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2025/05/14 20:39 |
キョロちゃん
元々テレビアニメ『宇宙少年ソラン』のチャッピーをマスコットとした「チョコレートボール」が発売されていた。しかし売り上げが伸びなかったこともあり、同アニメの放映終了と同時にマスコットをオリジナルに、商品名も「チョコボール」に変更することとなった。

1967年に登場したが、当時はあまり人気が出なかった。一般的に人気があったのは、おまけの「まんがのカンヅメ」「おもちゃのカンヅメ」の方だった。有名になったのは1987年にキョロちゃん主演のコマーシャルが放送されて以降である。とんねるずの歌うCMソングも一世を風靡した。1991年にはキョロちゃんのぬいぐるみが発売され、チョコボールの菓子を超える売上を記録した。

1999年より、キョロちゃんを主人公としたアニメ『キョロちゃん』が放送された。さらに、これのコミカライズ版が「ちゃお」と別冊コロコロコミック(共に小学館)で連載されたことがある。

2003年以降、森永製菓主催で毎年『キョロちゃん夢ファンタジーシアター』というイベントが開催されている。

またJR東日本・田町駅構内には、キョロちゃんグッズを中心に森永製品を扱うキヨスクである『キョロスク』が設置されている。これは森永製菓の本社が田町駅前にあることから、JR東日本と森永製菓のタイアップにより設置されたもの。

2006年に横浜市、東京都、盛岡市、仙台市、川崎市、千葉市、大阪市、福岡市で発行されている「防災のしおり」にキョロちゃんが起用された。

テレビアニメ
1999年 - 2001年にテレビ東京放映。キョロちゃんというキャラクターを使いつつ、ギャグだけでなく寓話的な話やスラップスティックなコメディなど、いわば何でもありのバラエティに富んだ作品となった。 余談だがチョコボールのマスコットでありながら、甘くない話しが有ることから森永の懐の広さと番組自体の面白さに魅せられた少数のファンもいる。

キャスト
キョロちゃん:伊東みやこ
パチクリ:本田貴子
クリン:上村貴子
ミッケン:間宮くるみ
マスカーラ:金丸日向子
グリグリ警部:森田順平
ニラミ警視:塩沢兼人
マユちゃん:田中理恵
ナレーション:納谷六朗
いさ子:さねよしいさ子

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2007/09/11 21:57 | 日記
雷の被害、雷が落ちる場所
雷の被害は、直撃雷、側撃雷、誘導雷、侵入雷等に大別される。

感電などによる人的な被害。雷雲発生時に野外でのスポーツ(ゴルフなど)や作業中に雷撃を受け、命を落とすことが多い。
変電施設などへの落雷による停電。
送電線への誘導雷に伴う、異常電流の発生による電気機器の損傷。雷雲発生時には電気機器をコンセントから抜くように記されているが、余り実施されていない。
上空を飛行中の飛行機に落雷し、機体に穴が開いたことがある。
ただし、雷は大気中に発生する現象としては、必ずしも大きな大気の撹乱を伴わないため、詳細な予報は困難であり、天気予報などにおいても予測の範囲内で注意を呼びかける(雷注意報)などにとどまっている。電力会社では、独自に雷雲や落雷の観測システムを持っている。

なお落雷の特性として、高いところ・先の細いところに落ちやすいことがわかっている。このことを活かして、適切な位置に避雷針を設置して落雷を誘導するという処置がとられる。建築基準法33条では、「高さ20メートルをこえる建築物には、有効に避雷設備を設けなければならない。ただし、周囲の状況によつて安全上支障がない場合においては、この限りでない。」としている。(建築基準法施行令129条の中にも同様の項目がある)都内に雷雲が発生した場合、都心で最も高い東京タワーに落雷することも多いが、周辺より高さの低い国会議事堂や、高層ビルの避雷針ではなく建物の角に落雷することもある。


落雷から逃れる
最も確実なのは、雷注意報が出ているときは野外に出ないことである。出ざるを得ない場合、または出てしまった場合は、遠くで雷雲が見えたら室内(あるいは自動車内など)に逃げ込む。雷雲は速く発達するからである。雷鳴が聞えてからでは遅い。

45度以上に見上げる高さの木がある位置は安全と言われるが、幹や枝などに2m以上近づくと木に落ちた雷に感電する可能性があり危険である。

雷が近い場合、走って逃げ切れるかどうかは運次第である(無論自分への落雷から逃げ切ることは不可能である)。逃げ切ったとしても落ちた場所から近過ぎると雷が曲がってくる。多少離れていても衝撃波を受ける。ある程度遠くにいなければ、地面に落ちた雷がそこを伝ってくる。このとき、足を開いていると地面から体を伝ってくるため、足は閉じると良いとされている。


雷が落ちる場所・人的被害を受けるシチュエーション
雷は大抵高いもの、尖ったものに落ちるが、そういうものが傍にない場合はどこにでも落ちる。事実、海やサッカースタジアムのフィールドに落ちている
金属製品を身につけているかどうかは関係ない
家や送電線への落雷の場合、電化製品や電気を通すものを介して感電する
公園などにある屋根付きの、壁のない簡単な休憩所に落ちた場合、柱に近い位置にいると屋根から伝っていた雷が飛び移って感電する

