過激な楽曲で70年代後半に注目を集めたパンクロックバンド・アナーキーのボーカル・仲野茂(47)を始め、BY―SEXUAL、アンジー、ARB、X―JAPANなど70〜90年代に活躍したロックアーティストのメンバーが実名で総出演する映画「Attitude」が、28日から埼玉・朝霞市でのロケからクランクインする。
監督は、ビジュアル系ロックの元祖と言われた元COLORのボーカル、ダイナマイト・トミー(44)。トミー監督は脚本も手掛ける。
反体制を叫んだパンクロックバンドの多くは、姿を消していったが「ロックとは生きる姿勢だということを描きたかった。この映画はバンド界の負け組の、最初の戦い」(トミー監督)。今秋公開予定。
アナーキー
アルファベットでは「ANARCHY」、漢字では「亜無亜危異」(または「亞無亞危異」)と記す。バンド名の由来はセックス・ピストルズの楽曲「アナーキー・イン・ザ・UK」から名づけられた。
1978年結成。1979年にYAMAHA主催の「EAST WEST」にて優秀バンド賞、最優秀ボーカリスト賞を獲得し、翌1980年にシングル「ノット・サティスファイド」、アルバム『アナーキー』でビクターインビテーションよりデビューした。1986年にはメンバーの不祥事により「THE ROCK BAND」と改名するが、メンバーのソロ活動が活発になり活動休止状態になる。その後、1997年に新メンバーを加え活動再開したが、2001年に活動休止している。
攻撃的な歌詞や楽曲、ファッションなどで日本の最初期のパンク・ロックバンドとして知られる。
1980年にビクターからデビュー。
デビュー当時は全員国鉄の制服を着用し、髪を逆立てたスタイルだった。セックス・ピストルズやThe Clashに代表される早急なリズムと反抗的な歌詞のパンクロックは、当時の中高生を熱狂させた。 デビューアルバム「アナーキー」はオリジナル曲と、クラッシュ、チャック・ベリーの曲に日本語のオリジナルの歌詞を乗せたカバー曲を収録し、10万枚以上の売り上げを達成、一躍スマッシュヒットとなる。
しかし、そのアルバムに収録されていた「東京イズバーニング」という曲(オリジナルはクラッシュの「London Is Burning」)の歌詞が問題となり、1stアルバムは回収、後にその曲を削除して販売されることに。 歌詞は皇室批判を唄っていたため、レコード会社が右翼団体の脅しに近い抗議を受け、回収という措置を取るに至った。
その後も次々とアルバムをリリースしていくが、一向に上達しない(敢えてしない)パンクバンドとは違い、楽曲のレベルがグングン上達していき、レゲエ、ダブ等を取り入れたサウンドも展開し、不動の人気を誇るバンドに成長する。 業界内でもファンは多く、タレントの北野誠、小泉今日子もファンだと公言している。 また、ミュージシャンでは、ボアダムズのEYE、山下達郎もファンを公言しており、山下達郎に至ってはアルバムを発売日に買っていたという。当時はBOØWYやTHE ROOSTERS、THE STREET SLIDERSといったバンドと仲が良かった。BOØWYの氷室京介とギターのシンイチは、映画で競演したり、BOØWYのデビュー当時のキャッチコピーが「エアロスミスとサザンオールスターズとアナーキーを足して割ったバンド」と呼ばれていた過去があったりと因縁深い。しかし、一方で歌詞の内容やサウンド、アクションに対し、ただのクラッシュの模倣であるという批判も多く、同時期に活躍していたパンクバンドTHE STALINの遠藤ミチロウは雑誌等で「あいつらのライブに行くより外でテニスでもしてたほうが健康的でいい」と、アナーキーの批判を行っていた(元々彼はクラッシュのサウンドや新左翼的な歌詞を嫌っている為、それを露骨に模倣したアナーキーを嫌っていたとも見える)。遠藤とは映画「爆裂都市」の出演をめぐり衝突した事もあり、ファンも含め長らくお互いがいがみ合っていたが、数年後に出演したイベントで泉谷しげるの仲裁によって和解。
その後も順調に活動していたが、1986年にギターのマリが傷害事件を起こした為、バンドは活動休止。 その後、残ったメンバーでザ・ロック・バンドと改名し、活動を続けるが、個々の活動が目立ち始め自然と活動休止に。その後1994年にオリジナルメンバーが結集し、一夜限りの再結成ライブを行う(なお、そのライブ音源はCD化されており、東京イズバーニングや、もうひとつの未発表曲タレントロボットも収録している)。 1997年に新メンバーを加え再始動。当時人気のあったデジタルハードコア色を強めたバンドに生まれ変わり3枚のアルバムをリリースするも、2001年に活動休止。 2005年に全アルバムとオリジナルメンバーによる新曲、更に秘蔵映像を収録したDVDをセットにしたBOXが発売された。

