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2025/05/01 14:27 |
ガラパゴス諸島
火山活動(ホットスポットの活動)で出来た島で、各大陸とは隔絶された独自の進化を遂げた固有種が多く存在する。天敵になるような大型の陸棲哺乳類が存在しない。

ガラパゴスゾウガメ - 大型のリクガメ。甲羅がドーム型のものと鞍型のものに分けられる。島ごとに多くの亜種に分かれるがそれを独立種とする説もある。
ガラパゴスペンギン - 世界で2番目に小さく、唯一の熱帯性ペンギン。フンボルト海流から流れる魚類を餌にしているが、近年のエルニーニョ現象により餌が減り、個体数も減少した。
ガラパゴスリクイグアナ - サンタフェ島にはConolophus pallidusが、その他の島にはConolophus subcristatusが生息していたが、既に絶滅した島もある。主にウチワサボテンを食べるが、移入されたヤギによって食料が奪われ、存続が危ぶまれている。
ウミイグアナ - 海岸に生息し、海草などを食べる。海棲のイグアナである点で異端。
ヨウガントカゲ - 各島に1種、全部で7種が生息する。
ガラパゴスアシカ
ガラパゴスオットセイ

チャールズ・ダーウィンが測量船ビーグル号に乗船し進化論の着想を得ることになった航海でこの島にも訪れていることは有名である。ダーウィンは航海の後半、1835年9月から10月までおよそ一ヶ月間滞在した。その間ビーグル号は初めて諸島の地理調査を精密に行った。当時の記録は、彼の『ビーグル号航海記』で読むことが出来る。ガラパゴスの島々で観察した動物相は、南米での調査の経験と共に、進化論のヒントとなった。航海でもっとも印象に残ったことの一つとして、ガラパゴス諸島の動植物が南米のものによく似ていることを挙げている。そして諸島滞在時には気づいていなかったが、イギリスに帰国後、生物の種とは当時信じられていたように不変な物ではなく、変化しうるのではないかと考えるようになった。島には彼を記念した研究所「チャールズ・ダーウィン研究所」が1964年に開設され、現在でも、野生生物の保護・調査に当たっている。

また、このような経過から、特異な生物相を持つ島嶼のことを「○○のガラパゴス」と呼ぶことがある。日本では琉球列島や小笠原諸島がそう呼ばれるが、琉球列島はかつて大陸や日本列島と陸続きで、そこから侵入した生物相が元になっている点、海洋島へ漂着した生物を起源とするガラパゴスのそれとは性格が異なる。したがって、その意味では小笠原をこう呼ぶ方が理にかなっていると言える。

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2007/09/23 15:11 | 未分類
デビル メイ クライ 4
本作は、スタイリッシュなアクションを駆使して個性的な動きを見せる悪魔たちを退治していく人気アクションゲーム『デビル メイ クライ』シリーズの最新作。ダンテの母に酷似した容姿を持つ悪魔トリッシュと、美貌の女デビルハンター、レディ。過去のシリーズでヒロインを務めたふたりの美女が、さらに美しさを増して最新作に登場することが判明ッ! あるときは行く手を阻む敵として、またあるときは目的を共有する協力者としてダンテの前に現れたヒロインたち。紆余曲折を経て、ダンテが営む便利屋“デビル メイ クライ”に集うようになった。彼女たちは、新主人公ネロとダンテの死闘で幕を開ける本作の物語でどのような役割を担うのか? そして、ダンテが行った魔剣教団襲撃事件との関係は……!?

冷たく妖艶なダンテのパートナー トリッシュ

ダンテの母にウリふたつの外見を持つ悪魔で、シリーズ第1作のヒロイン。かつては魔帝の部下としてダンテを陥れるために暗躍していたが、命を救われたことで改心。以後はダンテの相棒となっている。少々気まぐれなところがあり、ダンテのもとを離れていた時期もあったらしい。

あらゆる悪魔を憎む女デビルハンター レディ

悪魔狩りを生業とする人間の女性。シリーズ第3作でダンテと出会い、さまざまな経緯を経て友人のような関係となった。自分では手に負えない仕事をダンテに押しつけ、莫大な仲介料を請求したりする。母の名を冠したバズーカ“カリーナ=アン”を始め、多彩な銃火器を駆使して戦う。

