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2025/04/22 05:46 |
DVD探知犬
海賊版DVDの密輸を防止することを目的に、空港に配備されDVDのにおいを嗅ぎ分ける訓練を受けた犬。

2006年、イギリスの業界団体である著作権盗難防止連盟(Federation Against Copyright Theft、FACT) と税関当局・フェデックス社の協力のもと、訓練を受けたラブラドール・レトリーバーのDVD探知犬「ラッキー(Lucky)」と「フロー(Flo)」二匹がロンドンのスタンステッド空港で実地テストを行い、小包の中に梱包されたDVDを即座に嗅ぎ分けた。

違法な海賊版DVDが映画産業などに与える損失は莫大であり、またその収益が犯罪組織に流れる点も問題とされている。アメリカ映画協会(Motion Picture Association of America、MPAA)は各国政府や関係企業・団体などと連携し海賊版DVDの撲滅活動を行っているが、このDVD探知犬育成はその一環に位置する。

MPAAは2006年5月9日のプレスリリースにて、海賊版DVD密輸を検知する新しい手段としてDVD探知犬テストの成功を評価した。ただし、二匹のラブラドール・レトリーバーはDVDを見つけるだけで、それが海賊版か否かは当然ながら判断できない
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2007/09/25 22:16 | 未分類
盲導犬
盲目の人の歩行補助に犬が使われた例、盲目の乞食や辻音楽師が犬に引かれて歩く姿は色々な絵に描かれており、その最も古い例はポンペイの発掘品の中に見られ、13世紀の中国の絵などその後数世紀にわたって同じような絵が発見されているが、それらはどれも長いロープで繋がれた犬が、視覚障害者を引っ張っている、というものばかりであった。

確実な資料では、1819年ヨハン・ウイルヘルム・クラインというウィーンの神父が、犬の首輪に細長い棒をつけ盲導犬として正式に訓練したのが最初である。その後1916年に、ドイツ赤十字のシュターリンとドイツシェパード犬協会のシュテファニッツが、第一次世界大戦中、戦盲者のために盲導犬を育成しようとオルテブルグに学校を設立し、翌年に盲導犬が作出されて戦盲者の誘導に役立てた。1923年にはポツダムに国立の盲導犬学校が設立され、多数の盲導犬が誕生し戦盲者の社会復帰を促した。

たまたま、警察犬の実用化を研究するためヨーロッパに滞在中であった米国人ドロシー・ユーステス夫人は、盲導犬の活躍に関心を抱き、スイスのベベイにある盲導犬学校で研究の後、帰米し1929年にニュージャージー州のモーリスタウン近くのホイッパニーに盲導犬育成の学校を設立した。これが現在、世界で最も歴史と実績のある協会 The Seeing Eye, Inc.である。今アメリカ合衆国には、この他に、それぞれが独立した組織として9つの育成施設がある、その内容はまちまちで質的にもかなりの差があるようだ。英国は当初The Seeing Eye, Inc.より指導者を招聘して技術を吸収し、現在1つの本部の下に9つの訓練所がある。盲導犬はその他豪州・オランダ・フランス・イタリア・フィンランド・スイス・ノルウェー・南アフリカ共和国等でも育成されている。

日本での歴史
日本に来た最初の盲導犬は、1938年米国のゴルドン氏が、オルティー フォーチュネートフィールズ(The Seeing Eye, Inc. 卒)という名の盲導犬と共に観光旅行の途中、日本に立ち寄ったのが初となる。その後1939年、浅田・磯部・荻田・相馬の四実業家が1頭づつ、盲導犬としての科目を訓練した犬をドイツから輸入して陸軍に献納。日本シェパード犬協会の蟻川氏が、ドイツ語の命令語を日本語に教え直した後、戦盲軍人が使用した。4頭の死亡後、盲導犬は絶えたまま敗戦を迎え、国中が生活に追われていたこともあって全く忘れられていた。

