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2026/03/23 21:29 |
お茶漬けにまつわる儀礼
お茶漬けは京都弁でぶぶづけとも呼ばれるが、京都で他人の家を訪問したときに「ぶぶづけでもいかがどすか」と勧められたり出されたりした場合、それはたいていの場合において暗に帰宅を勧めるものである。勧められた場合は丁重に断って帰宅するか、実際に出された場合には食べ終わったら退散することが好ましいとされている。この場合はお代わりを要求したりはしないのが無難であり、また常識とされる。

日本では一般に麺類などを食事ですする際は、音を立てても無作法とはされない。同じく汁物(味噌汁など)も、音を立てても問題とされない。しかし粥と茶漬けは、音を立ててすするとマナーに反する場合もあるので注意が必要である。汁と固形物の比率が、他の汁物料理と比較して、固形物の割合が高いためであろうと考えられる。これらでは椀を傾け、箸の先端で大きくあけた口の中に適量を流し込んで咀嚼、飲み下す。なお作法にうるさい向きでは、箸は余り汁に深く浸す事も無作法だと云うことである。

ただ、あまり気取らない食べ方である場合も多い。食品メーカーの永谷園は1990年代末より、お茶漬けを豪快に食べるコマーシャルを展開、美男の広告代理店社員や公募された一般の消費者等による「フーフー、ジュルジュル、ハフハフ、モシャモシャ」と音を強調したシリーズをテレビ放映、ラジオでも音のみの広告を展開した(余談ではあるが、永谷園は同CMの成功により、チャーハンなどのCMでも同様の効果が得られる内容のものを放映している)。同シリーズは、音が汚らしいという不評も聞かれはしたが、それ以上に視聴者に「あ、なんだか食べたくなっちゃった」という気分を催させる事に成功したともいわれる。この辺りは賛否両論が激しいため、意見が別れる所でもある。

明治の文豪、森鴎外は、饅頭茶漬けが好物だった。饅頭を四つにわけて、ご飯の上に載せ、煎茶を掛けて食べたという。
戦国時代の武将織田信長などは出陣の前に湯漬けを食べたという話がある。
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2007/09/13 13:17 | 日記
江戸前寿司が成立するための条件
江戸前寿司が成立するためには、酢、江戸前海で捕れる魚、醤油、ワサビが必要である。

握り鮓成立以前に早鮓と呼ばれる鮓が成立していた。この起源は明確ではなく、一説に延宝年間(1673~1680)幕府御典医松本善甫が考案したおじゃれずしが嚆矢ともされるが、乳酸発酵を待たず酢を使う鮓の原型は安土桃山時代に上方で成立していたと考えられる。更に、握り鮓成立以前の江戸中期には江戸市中に鮓屋台が出現し、錦絵等にも描かれる程早鮓は一般的なものになっていた。

酢そのものは古代に中国から伝来していたが、室町時代に料理の調味料として一般に使用されるようになり、酢の生産が拡大して広く普及するのは江戸時代である。酢の普及が鮓普及の前提条件となったわけである。握り鮨の酢として重要だったのは半田の中野家(現在の中埜家)で醸造された粕酢「山吹」であった。この酢は酒粕から作られた赤酢で旨味もあり、両国の與兵衛鮓でも昭和初期に店を閉める迄この酢を使っていた。従来の酢は酒を造り更に酢酸発酵させるためコストが掛かったが、酒粕を原料とする「山吹」は酢の製造コスト削減に寄与し、早鮓普及の一因となった。最近ミツカンから復刻商品が発売されている。

握り鮓には江戸前海で捕れる魚が必須だが、冷蔵庫のなかった当時、生のままでは鮓種にせず、煮る(穴子、蛤、白魚、車蝦、等)、酢で絞める(小鰭、鯵、等)、醤油に漬ける(鮪)等の加工が加えられていた。魚だけでなく玉子焼きや、干瓢等も用いられており、鮓種に関しては現代江戸前鮨より寧ろ現代上方鮓に近い。因みに生魚が鮨種の主役の地位に躍り出るのは冷蔵設備が発達してから。尚、江戸前とは江戸前海で捕れる鰻に限定して用いられていたが江戸前海の魚にも拡大して用いられるようになった。