カプコン
対応機種 プレイステーション3/Xbox 360
発売日 2008年初頭発売予定
価格 価格未定
ジャンル アクション / ファンタジー

2007/09/23 15:03 | ゲーム
少林寺激怒!少林寺は忍者に負けていない
中国武道「少林拳」発祥の地として知られる河南省の少林寺が「忍者の末裔(まつえい)とされる日本人武道家に道場破りされた」とする書き込みが、中国の主要ウェブサイトに掲載され、大騒動に発展。1500年もの歴史と威信を傷つけられた少林寺側は「悪質なデマ」と否定の声明を出して沈静化をはかったが、“少林寺VS忍者”論争は日中問題のあらたな火種になるかもしれない。

少林寺を激怒させた書き込みは8月25日、愛国主義的論調が目立つ中国のサイト「鉄血社区」に掲載。それによると…。

少林寺に乗り込んだのは“伊賀忍者の末裔”山本義清なる人物。30年間にわたり武道を修練し、日本で道場破りを繰り返してきた。あるとき、リー・リンチェイ(現ジェット・リー)主演の中国映画「少林寺」を見て新たな標的を発見。あらゆる武道の頂点に位置するのが少林寺であるとして道場破りを決意した。

5年間の準備期間を経て、深夜に道場破りを敢行。少林寺代表として出てきた武術僧を、山本はわずか数分で撃破。「今の少林武術は実戦用ではなく公演用だ」と捨てぜりふを吐き、5年後の再来襲を予告して去った―という。

少林拳が完敗したとの衝撃的話題は中国全土で反響を呼んだ。ウェブサイトには「映画出演とか金もうけばかりに熱心だから、日本人なんかに負けるんだ」などと少林寺を厳しく批判する書き込みまで登場。河南省の地元紙「河南商報」(電子版)によると、閲覧者は書き込み掲載後の3日間で4万4000件を超えた。

少林寺拳法の本来の目的は、宗教法人金剛禅総本山少林寺に伝承する霊肉一如の修行法であり、その修練をとおして、健康増進・精神修養・護身練胆の三徳を兼備し、金剛の肉体と不屈の勇気、円満な人格、思いやりと優しさを持った人々を多く育てあげて、それにより人々が平和で幸福な理想社会を実現する為の力を獲得する宗門の行であるという。つまり、人作りによる国作りの大道が本来の目的であるとされる。そうした意味で、宗教団体というより、また、武道団体というよりも、社会教育団体という言葉の方が似合う位であるとされている。

ちなみにここでの「宗門の行」とは、「人が心の迷いを去って真理を会得し、自らがよりどころと出来る自己を確立し、それによって社会の平和と幸福に奉仕、貢献する為に行じる」という意味だという。(財団法人少林寺拳法連盟著・図解コーチ・スポーツシリーズ「少林寺拳法」(成美堂出版)より抜粋。原文ママ)

明治44年(1911年)生まれの宗道臣は、昭和初期に「日本民族発展の捨石になろう」という理由で、中国大陸に渡り、陸軍の特務工作員の仕事をしながら、仕事に必要な教育を受ける為に道教の十方叢林(宗教専門学校)に連れて行かれて、陳良という中国人の老師に身柄を預けられて、そのまま弟子になった。陳良老師は、1900年前後に興った義和団事件の生き残りの中国拳法の達人で、その老師に少しずつ拳法の技を学んでいったという。その渦中に、ある任務の為に中国東北地区(当時の満州)を大旅行する事になり、その際に義和団事件の生き残りの拳法家達に拳法の技術を少しずつ学んでいったという。その中の一人が、陳良老師の師匠であり、北少林義和門拳二十代師父の文太宗老師で、文老師の下で修行を積んだ宗道臣は、その技の全てを習得、昭和11年(1936年)祖師達磨大師のゆかりの地・嵩山少林寺で義和門拳の法脈継承の儀式を行った。

そして、終戦の年の昭和20年(1945年)8月9日に当時の満州で、ソ連軍の攻撃に遭遇、それからの約一年間をソ連軍軍政下の満州にて生活する事になる。その生活の中で法律や政治のあり方は、その立場に立つ人の人格や考え方によって大きな差が出る事を発見し、「人、人、人、全ては人の質にある」という事を悟ったという。もし、生きて日本に帰る事が出来れば、私学校を開いて、青少年を集め、道を説いて、勇気と自信と行動力と正義感と慈悲心に満ち溢れた、強くて、優しくて、正しい若者を多く育てたいと念願するようになったという。

