている。HITOEは「たくさんの人にyogaを知ってもらいたい」と話している。16日後1時に銀座福家書店で握手会を予定。

HITOE
芸能事務所ヴィジョンファクトリー、レコードレーベルSONIC GROOVE(エイベックス系列)に所属。血液型AB型。現在、ヨガのライセンス取得の為、ニューヨークシティに在住。

沖縄アクターズスクールを経て、アイドルグループSPEEDのリーダーとして1996年にデビュー。グループでは主にダンスとコーラスを担当。
1999年6月30日、ソロプロジェクト「HITOE'S 57 MOVE(ヒトエズゴナムーブ)」として初のソロ曲を出す。
1999年4月から6月、TBS系テレビドラマ「L×I×V×E」でドラマ初主演(同じSPEEDのメンバー・今井絵理子と共演)。
2000年のSPEED解散以降はダンス・絵画の技術を磨く為に米ニューヨークの専門学校へ留学。2001年3月31日、東京原宿にて初の個展を開き、2003年3月には自身初のイラスト集を出版した。

2002年、日本で芸能活動を再開。他の元SPEEDメンバーと共にSONIC GROOVEレーベルに移籍し、「HITOE」名義でソロ歌手として活動。また限定的に再結成したSPEEDでもやはり、リーダーとして活動した。

SPEED在籍中はリーダーでありながら地味な存在であったが、メンバーの中では一番音楽に造詣が深く、在籍時から当時最先端のアメリカのR&Bを研究し、ダンスの振り付けや曲のアレンジ等に取り入れていた。また「ジャマイカ人になりたい」と発言するなど、エスニックなテイストの持ち主でもある。ジャマイカにも何度も行って本場のジャマイカミュージックを身につけようとした努力家であり、今後の更なる活動が嘱望されている。

レゲエナイズされた容姿が当時としては先鋭すぎたためか、SPEEDメンバーの中では人気面でコアな色合いが強いなどやや異質な存在であったといわれている。SPEED がブレイクしだした頃、伊集院光は自身のラジオ番組「伊集院光 深夜の馬鹿力」において、「SPEED の中にダウトが 1 人いる」と発言し、これに対して「仁絵ちゃんのことを悪く言わないで下さい!」という抗議(?)の葉書が殺到した。伊集院は「だって、しょうがねーじゃん」などと開き直ったが、SPEED 解散の数年後、同じ番組中、伊集院はあれは話の流れ上、仕方なくそうなってしまったが、実は当時、自分がダウトだと思っていたのは、仁絵ちゃんではなく島袋だった、と述べている。当時の SPEED メンバーに対する世間(および伊集院)の評価が垣間見えるエピソードとして興味深い。


2007/06/14 13:48 | 芸能人
えなりかずき、風俗通い報道紙を告訴
俳優のえなりかずき(本名・江成和己)さん(22)が12日までに、風俗店に通っていたとする夕刊紙の記事で名誉を傷つけられたとして、日刊現代と内外タイムス社を相手に、計2200万円の損害賠償と謝罪記事掲載を求める訴訟を東京地裁に起こした。

4月8日発売の夕刊紙「内外タイムス」と同10日発売の「日刊ゲンダイ」が、「大人のたしなみ」などの表現で、えなりさんが都内で風俗遊びをしているかのような記事を掲載。えなりさん側は「いずれも事実無根。純粋な好青年という役柄を演じてきており、淫靡(いんび)なイメージが流布することは看過できない」としている。

えなりかずき
幼少時より子役として活躍。橋田壽賀子や石井ふく子が中核となっている橋田ファミリー(「石井ファミリー」または「石井組」とも呼ばれる)の一員である。かつては看板女優の山岡久乃が橋田ファミリーで最も人気があったが、山岡の死によって泉ピン子が看板女優になってからは、ピン子をおさえてえなりが橋田ファミリー一の人気者となった。
近年ではいわゆる「最近の若者」らしくない、やや年寄りめいた容姿・言動・趣味など、特異なキャラクターが幅広い年齢層に受けている。
童顔であり、子役時代と全く顔が変わっていない。
2001年、つんくプロデュースの『おいらに惚れちゃ怪我するぜ!』で歌手デビューし、NHKの『紅白歌合戦』にも出場した。
東海大学付属望星高等学校通信高校を卒業後、現役の時は早稲田大学第一文学部、上智大学法学部地球環境法学科を一般受験するも不合格。一浪後、成城大学と法政大学文学部史学科に一般入試で見事合格。芸能人では珍しく学校にはほぼ毎日通っており、授業では最前列に座り、真面目に講義を聴いているという。
趣味は、ゴルフとアマチュア無線。
相当なドラゴンボールマニアで、『ダウンタウンDX』では同じくドラゴンボールマニアのウエンツ瑛士と互いにマニアックなクイズを出し合い、他の出演者やスタジオの観客をドン引きさせていた一面も。
愛車はアルファロメオ・156。
好きなブランドはルネ・ラコステ。
この年代のタレントにしては珍しく、携帯電話を所持していない事を公言している。
小学校5年生で空手初段を所得している。
「ありえなりかずき」(『ありえない』と『えなりかずき』を融合させたもの)という異名も存在する。
フルート奏者yumiとの「熱愛」を日刊ゲンダイが2007年4月10日に報じた。
2007年4月から『うふふのぷ』(関西テレビ製作、全国ネット)の司会を担当することになり『サタデー生ワイド そらナビ』(CBC製作、中京圏ローカル)と合わせて土曜日に大阪と名古屋で2本の生放送を担当することとなった。

2007/06/13 12:44 | 芸能人
リア・ディゾンのサイン入りポスターがもらえる!
テクモから2007年6月14日に発売予定のプレイステーション3用ソフト『NINJA GAIDEN Σ(ニンジャガイデン シグマ)』の発売記念イベントが、秋葉原にあるラオックスアソビットシティで開催されることに。

イベントの内容は、『NINJA GAIDEN Σ(ニンジャガイデン シグマ)』のミッションモードを使ったタイムアタック大会。発売日の2007年6月14日午後3時〜午後6時のあいだに、2大会が行われる予定。どのミッションで争われるかは当日までのお楽しみで、最速タイムを出した人はラオックス忍者、”ラオ忍”の称号がもらえる。ラオ忍には、同ゲームのイメージキャラクターを務めるリア・ディゾンのサイン入り販促ポスター、リアVer.とハヤブサVer.の2種類と、立て看板がプレゼント。準優勝者には、同じくサイン入りポスターのハヤブサVer.が贈られる。参加賞も用意されているとのことなので、腕に覚えのある忍者たちはこぞって参加を!

『NINJA GAIDEN Σ(ニンジャガイデン シグマ)』発売記念イベントの開催概要

日時
2007年6月14日(木)
午後3時〜午後6時 

内容
ミッションモードのタイムアタック
時間内に2大会が実施予定 


2007/06/12 09:12 | 芸能人

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