日本人は古くから生の魚を食べてきたようだが、刺身という言葉が登場するのは室町時代。江戸時代に醤油の大量生産が始まり、刺身に醤油を付けて食べるようになった。但し、江戸末期に至る迄江戸では鯛や鮃等の白身魚は煎り酒で食べるのが普通であった。醤油は紀州等から製法が伝えられた後独自の改良が加えられ野田や銚子で盛んに生産されていた。

ワサビは山野に自生する植物で、古くから調味料として用いられているが、江戸時代に駿河で栽培が始まり、薬味としてわさびが欠かせないものとなる。握り鮨にわさびを挟む工夫をしたのも華屋與兵衛といわれる。天保の改革で與兵衛鮓は贅沢過ぎるとして與兵衛等は手鎖の刑に処せられワサビ使用禁止となった。この禁制は幕末迄続く。

尚、鮪が用いられるようになったのは天保年間に江戸近郊で鮪が大量に捕れて以来。與兵衛鮓では昭和の初期に店を閉める迄当時下魚とされていた鮪は用いなかった。今日「鮨種の王」とされる鮪は主に屋台店で用いれていたに過ぎない。因みに当時最も高価な鮨種は玉子焼きで他の鮨種の2倍した。

守貞謾稿によれば文政末には大阪にも伝わり嘉永初めには大阪諸所に広まった。これが第一期。

明治後も江戸前寿司は東京を中心に作られていたが、関東大震災で東京の寿司職人が全国に散らばり、江戸前の寿司屋が各地に広まった。これが第二期。

戦中・戦後の食糧統制で、自由な鮓店営業が出来なくなった。米一合を持ち込むと手間賃と引き換えに握り鮨10個に加工するという委託加工制によって巷の鮓屋が息を吹き返した。この際、握り鮨だけが許可されたことから握り鮨が全国を席巻することとなった。これが第三期。

食糧統制がなくなって以降江戸前と称する鮓が不動の地位を獲得するに至った最大の要因として、冷蔵・冷凍技術の発達と流通の発展が挙げられる。東京では既に内店の流れを汲む高級店は昭和初期に絶滅し屋台店の流れを汲む店だけになっていた。鮪は明治時代には人気の鮨種になっており、鮪だけでなく鯛や鮃等も生で供するようになっていったと考えられる。冷蔵・冷凍技術と流通の発展により、従来は火を通していた烏賊や鮑が生で使われるようになったし、酢絞めしていた鯵や細魚も生もしくは酢洗いで供するようになった。時代を追うに従って世界中の海産物を生で鮨種に利用出来るようになり、回転寿司等の廉価店が爆発的に普及した。今日では伝統的な鮓文化を誇った京大阪でも江戸前握り鮨が鮓の標準たる地位を獲得している。江戸前握り鮨普及は必ずしも「東京から地方へ」といった一方通行ではない。舎利に砂糖を入れて保湿効果を高めたり、出汁巻きを採用したりと、関西流儀が全国標準になったものもある。烏賊の包丁捌きや塩の利用等博多流儀も全国標準になりつつある。更にはsushiが世界遍く普及しつつある。これが第四期。

本来江戸前とされてきた鮨から一歩も二歩も進化、或いは変化したものになったことは否めない。創業者を自認した者から見たら鮪なんて屋台店でしか使わない下魚に過ぎなかったし、戦前の江戸前鮨屋から見たら烏賊や鯵を生のまま使うなんて手抜きに過ぎなかった。甘い舎利や海外経由で入ってきた「裏巻き」に眉を顰める向きも少なくない。

2007/09/13 13:07 | 未分類
最新鋭科学が生み出したパワードスーツ
電動アクチュエーターや人工筋肉、エアコンプレッサーの圧搾空気とゴム袋製などの動力を用いて、重量物を持ち上げる作業を支援するための装着型の装置の俗称。またテコの原理を応用した、動力を持たない物も含む場合がある。

