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2025/06/17 08:36 |
松岡利勝は、こんな人物だった・・・
農家に生まれる。熊本県立済々黌高等学校、鳥取大学農学部林学科を卒業し、1969年に農林水産省に入省。大臣官房企画課、天塩営林署長、国土庁山村豪雪地帯振興課課長補佐などをつとめる。1988年、林野庁広報官を最後に退官し、1990年の第39回衆議院議員総選挙に旧熊本1区から無所属で立候補。最下位ながらも北口博、松野頼三らを下し初当選。以降連続6回当選。

三塚派、亀井グループを経て、1998年に江藤・亀井派結成に参加。近年は衆議院予算委員会理事、衆議院郵政民営化に関する特別委員会理事を務め、小泉首相を積極支持する姿勢を見せて、郵政国会を機に長年仕えてきた亀井静香ら旧亀井グループと事実上訣別した。

平成18年(2006年)9月26日、安倍内閣にて農林水産大臣に就任。

2007年5月28日、議員会館で自殺を図り、意識不明の重体と報道された

内閣府へのNPO申請照会、口利き疑惑
WBEFから内閣府に提出された特定非営利活動法人申請について、松岡の秘書が内閣府に対し審査状況について照会していた問題が発覚している。秘書から照会された事実は内閣府の内部文書にも記録されているが、松岡は衆議院での答弁で照会の事実自体を否定しており、食い違いを見せている。
内閣府にて内部文書が作成されていた旨が報道されると、松岡は一転して発言を翻し、衆議院での答弁が誤りであったことを事実上認めた。
WBEFが認証前にもかかわらず特定非営利活動法人を記載した冊子を配ったり、出資法違反に該当する宣伝活動をしている情報を入手したため、内閣府は2006年6月に不認証の決定を下した。
内閣府の主張
2006年3月28日付の内閣府作成文書には、2006年3月13日に松岡の秘書から審査状況を照会され、担当官が審査中と回答したところ、秘書から「よろしくお願いしたい」と依頼された件が記されている。内閣府市民活動促進課は、当該文書について「課内で内部用に作成した可能性が高いが、いまは確認できない」としている。
2007年1月5日、内閣府特命担当大臣高市早苗は、「昨年3月に松岡事務所の秘書と名乗る者から審査状況の照会を受けて『審査中』と回答した」、「『よろしく』という表現は憶測を招きかねない。不適切だと思う」と発言している。
松岡の主張
2006年9月29日、記者会見にて、松岡は「直接、WBEFとの繋がりが私も私の事務所もございません」、依頼、働きかけ、関係者との接触も「それは全くありません」と発言している。
2006年10月10日、衆議院予算委員会にて、松岡は「この組織とは全く面識もなく、一切の関係もございません」と答弁している。
2007年1月5日、農林水産省で記者会見した松岡は、「秘書の記憶では内閣府に照会したかどうかは確認できないが、(政治資金収支報告書未記載のパーティー券の購入を仲介した)後援者は(松岡)事務所で確認してもらったといっている」と発表し、松岡の事務所が内閣府に照会したことを一転して認めた。衆議院での答弁を事実上訂正する発言である。
松岡の秘書の主張
朝日新聞社が当事者である秘書に取材したところ、「あとで電話する」と返答したものの、その後いっさいの回答がなかったとされる。
朝日新聞社が松岡の選挙事務所に再度質問状を送ったところ、「9月の記者会見と矛盾する事実はありません」と回答があったという。
内閣の見解
2007年1月5日、内閣総理大臣安倍晋三は、「働きかけはなかったという報告を松岡大臣からも内閣府からも受けている」と発言し、「NPO自体が認可されていない。働きかけもなかったということではないだろうか」との考えを示した。
2007年1月5日、内閣官房長官塩崎恭久は総理大臣官邸での記者会見で「働きかけや要請はなかったと聞いている」、「松岡氏自身が説明されるので、そちらの方で聞いていただきたい」等の発言を行っている。
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2007/05/29 13:34 | 未分類

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