しかし、実際に帰国してみると、祖国は道義も秩序も無い弱肉強食の修羅場のような状況で、特に次代を担う青少年の荒廃は目を覆うばかりだったという。「これではいけない、これからの半生を骨のある青少年の育成に捧げよう」と決心し、四国の香川県・多度津町にて主として釈尊の正統仏教の教えを説きながら、人作りの重要性を訴えたが、中々人々はついてきてくれなかった。肝心の若者達も同じで、中々長続きはしなかったという。そんな状態で思い悩んでいた時に、歴史上の人物で、中国・河南省・嵩山少林寺に座禅行と易筋行を伝えたとされる菩提達磨の夢を見て、そこからはっと閃くものがあった。「そうか、はるばるインドから中国に正統仏教を伝える為に渡った達磨が、この行を弟子達に学ばせたその故事に倣って、今こそその達磨の行動を日本に再現させよう」と思い立ち、その為に人集めの手段として、餌として、少林寺拳法を開創する事を思い立ったという。これを長期間に渡って教えながら、道を説けば、必ず次代を担う青少年に不屈の精神力と、金剛の肉体とを合わせ持ち、その上で自信と勇気と行動力を与える事が出来ると確信したという。

こうして、釈尊の自己確立・自他共楽の教えを「力愛不二・拳禅一如」の法門として編成し、中国で学んだ各種の拳法を再編整理して、理論の裏付けを行い、さらには戦中・戦後を通しての貴重な白兵戦の体験と創案を加えて、宗門の行としての形を整えた。こうして少林寺拳法が開創されて、その拳法の修行の合間、合間に口が酸っぱくなるほど、釈尊の教えを中心に祖国愛や民族愛等の人生観・世界観を当時の青少年達に説き続けたという。そして、昭和55年(1980年)に宗道臣が心不全で69歳で死去するまで、この金剛禅運動と名付けられた運動は続けられて、現在は娘の宗由貴氏に引き継がれている。

実際に宗道臣自身が、後年に、単に武道団体を創始したかったのではなく、「敗戦した後の日本の若者の堕落ぶりは目を覆わんばかりであった。荒廃した日本民族の自立を再度うながすべく、一人でも気骨ある若者を育てる教育の場を創造したかった」と回顧している。

法衣と呼ばれる仏門の服装をまとい、おもに二人一組で行われる演武は、飛燕と呼ばれる突きと蹴りの攻防、そして鋭い気合の応酬、床にたたきつけるがごとくの投げ技と関節技、そして圧法と呼ばれる技法で行われる。静と動を同時に行う禅の拳法と称された。創始当時には他流派武道から多く転籍があり当時としては魅力ある技術体系であったと想像される。一方、少林寺拳法は戦後発祥であるが、日本九大武道(日本武道館認定)の一つとなった。また金剛禅と呼ばれる思想は、創始60年を経過した今も、剛柔一体の技法と同様に多くの人々の共感を呼び、さらに会員数は増え続けているとされている。

同時に別派を認めない世界で唯一の宗教団体及び武道団体として結束力が強い。宗が戦前に中国の臨済宗の総本山である嵩山少林寺を訪れた際に、彼が修業中であった義和門の法門継承式を少林寺にて行い、またその際に白衣殿北壁の羅漢練拳図に描かれた相対演練を見て深く感銘を受けた意味から後日「少林寺拳法」と流派名をつけた経緯がある。したがって技法的には少林拳、少林寺の歴史とは直接は関係が無い。宗道臣が中国滞在時に指導を受けた各種中国拳法を取り入れ、また幼少時より祖父宗重遠から教わった不遷流ほか日本の古武道を混合させて試行錯誤のうえ作り上げた(出典:「秘伝少林寺拳法(光文社)」)日本独自の武術であり、宗派である。終戦直後の香川県多度津町で宗道臣は「これはシナの武術じゃ。喧嘩の仕方を教えてやる」と言って少林寺拳法を広めていった。