日本語では直訳で「強化服」。登場作品によって色々な作動方式や機能、名称を持つ。1968年、現実に初めて強化服として試作されたジェネラル・エレクトリック社の"Hardyman"が外骨格型であったためか、「強化外骨格」をパワードスーツの一般的な日本語訳と思い込んでいる人もいるが、これは全くの誤りである。

実用化
装着者の動作に従って動作することによって、複雑な操縦をする必要がなくなり、現在において実用化が進んでいる物では、重量物の運搬や介護現場で非力な看護者が介護者を抱きかかえて運べるようになるという活躍が期待されており、兵器としてではなく産業・民生分野での可能性が発展している。

屋外における戦場では、雨・風・埃・熱といった過酷な環境で、衝撃などの過度な使用にも耐えなければならない。それよりは限られた環境において、限られた機能だけに特化する方が、実現しやすいという事なのだろう。


また、近年では筋電位や神経電位の測定に関する、生化学・神経生理学分野で目覚しい発展が進んでいる事から、四肢マヒや筋力低下で歩行困難な人が、自律歩行を行える様に成るというパワーアシスト型のロボットギプスの開発・製品化も進んでおり、将来的には車椅子利用者の大半が、自分で望むままに行動できると考える人もある程である。

なお、マサチューセッツ工科大学(MIT)では、米軍と共同でナノテクノロジーを応用した、生物兵器をも防ぎ、負傷時には患部を固定するギプスにもなるパワードスーツを開発中との事である。カリフォルニア大学バークレー校では米国防総省防衛高等研究計画局DARPAより資金提供を受け、下肢外骨格を開発するBLEEXプロジェクトを進行させている。

2007/09/13 13:03 | 日記
女拓
魚拓を人間の女性で行うものである。魚拓には直接法と間接方があるが、女拓はもっぱら直接法が好まれる。全身に墨やペンキを塗り大きな和紙や布を押し当てるか、それらの上に横たわることで、写し取る。手軽に部分だけで行う場合もある。モノクロコピー機を使った場合は、出来上がりの見た目が似ているので、拓と命名されるが、本来別モノである。 唇でやったばあいは、キスマークと呼ばれ、唇拓とは言わない。

芸術家イブ・クラインが行った人体測定が有名。日本では女芸人の雛形あきこがプロモーションの手段として、首から下での水着着用で女拓を取り、タオルケットとして複製し、販売された。他、CMタレントの小泉今日子が結婚前に、人体計測の真似事をやり、その様子を撮影した写真を写真集に掲載したこともある。 アダルトビデオでは、タレントをペンキでカラフルに塗りたくり、シーツを押し当て、実物のシーツを懸賞商品とした例もある。女性に墨やペンキを塗りたくることが目的の場合は女拓とは呼ばず、ボディーペイントの一種と見なす。

NHKの番組にんげんドキュメントの2005年7月8日放送の「オリジナルを突っ走れ~現代美術家 嶋本昭三」において、現代美術家・嶋本昭三による女拓の映像が流れた。モデルは成人女性一人と、母親と幼い娘の二人組。母子が全裸で抱き合う姿が写しとられた。

その際、モデルとなった女性の乳首がそのまま流れたこと、そして何よりも幼女の裸が公開されたことが、インターネット上(主に2ちゃんねる)を中心に話題になった。

7月14日深夜の再放送では大幅に編集が加えられ、女性の乳首はトリミングされ、幼女の裸はバッサリカットされてしまった。これに対しては、ネット上で阿鼻叫喚が観測された他、「芸術として放送したのならこのような改変は不要であるはず」「こんなNHKはやっぱりいらない!」。との批判を受けている。

2007/09/13 13:00 | 未分類
皆藤 愛子
日本のお天気キャスター、タレント(フリーアナウンサー)。千葉県出身。身長158cm。血液型はB型。セントフォース所属。現在は早稲田大学に在学中である。