国産の盲導犬が誕生したのは1957年。アイメイト協会創設者の塩屋賢一が、18歳で失明した河相洌(かわい・きよし)より「この犬(チャンピイ)を訓練して街を歩けないか」と依頼された。既に1948年から独自に盲導犬の訓練研究を始めていた塩屋氏はチャンピイの訓練終了後、チャンピイを利用した歩き方(歩行指導)を河相氏に指導。ここに国産第一号の盲導犬が誕生した。これが日本における、実質的な盲導犬の歴史の始まりと言える。

年譜

1948年 - 塩屋賢一が盲導犬育成を志し、目隠しの生活を自ら体験しながら、盲導犬の育成方法を模索し訓練を始める。
1957年 - 塩屋がチャンピイの訓練完了。8月に河相洌氏に歩行指導を終了。国産第一号の盲導犬が誕生した。その後、日本盲導犬学校のもとに使用希望者が続出する。
1967年8月10日 - 日本盲導犬学校のあった施設(練馬区関町南)を母体に、財団法人 日本盲導犬協会が認可された。
1968年 - 東京畜犬が盲導犬事業開始。
1970年5月 - 東京畜犬が倒産。盲導犬事業停止。
1971年10月10日 - 財団法人 東京盲導犬協会(元日本盲導犬学校。現アイメイト協会)設立。
1971年 - 社団法人(現在社会福祉法人)日本ライトハウス盲導犬訓練所設立。
1972年 - 財団法人札幌盲導犬協会(現北海道盲導犬協会)設立。
1974年 - 財団法人栃木盲導犬センター設立。
1975年 - 財団法人中部盲導犬協会設立。
1978年10月 - 東京盲導犬協会、日本盲導犬協会、札幌盲導犬協会、栃木盲導犬センター、中部盲導犬協会、日本ライトハウスの6法人が国家公安委員会から盲導犬育成施設の指定を受ける。
1983年 - 財団法人関西盲導犬協会設立。
1983年8月 - 関西盲導犬協会が国家公安委員会から盲導犬育成施設の指定を受ける。
1983年 - 財団法人福岡盲導犬協会設立。
1989年1月 - 福岡盲導犬協会が国家公安委員会から盲導犬育成施設の指定を受ける。
1990年 - 社団法人兵庫県盲導犬協会設立。
1994年 - 全国の盲導犬ユーザー(使用者)の組織として、全日本盲導犬使用者の会が発足。
1995年 - 盲導犬育成施設の連絡組織として、任意団体全国盲導犬施設連合会が発足。
1999年3月 - 日本財団が、全国の視覚障害者・盲導犬ユーザー・訓練施設を対象に「盲導犬に関する調査」を行った。
2001年3月 - 兵庫県盲導犬協会が国家公安委員会から盲導犬育成施設の指定を受ける。

日本での現況
現在は、ジャーマン・シェパードよりも、ラブラドール・レトリーバーや、ゴールデン・レトリーバー、ラブとゴールデンの雑種 (F1) が多く活躍している。これは、シェパードのように精悍な顔つきよりもラブのようにおっとりして温和な顔つきの方が、街を歩く犬嫌いの人や子供にも受け入れられ易いことが大きな理由となっている。

2006年3月末日現在の日本国内の盲導犬の実働数は952頭で、数としては米・英についで3番目のランク、独・仏・豪と並ぶレベルである。近年福祉の観点から徐々にではあるが増えつつある。

2003年10月以降身体障害者補助犬法が完全に施行され、公共機関だけでなくてデパートやスーパーマーケット、ホテルなどの民間施設でも、受け入れを拒んではいけないことになった。しかし罰則のない努力規定であるため、「罰則がないから受け入れない」という意見もある。また、犬が苦手で近寄れないという従業員や顧客もいるため、受け入れの拒否が完全になくなるのは困難である。