嵩山少林寺には昭和50年代に宗道臣の記念碑が建てられており、日本から多数表敬訪問している。同寺の公式ホームページに「日本武士宗道臣」の記述がある、リーリンチェイ主演映画「少林寺」に少林寺拳法の山崎博通氏(現・禅林学園校長)が出演している、リーリンチェイ氏が日本の香川県少林寺拳法本部を訪問している、など交流面は多く、嵩山少林寺と日本少林寺拳法連盟はお互いを認め合っている。ちなみに嵩山少林寺の武術は単に少林拳と呼ばれていることが多く「拳法」と言う呼称は中国においてはあまり使われない。



2007/09/23 14:58 | ニュース
脱がせ! 野球拳 ポロリ グラビア天国 ポータブル
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グラッツコーポレーション
対応機種 プレイステーション・ポータブル
発売日 2007年9月27日発売予定
価格 3990円[税込]
ジャンル その他 / 野球拳


2007/09/23 14:53 | ゲーム
AKB48海外進出
アイドルグループ「AKB48」が22日、中国・北京の中国芸術研究院で日中国交正常化35周年記念イベント「日中文化人懇談会」に出演し、海外での初ライブを行った。

チームBの16人が、日本のアイドル代表として東京・秋葉原で行っているパフォーマンスそのままに6曲を熱唱。MCのメンバー紹介では、それぞれ猛特訓した中国語も披露し、平嶋夏海(15)は「中国の方も優しく受け入れてくれてうれしかったです」と感激していた。

AKB48
メンバー

チームA
オープニングメンバーオーディションで選出されたメンバー(篠田麻里子を除く)

板野友美(いたの ともみ、1991年7月3日 - )神奈川県出身。愛称「ともちん」
大江朝美(おおえ ともみ、1989年6月15日 - )東京都出身。愛称「おーいぇ」
大島麻衣(おおしま まい、1987年9月11日 - )千葉県出身。愛称「まいまい」
川崎希(かわさき のぞみ、1987年8月23日 - )東京都出身。愛称「のぞフィス」
小嶋陽菜(こじま はるな、1988年4月19日 - )埼玉県出身。愛称「はるな」、「こじはる」、「にゃんにゃん」、「はるにゃん」
駒谷仁美(こまたに ひとみ、1988年12月16日 - )埼玉県出身。愛称「ひぃピンク」、「ひぃちゃん」
佐藤由加理(さとう ゆかり、1988年11月22日 - )静岡県出身。愛称「ゆかりん」
篠田麻里子(しのだ まりこ、1986年3月11日 - )福岡県出身。愛称「まりりん」、「麻里子様」
2006年1月22日の夜公演より加入。
高橋みなみ(たかはし みなみ、1991年4月8日 - )東京都出身。愛称「たかみな(高みな)」、「みなみ」
戸島花(とじま はな、1988年7月11日 - )埼玉県出身。愛称「はな」、「フラワー」
中西里菜(なかにし りな、1988年6月26日 - )大分県出身。愛称「りなてぃん」、「りな」、「りなちゃん」
成田梨紗(なりた りさ、1991年3月1日 -)東京都出身。愛称「りさ」、「ナタリー」
前田敦子(まえだ あつこ、1991年7月10日 - )千葉県出身。愛称「あっちゃん」、「だーまえ」
増山加弥乃(ますやま かやの、1994年2月12日 - )東京都出身。愛称「かや」
2007年3月からチームBへサポートメンバーとして異動することが決定されていたが、折井あゆみの卒業による各チームのバランスを考え、チームAに残留した。
峯岸みなみ(みねぎし みなみ、1992年11月15日 - )東京都出身。愛称「みぃちゃん」、「みぃ」、「峯岸先生」

チームK
第二期AKB48追加メンバーオーディションで選出されたメンバー

秋元才加(あきもと さやか、1988年7月26日 - )千葉県出身。愛称「さやか」
梅田彩佳(うめだ あやか、1989年1月3日 - )福岡県出身。愛称「うめちゃん」、「キュラ」
大島優子(おおしま ゆうこ、1988年10月17日 - )栃木県出身。愛称「コリス」、「ゆうこ」
大堀恵(おおほり めぐみ、1983年8月25日 - )東京都出身。愛称「めーたん」
奥真奈美(おく まなみ、1995年11月22日 - )東京都出身。愛称「まな」、「まーちゃん」、「奥ちゃん」
小野恵令奈(おの えれな、1993年11月26日 - )東京都出身。愛称「えれぴょん」
河西智美(かさい ともみ、1991年11月16日 - )東京都出身。愛称「とも」、「ともーみちゃん」
小林香菜(こばやし かな、1991年5月17日 - )埼玉県出身。愛称「かな」
佐藤夏希(さとう なつき、1990年7月1日 - )北海道出身。愛称「なっち」
野呂佳代(のろ かよ、1983年10月28日 - )東京都出身。愛称「ノロカヨ」、「ノンティー」、「かよほ~」
早野薫(はやの かおる、1992年12月12日 - )東京都出身。愛称「かおりん」
増田有華(ますだ ゆか、1991年8月3日 - )大阪府出身。愛称「ゆか」
松原夏海(まつばら なつみ、1990年6月19日 - )福岡県出身。愛称「なつみ」、「なっつみぃ」
宮澤佐江(みやざわ さえ、1990年8月13日 - )東京都出身。愛称「さえ」