2007/09/11 21:50 | 日記
フィリピンの歴史、民族
最初は黒い肌のネグリト人が、続いて南から来たマレー系の人々がフィリピン一帯に広がった。スペイン人来航直前の頃は中国や東南アジアとの交易で栄えイスラム教が広まったが、各領主は統一した国家を作るまでには至らなかった。1521年、セブ島でマガリャンイス(マゼラン)殺害。1565年にはスペインのミゲル・ロペス・デ・レガスピがセブ島を征服したのを皮切りに、徐々に植民地の範囲を広げ、1571年にはマニラ市を含む諸島の大部分がスペインの領土となった。

植民地時代にローマ・カトリックへの改宗が進み、領民を労役に使う大地主たちが地位を確立し、民衆の多くはその労働者となった。支配者であるスペインに対する反抗は幾度となく繰り返されたが、いずれも規模の小さな局地的なものであり容易に鎮圧されてしまった。独立運動が本格的になるのは、19世紀末、フィリピン独立の父ホセ・リサールの活躍によるところが大きい。1898年、米西戦争勃発により、アメリカ合衆国はエミリオ・アギナルドらの独立運動を利用するため支援。6月12日、独立宣言がなされる。

しかし、アメリカは、スペインに勝利した後、フィリピンを植民地とする。その後フィリピン議会議員M・ケソンの尽力で、米国議会は1916年ジョーンズ法でフィリピンに自治を認めた。1934年米国議会はタイディングス・マクダフィー法で十年後の完全独立を認め、フィリピン議会もこれを承諾しフィリピン自治領に移行した。第二次世界大戦中に日本が占領、1943年にラウレルを大統領として独立(第二共和国)。1945年の日本敗戦に伴い米領に復帰。1946年、独立(第三共和国)。独立後もアメリカの影響が強く、米軍に基地を提供したが、米軍のアジア駐留軍縮小およびピナトゥボ火山の噴火にともなう基地機能の低下により、米軍はフィリピンから撤退した。戦後はマルコス政権が長く続いたが、民衆の不満があり政権は倒れた。

住民は、マレー系が大部分(全体の95%程度)である。その他、中国系、スペイン人との混血、山岳地帯のネグリト、ボントック、イフガオ、ミンダナオ島などの南部在住のモロ(イスラム教徒)などがいる。

宗教は、ローマ・カトリックが83%、プロテスタントが9%、イスラム教が5%、その他仏教などが3%である。

フィリピン華人の大部分は中国福建省南部の出身である。血統からいえば、約1千万人のフィリピン人は中国系であるが、明清時代からの古い華人が多く、現地化や混血が進んでいる。元大統領コラソン・アキノも福建華人の子孫である。現在でも中国語を話し、中国の習慣になれている者は60万人から80万人程度と推定される。

言語
国語はフィリピノ語、公用語はフィリピノ語と英語であるが、母語として使われる言語は、合計172に及ぶ。これらは、すべてアウストロネシア語族に分類されるが、ほとんど意志の疎通が図れないほどの違いがある。他に使われる言語語には中国語(北京語や福建語)、スペイン植民地の歴史を反映して チャバカノ語(スペイン語とそのクレオール言語)、イスラム教徒の間で使われるアラビア語がある。

アメリカの植民地であったこともあり英語がかなり普及しているが、ナショナリズムの高まりと共に政府はフィリピンが一体となって発展していくためには国内全域で通用するフィリピンの共通言語が必要であるとし、タガログ語を基本としたフィリピノ語を作り普及に務めてきた。現行の1987年憲法は、フィリピノ語を国語と定めるとともに、「フィリピンの公用語はフィリピノ語と、法律による別の定めがあるまでは英語である。」と規定し、将来はフィリピノ語だけを唯一の公用語とすることを宣言した。

2007/09/11 12:55 | 日記
オーバーニーソックス
オーバーニーソックスは女性の脚を極端にまで長く見せるための最大のアイテム。ミニスカートやキュロットスカートなどと相性がよいことから、漫画(アニメも含む)・コンピューターゲームなどの美少女キャラクターがよく着用している。特に漫画では「名探偵コナン」の毛利蘭、「らんま1/2」の天道あかね(サイハイソックス着用の時もある)、「幽☆遊☆白書」のぼたんなどが時折着用している。
芸能人では眞鍋かをり(2006年から着用)、揚田・あき、羽田惠理香、森口博子、安室奈美恵、市井由理などがよく着用していることで有名。特に揚田は「オーバーニーソックスの女王」とまで言われている。
制服と合わせて穿く女性もいるが、現実の世界ではスカートを短くさせがちになる恐れがあることや、体育などでずり落ちやすいことなどの理由から、オーバーニーソックスが多くの学校で禁止されている。そのため、女性たちは主に私服のミニスカートやキュロットスカートなどと組み合わせている。上記のような不便点があることからタイツやストッキングの方が好まれており、「キャラクターのオーバーニーソックス姿は何度も見たことがあるが、(コスプレなどの特殊な場合を除いて)現実にオーバーニーソックスを履いている人をあまり見たことがない」という人が多いのが現状である。
但し近年、いわゆる『萌え』ブームのためかどうかは定かではないが、徐々に女子高生をはじめ、着用する女性が増えつつある。また、ニーソックスとよく似た外観を持つノンガーターストッキングについても、同様の理由からか徐々に着用者を増やしつつある。入手が非常に困難なサイハイソックスの代わりとして用いられることもある。

