4人組ロックバンド「ウルフルズ」が15日、東京・日比谷野外音楽堂で、デビュー15周年記念フリーライブを行った。
03年に一時脱退したベースのジョン・B・チョッパー(39)の復帰ライブを行った思い出の地で、トータス松本(40)は「15年と一言でいっても長い。みんなに感謝」。無料招待した2700人にスガシカオ(40)、斉藤和義(40)らの祝福も受け「ガッツだぜ!!」など10曲を熱唱した。ライブの模様は、音楽チャンネル「MUSIC ON! TV」で5月5日放送。17日には、移籍後初のシングル「情熱 A Go―Go」(18日発売)を都内の神社に奉納する。
ウルフルズ
1988年大阪・中津のインド喫茶「カンテ・グランデ」(通称:カンテG)のバイト仲間で結成。その後ドラム担当が抜けたため、客としてライブに来ていたサンコンJr.を誘い込み現在の編成に。(その時のバイト仲間にはダウンタウンの番組でお馴染みの構成作家高須光聖もおり、「バンザイ」発売時にHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPに出演した際に話題に上る。)
バンド名は、メンバーお気に入りのLPレコードのジャケットの帯にあった「ソウルフル」が改行のため「ウルフル」と読めたことに由来する。
1992年5月13日に東芝EMIからシングル『やぶれかぶれ』でデビュー。6月17日ファーストアルバム『爆発オンパレード』をリリース。なかなかヒットに恵まれなかったが、1996年に6枚目のシングル『ガッツだぜ!!』、続く7枚目のシングル『バンザイ〜好きでよかった〜』、サード・アルバム『バンザイ』が100万枚を超える大ヒット、一躍脚光を浴びる。その年NHK紅白歌合戦に初出場(ただ、この時「『ガッツだぜ!!』の歌詞の一部が卑猥だ」として歌詞を変えるか問題となり、一部分のみ変更)。
1999年ベース担当のジョン・B・チョッパーが突然「作家になる」と宣言し脱退。[要出典]3人編成となる。
一時期人気も落ち着いたが、2001年に『明日があるさ〜ジョージアで行きましょう編』が大ヒット。同年、吉本興業オールスターズとも言えるRe:Japanとのコラボレーションで再び紅白歌合戦への出演を果たした。
2002年「ウルフルズ10周年5時間ライブ!!〜50曲ぐらい歌います〜」にジョン・B・チョッパーが出演。2003年6月1日日比谷野外音楽堂にて行われたフリーライブにて正式に復帰。再び4人編成に。ジョン・B・チョッパー脱退時、ライブやレコーディングを支えていたベーシストは、順にCHIROLYN、上野イチロー、高橋"Jr."知治の3人である。2000年以降現在まで、ライブはキーボードの伊東ミキオを加え、5人で行っている。(一部イベントやライブを除く)
2003年に発売された『ええねん』は関西では「この年の日本シリーズで日本一を逃した阪神タイガースのファンの気持ちを代弁する曲」としても受け入れられた。もっとも、この曲が完成したのは阪神タイガースがリーグ優勝を決める2か月近く前のことである。『ええねん』は地元大阪のラジオ局FM802のOSAKAN HOT 100ではJ-POPとしては最長の9週連続1位を記録した。
このバンドの雰囲気、ノリはジョン・B・チョッパーの脱退時のコメントが全てを表している。「音楽をやりたいわけでも、ベースをやりたいわけでもなかった。ただ僕は松本君たちと一緒にいるのが楽しかった。一緒にいれれば何でも良かった。でもそれでいいのかなと・・・」そんな彼の脱退後、新ベーシストのオーディションも行ってはいたが、結局は不採用で3人体制でいたことがジョン・B・チョッパー復活という奇跡を生んだとも言える。シングル『ええねん』は正にジョン・B・チョッパーの復帰を祝う曲そのものである。
2007年1月1日にワーナーミュージック・ジャパンに移籍した。それと同時に、 2007年に発売するシングル「情熱 A GO GO」の歌詞を発表した。