日本での育成
現在国内で盲導犬を育成している団体数は9団体。その間に共通した“盲導犬”の基準は存在せず、各団体が独自の基準で犬の訓練および視覚障害者への歩行指導を実施している。また団体毎の実績にも非常に大きな差があるが、そのことは殆ど知られていない。9団体で一年間に供給出来る数は、約130頭余と思われる。

盲導犬は人間の身勝手で厳しい訓練を受けて働かされてかわいそう‥と思われがちであるが、それは表面しか見ていない誤解から生じている。人と犬が心底通じ合っていなければお互いに信頼しあえる関係は生まれない。また盲導犬事業当事者の中に、犬を擬人化した誤った考え方が主流になりつつあり、そのような考え方に基づいた訓練不足の盲導犬も目につく昨今である。更に欧米が「盲導犬の先進国だ」等というとんでもない思い違いが広まっている。

(団体により考え方にも差はあるが)、訓練犬の中から盲導犬になるのは生まれた兄弟のうちほんの3、4割程度と言っている団体と、兄弟犬の7~8割は盲導犬になれるという団体がある。どちらの場合でも盲導犬になれなかった犬は気質などの適性を再判断され、介助犬やセラピー犬の訓練に入ったり、家庭犬(ペット)として生きていく場合もある。盲導犬になれなくても選ばれた両親の間に生まれているだけに無能なわけではない。

また候補犬兄弟全てに盲導犬としての適性が無いと判断されれば1頭も盲導犬にならないこともある。それほどまでに視覚障害者の歩行手段としての安全性への配慮がなされている。

臆病な犬や興奮しやすい犬に視覚障害者のサポートは難しい。また、身体に不調のある犬も視覚障害者との歩行に危険が伴う。そういった個体を無理やり盲導犬にすることは視覚障害者にとって危険である。

2007/09/25 22:07 | 未分類
カフェレーサーとは?
オートバイのカスタム思想の一つである。日本では1970年代から1980年代に掛けて大流行した。定義として、イギリスのロッカーズが行きつけのカフェで、自分のカスタムバイクを自慢し、公道でレースをするという「速く、カッコ良く」のカスタムというものがある。イギリスにあるエースカフェより発祥したバイク文化である。

日本において、カフェレーサーの種車として草創期にはホンダCB400Fが、その後はヤマハSR400/500があった。当時はバイクを改造することは法で一切禁じられていたため、これらの元からカフェレーサーの形をしたバイクは圧倒的な人気を誇った。やがて1980年代後半になり、ブームに応じる形でメーカー側が最初からクラシカルな外見を売り物にするモデルを次々と発表。改造が解禁されて以降カスタムショップやユーザー独自で行っていた重改造は沈静化し、徐々に既製モデルを購入しパーツ交換で済ます手法が一般的となった。

「カフェレーサー」の語源は、当時英国内で唯一24時間営業だったエースカフェに集まり、ノートンやトライアンフのバイクをカスタムし、カフェのジュークボックスにコインを入れ、曲が始まると同時にスタートし、曲が終わるまでにカフェに戻ってくるという公道レースをロッカーズ達が毎夜のようにやっていたことから。

元はロッカーズ=カフェレーサーであったが、その文化が世界中に広まるにつれ、カフェレーサーは次第にロッカーズだけのものではなくなっていき、現在の日本ではバイクの改造スタイルの一つとして認知されている。

現在はパーツの種類が豊富になり、どの様なバイクもカフェレーサーにカスタムすることが出来る。バイクを走らせることと、ビルドアップすること双方をスキルアップしていくことを善しとする傾向にある

2007/09/25 21:59 | 未分類
神酒
神道において神に供える酒(通常は日本酒)である。神饌には欠かせないものである。

「みき」という言葉は「酒」に「御」(み)をつけたもので、酒の美称である。通常はさらに「御」をつけて「おみき」という。古文献では神酒のことを「みわ」と称しているものもある。「みわ」と読む大神神社(三輪明神)は酒造の神ともされている。『古事記』には「くし」の語があり、沖縄には「ウグス」の語がある。これらは「奇(くし)」に繋がるもので、酒の効能が奇瑞とされたことによるものである。