男子の着用例としては、近畿大学付属小学校の男子児童の制服が1980年代まで、紺色半ズボンの下に着たガーターベルトで薄手のニーソックスを太ももで釣り下げて着用する形で存在していた事実がある。


2007/09/11 12:46 | 日記
南米原産のマテ茶、飲み方
伝統的な飲み方は茶器に容量の1/2ないし3/4程度の茶葉を直接入れ、水または摂氏70~80度程度のお湯を注ぐ。ここに先端に茶漉しがついた専用のストローを差し込み抽出液を飲む。容器はヒョウタン製のものはマテ、クイアまたはポロンゴなどといい、木製や角製のものはグァンパ(グァンポ)と呼ばれる。またストローはボンビーリャと呼ばれる金属製で先端が膨らみ、茶葉を漉しとるための無数の小穴の開いている。

近年では、ティーポットで淹れて抽出液のみをカップに注いで飲む場合も多い。ティーバックも普及している。しかし、マテ茶の淹れ方としては伝統的な方法が最も理にかなっている。ボンビーリャで飲む場合、細かい茶葉を漉しきれずに抽出液と一緒に口に入ってくる。このため茶葉の一部を食べることになり、マテ茶の栄養成分を最も効率よく取り込むことが可能となっている。湯は摂氏90度より熱いと金属製のストローでは唇が熱くてとても飲むことは出来ない。

気温が高い地域では水出しでマテ茶を飲むことが多く、パラグアイではマテ茶に薬草やハーブを混ぜて水出ししたテレレと呼ばれる飲み方が一般的である。(単に「マテ茶」というと暖かいものを指し、テレレと区別している人もいる。)

茶葉に湯を注ぎそのまま飲むのが伝統的な方法であるが、現地でも砂糖を入れ甘みを加える飲み方が一般的になっている。また、スパイスや薬草・ハーブ等を混ぜて風味を変えたり、牛乳を加える飲み方も広く行われている。

パラグアイ・アルゼンチン・ウルグアイ・ブラジル南部では、一組の茶器を使い複数人がマテ茶を回し飲みする習慣がある。ホスト役が茶器とボンビーリャを使いマテ茶をたて、一煎めは自分で飲む。二煎目からは順番に参加者に回していき、各人が満足するまで何杯でも回し続ける。客はホストから茶器を受け取り自分ですべて飲んでホストに返す。客から別の客に直接茶器を渡すことはせず、受け取った茶は自分ですべて飲みきりホストに返すのが作法である。茶器をホストに返すときにGracias(ありがとう)と言うと「もう満足しました」という意味になるので次からは自分に茶は回ってこない。客から茶器を戻されたホストは湯を注ぎ、場合によってはボンビーリャの差している位置を調整したり茶葉を追加して味を調えた上で次の客に渡す。ボンビーリャの位置を動かすと茶漉し部分が目詰まりしたり、味の濃さが変化するので、客は勝手にボンビーリャを動かしてはならない。

アルゼンチン・ウルグアイ・ブラジル南部では伝統的な茶器は、ひょうたんで出来ている。マテとは、現地の言葉でひょうたんを意味し、マテ茶の名前はこのカップに由来する。ひょうたん以外では牛の角や、パロサントという木で作られたものが一般的である。茶器の表面や補強のために付けられる口金、すわりを良くする為の台座には彫刻・彫金などの意匠が施される場合が多く工芸品的な美しさを持っている。茶器は陶器やガラス製のものも使われるが、多孔質の天然材料製でしばらく使った茶器でないと本来の味は出ないとされる。

ボンビーリャの材料は古くは葦などの植物の茎を利用したが、現在は金属(銀・洋銀・ステンレスなど)のものがほとんどである。

アルゼンチン・ウルグアイで使われる茶器はひょうたんの実の先端の膨らんだ部分を使い、補強された口は狭くなっているため、ボンビーリャの先の茶漉し部分は細長い。ブラジル南部で使われるそれはひょうたんの実の膨らんだ部分で切ってあり、その部分を口にするため、専用の架台なしでは立てることが出来ない。またパラグアイで使われる茶器は牛角製にしろ木製にしろ口が広い。そのためパラグアイやブラジルで購入したボンビーリャはアルゼンチン製の茶器にはほとんど使えない。

2007/09/10 21:36 | 日記

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