経歴
渋谷教育学園幕張中学校・高等学校卒業。
早稲田大学第一文学部異文化コミュニケーション論専攻。
同大学のフラメンコサークルに1年間所属。
2004年、現在の芸能事務所に所属していた友人からの紹介でセントフォース入りする。

人物
特技は書道。
趣味はフラメンコ、バイオリン、音楽鑑賞など。
メガネを多く集めており、めざましテレビで共演する高島彩とお揃いのものもある(ちなみに二人は同じみずがめ座である)。
ハローキティが好きで、各地の限定グッズを集めている。またハローキティだけでなく、いろいろとキャラクターグッズを集めている。
好きなスポーツは、やるのはバドミントンで見るのは野球。特定球団のファンではない。
食べることが好き。好きな食べ物は焼肉、牛丼、アイスクリーム、苺、チーズなど。嫌いな食べ物はなし。
本人曰く、モットーは“日々楽しく!”である。
特徴:急なアドリブや咄嗟に判断することがあまり得意でないようである。

2004年 - 現在の芸能事務所に所属していた友人からの紹介でセントフォース入りする。

2005年

2月4日 - めざましテレビ次期お天気キャスターの担当が内定。
4月1日 - フジテレビ系情報番組 めざましテレビの4代目お天気キャスターに就任。現在も出演中。
4月4日 - ビッグコミックスピリッツで雑誌デビューし、同誌の表紙 & 巻頭グラビアを飾る。
7月28日 - 女優としてのデビュー作「電車男」でテレビドラマ初出演を果たす。(2話で約1分間の出演)
8月1日 - めざましどようびのお天気キャスター小林麻央とともに、前お天気キャスター高樹千佳子の代から引き続き行われているめざまし体操の集大成として全国行脚する。皆藤は、めざましテレビの31日を除く放送日に南は鹿児島県から北は北海道まで1道21県の各地で「めざまし体操」と「天気予報」を伝える。

2006年

7月24日 - めざましどようびのお天気キャスター小林麻央とともに、リニューアルした新めざまし体操(サンバ形式)を広めるため、体操キャラバンを実施。各地から「めざまし体操」と「天気予報」を伝える。

永井美奈子、福島弓子、有賀さつきなどを輩出した東京アナウンスセミナーの2006年度(6期)生。
幼い頃からアナウンサーに憧れていた。
小学校時代は、放送委員会に入っていた。また、この頃から「めざましテレビ」を見ていたらしい。
2005年のFNS25時間テレビめざましテレビSPで立体映像アトラクション(専用のメガネをかけることで映像が立体化する)の恐怖体験コーナーを体験することになった。しかし、映像が流れ出すと怖がるどころか楽しそうに笑みをこぼしていた。VTRを見ていた大塚範一がたずねたところ、「こういうのが好きなんで、あまり、怖くなかった」と答えた。
2005年 お台場冒険王のめざましランドに出店している「めざましカフェ」では優しく包んでLovely クレープ (850円)を発売。
2006年、お台場冒険王のめざましファミリーZONEに出店した「39(サンキュー)カフェ」ではもっと愛してマンゴーフラッペ (800円)を発売。初日の売り上げ数では3位だった。(2006年7月16日、「FNS26時間テレビめざましテレビ クイズSP」)
「もしもツアーズ」のもしツアルーレットや「平成教育委員会2005夏休みスペシャル」の特別授業(この回は2問)を合わせた食べ物を賭けたコーナーに全敗している。また後者の番組で行われた算数の時間(この回は1問のみ)では正解者4人に入った。その中で唯一、途中の過程も示した解答を出していたのにも関わらず優等生賞を獲得できなかった。(恒例のじゃんけんは行われず、正解をいち早く書いた矢口真里が獲得した。)
携帯サイトのブログコーナーでは、めざましテレビで使われたものを利用してみることがある。妖精の姿(フェアリーあい)やサンタの姿(愛サンタ)になったり、カエルの着ぐるみを着たりするなど。

2007/09/13 12:56 | 芸能

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