祭礼においては、祭る側の参加者も神酒を頂くことが多い。他の神饌と同様の神と同じものを飲食するという意味のほか、酒に酔うことで非日常の境地に至り、神との交流を深めるという意味もある。

神酒には、白酒(しろき)・黒酒(くろき)・清酒(すみさけ)・濁酒(にごりざけ)などの種類があり、醸造法も多様である。白酒・黒酒の「き」は酒の古名で、白貴・黒貴とも書く。『延喜式』によれば、白酒は神田で採れた米で醸造した酒をそのまま濾したもの、黒酒は白酒に草の根の焼灰を加えて黒く着色した酒であると記載されている。今日では、清酒と濁酒(どぶろく)の組を白酒・黒酒の代用とすることも多い。かつて、神酒は神社もしくは氏子が自家醸造していたが、現在は酒税法の規制があるため、清酒の醸造免許や、税務署からのどぶろくの醸造許可を得ている神社も存在する。

神酒の醸造目的などについてはどぶろくの項が詳しい。なお江戸時代に雛祭りで供えられる白酒 (しろざけ)の風習が生み出されたのは、白酒を供える風習が変化したものという説もある

2007/09/25 21:55 | 未分類
偽札事件
日本の紙幣
2004年12月から2005年1月にかけて初詣客で賑わう全国の神社・寺院などで偽1万円札(何れも旧札)が発見された。
2005年1月6日までに奈良県警察本部はそれを使用した同県内在住の45歳の男性容疑者を偽造通貨行使の疑いで逮捕するとともに、容疑者自宅にあった1万円札と同サイズの用紙や裁断機、パソコンとそれ対応の複合機などを押収した。この容疑者のパソコンに記番号「ZY853618T」のデータがあった。この記番号の偽札は、近畿二府四県からと愛知県、三重県などからも見つかっている。
警察庁のまとめで、偽1万円札の記番号は、10種類以上あり、そのうち8種類が都道府県をまたいで使われていることが分かっている。
今回2004年暮れから2005年にかけての偽1万円札の主な記番号は「ZY853618T」のほか「VJ838046M」「ZY853618T」「QY436254F」「VF083976N」「SW042400G」「KZ669327B」「UF083976N」などが知られている。
偽札事件は対象となった札の種類によりコードナンバーが付けられる。かつての拾円札は伊-、百円札は呂-、、千円札はチ-、五千円札は利-、一万円札では和-となる。
2005年3月9日、大阪府堺市のファーストフード店のドライブスルーで偽造新5000円札を商品代金として使用した疑いで、和泉市在住の43歳の男性と34歳の女性の会社員が逮捕された。新5000円札の偽造による摘発はこの事例が初めてのこと。2容疑者の自宅からは両面コピー4枚と片面コピー11枚の15枚の偽新5000円札、並びにカラーコピー機を押収した。

ドル紙幣
1990 年代半ば、頻繁に使われたスーパーKなど、偽100ドル紙幣が発見されている。
スーパーXという偽100ドル紙幣は、紙の質、インクは真券と同一のもので国によっては真券としてまかり通るほど精巧に作られており、この製造には北朝鮮政府の関与が指摘されている。精巧に作られた偽100ドル紙幣を大量に作成することで米ドルの価値を大暴落させる狙いがあるものと思われる。スーパーZという精巧な偽ドル札も登場しており、これも北朝鮮ルートではないかといわれている。
スーパーX、スーパーZより精巧なスーパーノートも2005年末現在多数流通しているとみられる。
なお、康宗憲・韓国問題研究所代表は以上の「北朝鮮政府の関与」指摘に“アメリカからは主張のみで証拠が一切提示されていない”と異論を唱えている。

2007/09/25 21:51 | ニュース

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