ひまわり組
2007年の7月1日より、チームAおよびチームKは「ひまわり組」として公演を行う。公演には長期休演中の梅田彩佳を除く全メンバーから16名が出席して行われる。公式ブログでの発表によると、

チームAとチームKを混在させることで、新たなユニット・MCが生まれ、メンバーそれぞれの新しい可能性を探すチャンスになる
取材や収録が入っても、ダブルスタンバイにより常に16名で公演を行うことができ、公演の質が安定する
点でメリットがあるという。また、劇団研究生の中から何名かが参加することも発表されている。

ひまわり組公演参加メンバーは以下の通り(※は研究生)。同じ項目で併記したメンバーが入れ替わりで公演を行う。公演でのメンバー構成は日によって異なるため、公式サイト、公式ブログなどでその都度発表される。

秋元才加/成瀬理沙※
板野友美/戸島花
大島麻衣/倉持明日香※
大島優子/川崎希
小野恵令奈/奥真奈美
河西智美/小林香菜
小嶋陽菜/佐藤亜美菜※
佐藤夏希/駒谷仁美
篠田麻里子/大堀恵
高橋みなみ/大江朝美
中西里菜/佐藤由加理
野呂佳代/松原夏海
前田敦子/成田梨紗
増田有華/出口陽※
峯岸みなみ/早野薫
宮澤佐江/増山加弥乃

チームB
第三期AKB48追加メンバーオーディションで選出されたメンバー(浦野、平嶋、渡邊除く)

井上奈瑠(いのうえ なる、1991年12月18日 - )大阪府出身、身長165cm。愛称「なるぽん」、「なるっぺ」
浦野一美(うらの かずみ、1985年10月23日 - )埼玉県出身、身長154cm。愛称「Miho」、「おかーさん」、「Cindy」
チームAからサポートメンバーとしての異動。
多田愛佳(おおた あいか、1994年12月8日 - )埼玉県出身、身長150cm。愛称「あいちゃん」、「ラブたん」
柏木由紀(かしわぎ ゆき、1991年7月15日 - )鹿児島県出身、身長163cm。愛称「ゆきりん」
片山陽加(かたやま はるか、1990年5月10日 - )千葉県出身、身長154cm。愛称「かたはる」、「はーちゃん」
菊地彩香(きくち あやか、1993年6月30日 - )東京都出身、身長160cm。愛称「あやりん」、「きくじ」
早乙女美樹(さおとめ みき、1991年6月22日 - )栃木県出身、身長159cm。愛称「とちおとめ」、「みきポム」
田名部生来(たなべ みく、1992年12月2日 - )滋賀県出身、身長162cm。愛称「たなみん」
仲川遥香(なかがわ はるか、1992年2月10日 - )東京都出身、身長155cm。愛称「なかはる」、「はるゴン」、「はるか」
仲谷明香(なかや さやか、1991年10月15日 - )千葉県出身、身長159cm。愛称「なかやん」
野口玲菜(のぐち れいな、1993年4月15日 - )埼玉県出身、身長164.1cm 愛称「ぐっさん」、「れいな」
平嶋夏海(ひらじま なつみ、1992年5月28日 - )東京都出身、身長154cm。愛称「なっちゃん」
チームAからサポートメンバーとしての異動。
松岡由紀(まつおか ゆき、1987年10月7日 - )神奈川県出身、身長162cm。愛称「ゆっきぃ」、「ゆきゆき」
米沢瑠美(よねざわ るみ、1991年6月6日 - )埼玉県出身、身長161cm。愛称「るみちゃん」、「よねちゃん」、「るみ」
渡邊志穂(わたなべ しほ、1987年10月25日 - )兵庫県出身、身長166cm。愛称「しほ」、「しほちゃ~ん」
チームAからサポートメンバーとしての異動。チームB「青春ガールズ」公演千秋楽をもってAKB48から卒業する予定。
渡辺麻友(わたなべ まゆ、1994年3月26日 - )埼玉県出身、身長154cm。愛称「まゆゆ」

