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2025/05/10 18:20 |
竹内まりやブランド ジーンズ発売
シンガー・ソングライターの竹内まりや(52)が、約6年ぶりのアルバム「Denim」を23日に発売するに当たり、ジーンズのプロデュースを手掛けることが30日、分かった。有名ブランド「EDWIN(エドウィン)」の協力で女性向けのジーンズを製作。アルバムと同じ23日からオンライン限定で受注販売する。

“竹内まりやジーンズ”は、エドウィンの女性向けブランド「SOMETHING」の新シリーズとして発売される。ブランド名は、まりやの「M」とエドウィンの「e」から名付けた「Me」。英語の「私」という意味も込められているという。

23日に発売する約6年ぶりのアルバムが、ジーンズの素材を表す「Denim」というタイトルであることから実現した。デザインや型などは既存の商品のものを使用しているが、竹内は前ポケット部の「ト音記号」の刺しゅうのアイデアを提案。またステッチはエドウィンが特別なデザインを施し、大人の女性向けの新商品を開発した。

竹内は「人生はまるでデニムのようだと私は思う。青春を下ろし立ての真新しいインディゴ・ブルーに例えるとすると、年を重ね人生が進むにつれてそのデニムの青は少しずつ風合いを増しながらさまざまに変化していく」という思いでアルバムを制作。映画「出口のない海」の主題歌「返信」や日テレ「火曜ドラマゴールド」の主題歌「明日のない恋」、「スロー・ラヴ」など12曲を収録した。

竹内まりや
出雲大社近くの老舗旅館「竹野屋」主人でもある竹内・大社町(当時)元町長の娘として生まれる。

島根県立大社高等学校在学中に、アメリカ・イリノイ州に1年間留学。

慶應義塾大学文学部に進学。在学中に音楽活動を始め、1978年、シングル『戻っておいで・私の時間』、アルバム『BEGINNING』でデビュー。英文科に進んだが、厳しいことで有名な唐須教光のゼミと音楽活動の両立ができなくなり中退。のち、1979年のシングル『SEPTEMBER』、1980年のシングル『不思議なピーチパイ』などがヒットする。デビュー当初は、松本隆などが提供するアイドルソング的な歌を歌わされていたが、これに飽き足らず間もなく自ら作詞・作曲を手がけるようになった。

この頃アレンジャーとして彼女の前に登場したのが、後に公私共に良きパートナーとなる山下達郎である(もっとも、デビュー以前からまりやはシュガーベイブや達郎のライブを見に行っていたと語っており、特に自らのデビューライブ直前に見た達郎のライブには大きなインパクトを受けたという)。

竹内まりやの結婚前の作品は、山下達郎をはじめ、加藤和彦、細野晴臣、告井延隆(センチメンタル・シティ・ロマンス)、大貫妙子、林哲司、伊藤銀次、杉真理、安部恭弘、浜田金吾(濱田金吾)といった錚々たる作家が提供し、作品の質は極めて高い。

1981年、アイドル的な活動を要求されることと自身の希望する活動とのギャップから一時休業を宣言、その後1982年に山下達郎と結婚。 同時に専業作詞作曲家として活動を開始し、河合奈保子の『けんかをやめて』などのヒットを放つ。 しかし、1982年に山下達郎が自身のレコード会社ALFA MOONを設立したことから「記念に一枚」のつもりで、1984年にシングル『もう一度』、そして全曲を彼女自身が作詞・作曲したアルバム『VARIETY』をリリース。

当時は歌手としては既に忘れられた存在でありながら最終的には30万枚以上の大ヒットになり、 以後ライブ活動からは退いたものの、アレンジャー・プロデューサーを務める夫のサポートを受けながら、シンガーソングライターとして活動を続け、3年間のロングセールスを記録したアルバム『REQUEST』(1987年)や、シングル『駅』(1987年)、シングル『シングル・アゲイン』(1989年)、シングル『告白』(1990年)、シングル『家(うち)に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)』(1992年)などのヒット作をリリース。1992年にはアルバム『QUIET LIFE』が発売と同時にミリオン・セラーとなり、1994年のベストアルバム『IMPRESSIONS』は売上300万枚を超える大ヒットを記録。

作詞・作曲家としては薬師丸ひろ子の『元気を出して』(1984年、のちに島谷ひとみも2003年に同曲を歌った)、広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』(1997年)など、多くのヒット作を生んだ。

90年代初め、中国系の歌手・林羽萍(Lín Yŭpíng,英語名 Jessica)がアルバム『久別重逢』の中で『元気を出して』を『清醒之後』としてカバーしている。中国詞は「王中言」で、作曲者は本来「竹内まりや」とすべきところが「熊天龍」という全く違う名前になっている。

2000年7月、約18年ぶりの本格的なライブ(それ以前にも縁故のあるミュージシャンのライブのサプライズゲストに登場し数曲洋楽カヴァーを歌うことはあった)を東京・大阪で行う(ライブ・アルバム『SOUVENIR』収録)。その後もアルバム『BON APPETIT!』(2001年)、カヴァーアルバム『Longtime Favorites』(2003年)などをリリース。2004年には夫のシングル『忘れないで』の作詞を担当など、マイペースながらも着実に活動を続けている。

2006年8月27日放送の山下達郎のJACCS CARDサンデーソングブックによると、携帯電話は電話帳さえ使いこなせないらしい。しかし、夫である山下達郎から「〜のレストランを予約した」等とメールを受け取った際は返信することはできるらしい。

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2007/05/01 13:11 | 芸能人

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