監督は、ビジュアル系ロックの元祖と言われた元COLORのボーカル、ダイナマイト・トミー(44)。トミー監督は脚本も手掛ける。
反体制を叫んだパンクロックバンドの多くは、姿を消していったが「ロックとは生きる姿勢だということを描きたかった。この映画はバンド界の負け組の、最初の戦い」(トミー監督)。今秋公開予定。
アナーキー
アルファベットでは「ANARCHY」、漢字では「亜無亜危異」(または「亞無亞危異」)と記す。バンド名の由来はセックス・ピストルズの楽曲「アナーキー・イン・ザ・UK」から名づけられた。
1978年結成。1979年にYAMAHA主催の「EAST WEST」にて優秀バンド賞、最優秀ボーカリスト賞を獲得し、翌1980年にシングル「ノット・サティスファイド」、アルバム『アナーキー』でビクターインビテーションよりデビューした。1986年にはメンバーの不祥事により「THE ROCK BAND」と改名するが、メンバーのソロ活動が活発になり活動休止状態になる。その後、1997年に新メンバーを加え活動再開したが、2001年に活動休止している。
攻撃的な歌詞や楽曲、ファッションなどで日本の最初期のパンク・ロックバンドとして知られる。
1980年にビクターからデビュー。
デビュー当時は全員国鉄の制服を着用し、髪を逆立てたスタイルだった。セックス・ピストルズやThe Clashに代表される早急なリズムと反抗的な歌詞のパンクロックは、当時の中高生を熱狂させた。 デビューアルバム「アナーキー」はオリジナル曲と、クラッシュ、チャック・ベリーの曲に日本語のオリジナルの歌詞を乗せたカバー曲を収録し、10万枚以上の売り上げを達成、一躍スマッシュヒットとなる。
しかし、そのアルバムに収録されていた「東京イズバーニング」という曲(オリジナルはクラッシュの「London Is Burning」)の歌詞が問題となり、1stアルバムは回収、後にその曲を削除して販売されることに。 歌詞は皇室批判を唄っていたため、レコード会社が右翼団体の脅しに近い抗議を受け、回収という措置を取るに至った。
その後も次々とアルバムをリリースしていくが、一向に上達しない(敢えてしない)パンクバンドとは違い、楽曲のレベルがグングン上達していき、レゲエ、ダブ等を取り入れたサウンドも展開し、不動の人気を誇るバンドに成長する。 業界内でもファンは多く、タレントの北野誠、小泉今日子もファンだと公言している。 また、ミュージシャンでは、ボアダムズのEYE、山下達郎もファンを公言しており、山下達郎に至ってはアルバムを発売日に買っていたという。当時はBOØWYやTHE ROOSTERS、THE STREET SLIDERSといったバンドと仲が良かった。BOØWYの氷室京介とギターのシンイチは、映画で競演したり、BOØWYのデビュー当時のキャッチコピーが「エアロスミスとサザンオールスターズとアナーキーを足して割ったバンド」と呼ばれていた過去があったりと因縁深い。しかし、一方で歌詞の内容やサウンド、アクションに対し、ただのクラッシュの模倣であるという批判も多く、同時期に活躍していたパンクバンドTHE STALINの遠藤ミチロウは雑誌等で「あいつらのライブに行くより外でテニスでもしてたほうが健康的でいい」と、アナーキーの批判を行っていた(元々彼はクラッシュのサウンドや新左翼的な歌詞を嫌っている為、それを露骨に模倣したアナーキーを嫌っていたとも見える)。遠藤とは映画「爆裂都市」の出演をめぐり衝突した事もあり、ファンも含め長らくお互いがいがみ合っていたが、数年後に出演したイベントで泉谷しげるの仲裁によって和解。
その後も順調に活動していたが、1986年にギターのマリが傷害事件を起こした為、バンドは活動休止。 その後、残ったメンバーでザ・ロック・バンドと改名し、活動を続けるが、個々の活動が目立ち始め自然と活動休止に。その後1994年にオリジナルメンバーが結集し、一夜限りの再結成ライブを行う(なお、そのライブ音源はCD化されており、東京イズバーニングや、もうひとつの未発表曲タレントロボットも収録している)。 1997年に新メンバーを加え再始動。当時人気のあったデジタルハードコア色を強めたバンドに生まれ変わり3枚のアルバムをリリースするも、2001年に活動休止。 2005年に全アルバムとオリジナルメンバーによる新曲、更に秘蔵映像を収録したDVDをセットにしたBOXが発売された。
PR