AKB48 SEED
研究生オーディションで選出された研究生

飯沼友里奈(いいぬま ゆりな、1990年4月30日 - )埼玉県出身。
瓜屋茜(うりや あかね、1992年8月24日 - )神奈川県出身。
大家志津香(おおや しづか、1991年12月28日 - )福岡県出身。
金子智美(かねこ さとみ、1989年12月22日 - )愛知県出身。
倉持明日香(くらもち あすか、1989年9月11日 - )神奈川県出身。
小塚里菜(こづか りな、1993年5月22日 - )千葉県出身。
佐伯美香(さえき みか、1989年10月29日 - )栃木県出身。
佐藤亜美菜(さとう あみな、1990年10月16日 - )東京都出身。
鈴木菜絵(すずき なえ、1992年12月18日 - )埼玉県出身。
出口陽(でぐち あき、1988年3月14日 - )三重県出身。
中田ちさと(なかた ちさと、1990年10月8日 - )埼玉県出身。
中西優香(なかにし ゆうか、1989年1月24日 - )愛知県出身。
成瀬理沙(なるせ りさ、1993年8月13日 - )埼玉県出身。
藤江れいな(ふじえ れいな、1994年2月1日 - )千葉県出身。
藤本紗羅(ふじもと さら、1997年3月23日 - )東京都出身。
村中聡美(むらなか さとみ、1988年6月5日 - )千葉県出身。
渡辺茉莉絵(わたなべ まりえ、1991年1月18日 - )東京都出身。
吉岡沙葵(よしおか さき、1984年9月1日 - )東京都出身。

元メンバー
宇佐美友紀(うさみ ゆき、1984年12月6日 - )埼玉県出身、身長149cm。愛称「ゆっきぃ」 元チームA 2006年3月31日卒業
上村彩子(うえむら あやこ、1986年2月7日 - )埼玉県出身、身長148cm。愛称「あーや」 元チームK 2006年6月17日脱退
折井あゆみ(おりい あゆみ、1985年7月20日 - )長野県出身、身長162cm。愛称「あゆ姉」 元チームA 2007年1月25日卒業
今井優(いまい ゆう、1985年4月17日 - )埼玉県出身、身長152cm。愛称「ゆう」 元チームK 2007年6月22日卒業
高田彩奈(たかだ あやな、1988年7月21日 - )愛知県出身、身長161cm。愛称「あやな」、「あやっぺ」、「TAKADA」 元チームK 2007年6月22日卒業
星野みちる(ほしの みちる、1985年11月19日 - )千葉県出身、身長153cm。愛称「みっちー」、「ちるちる」、「ちるり」 元チームA 2007年6月26日卒業

ばら組/ゆり組
2006年11月4日のAKB48ファーストコンサート終了後に、2007年度よりメンバーを「ばら組」と「ゆり組」の2組に改編することが発表されたが、その後の展開により新しい組での活動は行われていない。当初発表されていたメンバー構成は以下の通り。

ばら組
浦野一美(A)、大島麻衣(A)、小嶋陽菜(A)、駒谷仁美(A)、高橋みなみ(A)、平嶋夏海(A)、増山加弥乃(A)、峯岸みなみ(A)、渡邊志穂(A)
秋元才加(K)、今井優(K)、大堀恵(K)、小野恵令奈(K)、河西智美(K)、小林香菜(K)、野呂佳代(K)、松原夏海(K)
ゆり組
板野友美(A)、大江朝美(A)、川崎希(A)、佐藤由加理(A)、篠田麻里子(A)、戸島花(A)、成田梨紗(A)、前田敦子(A)、中西里菜(A)
梅田彩佳(K)、大島優子(K)、奥真奈美(K)、佐藤夏希(K)、高田彩奈(K)、早野薫(K)、 増田有華(K)、宮澤佐江(K)


2007/09/23 14:48 | 芸能

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