03年に一時脱退したベースのジョン・B・チョッパー(39)の復帰ライブを行った思い出の地で、トータス松本(40)は「15年と一言でいっても長い。みんなに感謝」。無料招待した2700人にスガシカオ(40)、斉藤和義(40)らの祝福も受け「ガッツだぜ!!」など10曲を熱唱した。ライブの模様は、音楽チャンネル「MUSIC ON! TV」で5月5日放送。17日には、移籍後初のシングル「情熱 A Go―Go」(18日発売)を都内の神社に奉納する。
ウルフルズ
1988年大阪・中津のインド喫茶「カンテ・グランデ」(通称:カンテG)のバイト仲間で結成。その後ドラム担当が抜けたため、客としてライブに来ていたサンコンJr.を誘い込み現在の編成に。(その時のバイト仲間にはダウンタウンの番組でお馴染みの構成作家高須光聖もおり、「バンザイ」発売時にHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPに出演した際に話題に上る。)
バンド名は、メンバーお気に入りのLPレコードのジャケットの帯にあった「ソウルフル」が改行のため「ウルフル」と読めたことに由来する。
1992年5月13日に東芝EMIからシングル『やぶれかぶれ』でデビュー。6月17日ファーストアルバム『爆発オンパレード』をリリース。なかなかヒットに恵まれなかったが、1996年に6枚目のシングル『ガッツだぜ!!』、続く7枚目のシングル『バンザイ〜好きでよかった〜』、サード・アルバム『バンザイ』が100万枚を超える大ヒット、一躍脚光を浴びる。その年NHK紅白歌合戦に初出場(ただ、この時「『ガッツだぜ!!』の歌詞の一部が卑猥だ」として歌詞を変えるか問題となり、一部分のみ変更)。
1999年ベース担当のジョン・B・チョッパーが突然「作家になる」と宣言し脱退。[要出典]3人編成となる。
一時期人気も落ち着いたが、2001年に『明日があるさ〜ジョージアで行きましょう編』が大ヒット。同年、吉本興業オールスターズとも言えるRe:Japanとのコラボレーションで再び紅白歌合戦への出演を果たした。
2002年「ウルフルズ10周年5時間ライブ!!〜50曲ぐらい歌います〜」にジョン・B・チョッパーが出演。2003年6月1日日比谷野外音楽堂にて行われたフリーライブにて正式に復帰。再び4人編成に。ジョン・B・チョッパー脱退時、ライブやレコーディングを支えていたベーシストは、順にCHIROLYN、上野イチロー、高橋"Jr."知治の3人である。2000年以降現在まで、ライブはキーボードの伊東ミキオを加え、5人で行っている。(一部イベントやライブを除く)
2003年に発売された『ええねん』は関西では「この年の日本シリーズで日本一を逃した阪神タイガースのファンの気持ちを代弁する曲」としても受け入れられた。もっとも、この曲が完成したのは阪神タイガースがリーグ優勝を決める2か月近く前のことである。『ええねん』は地元大阪のラジオ局FM802のOSAKAN HOT 100ではJ-POPとしては最長の9週連続1位を記録した。
このバンドの雰囲気、ノリはジョン・B・チョッパーの脱退時のコメントが全てを表している。「音楽をやりたいわけでも、ベースをやりたいわけでもなかった。ただ僕は松本君たちと一緒にいるのが楽しかった。一緒にいれれば何でも良かった。でもそれでいいのかなと・・・」そんな彼の脱退後、新ベーシストのオーディションも行ってはいたが、結局は不採用で3人体制でいたことがジョン・B・チョッパー復活という奇跡を生んだとも言える。シングル『ええねん』は正にジョン・B・チョッパーの復帰を祝う曲そのものである。
2007年1月1日にワーナーミュージック・ジャパンに移籍した。それと同時に、 2007年に発売するシングル「情熱 A GO GO」の歌詞を発表した。
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